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      <title>あの日あの時、この日この時</title>
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      <description>共同代表・山中悦子</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
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         <title>源氏物語千年紀　ふたり夕顔</title>
         <description>◆秋の終わりに、栃木県佐野市の小さな山の裾野のハーブ園「六月の森」を訪れた。ディ　ナーショーで「源氏物語千年紀　ふたり夕顔」を堪能。しばし非日常、夢心地。
 今年は源氏物語が世に出て千年。あちらこちらで源氏、源氏ともてはやされていたけれど、わざわざ本を読み直すことも、紫式部展に足を運ぶこともしなかった私が最後に出会ったのがこの夜の「ふたり夕顔」。地唄舞の「夕顔」と能舞「半蔀（はじとみ）の夕顔」。一夜かぎりのぜいたくなプログラムには、狂言「寝音曲（ねおんぎょく）」、能の解説、源氏物語についての話も加わった。
　地唄舞の舞台は雛人形のお内裏様とお雛様が命を吹き込まれて舞っているかのような夢舞台だった。大和色のやわらかな絹衣に包まれて夕顔を舞ったのは山村昇湖（服部真湖）。あえなく命を落としてしまう夕顔のはかなさを現して美しかった。山村流家元・山村昇の源氏は優雅でつややかだった。
 そして能舞。シテは小林由美。地謡、笛、小鼓、大鼓の5人が舞台に並ぶなか、金の藤の花が浮かび上がった白い装束・長絹の夕顔が、舞台いっぱい右に左に、前に後に、静かに力強く心模様を広げて舞った。私は時を忘れ、雑事を忘れ、友の舞う夕顔にただただ見惚れた。本当にすばらしかった。
◆実はこの「源氏物語千年紀　ふたり夕顔」をプロディースしたのは由美さんご自身。彼女の本業は会場となった「六月の森（ハーブ園、レストラン、結婚式場）」のオーナー。能は学生時代からずーっと続けて40年のキャリア。彼女と私は大学時代の同級生。代返をしたりされたりした仲。前回彼女の能舞を観たのは去年の春の終わり。ハーブ園への道すがらにあるひなびた神社の小さな舞台で、散るさくらの花びらを浴びながら彼女は舞った。その日の装束は錦織なすあでやかな朱色の衣装。それはお母様の手作りとのことだった。この時は同級生7人が泊りがけで集まって楽しい時間を過ごした。代返の話に加えてRさんが授業中よく寝ていた話で盛り上がった。Rさんのお父様は誰もが知っている俳優Rさん。彼女は父親にそっくりのやさしいお顔で今はお茶の先生をしている。　
◆このときのメンバーの一人Hさんは1ヶ月前青山学院の会館で朗読の会を開催。山本周五郎の短編を情感たっぷりに読み上げた。Tさんは評論家のお兄様T氏の秘書業に大忙し。一昨年の八月十五日にはそのお兄様が企画された「八月十五日と南原繁を語る会」（東大・安田講堂）に雑用係で参加させてもらった。
　私の人生は友人が彩ってくれていることに感謝する日々である。
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         <pubDate>Thu, 04 Dec 2008 09:56:25 +0900</pubDate>
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         <title>「忙しい」と言うこと</title>
         <description>　いつの間にか1ヶ月のご無沙汰でした。山中えつこの戯言です。

◆ずーっと昔、「忙しいということは心を亡くすこと」と聞くに及んだ時、私は忙しいと　言うのは恥ずかしいことだから人前で「私は忙しい」と決して言うまいと思った。けれど私はいつも忙しくなっていて、いつの間にか口を開けば忙しい忙しいと言っていた。
　忙しいのはほんとうのことで、毎日今日中にこれを、明日中にあれをと目の前のことに追われている。仕事は人から頼まれることあり、自らの意思で担っていることあり。　草の根援助運動の活動と草の根援助運動をやっているから引き受けているもろもろの役割。ODA改革ネット、NGOかながわ国際協力会議（終了）、G8サミットNGOフォーラム（終了）、TICAD－NGOネットワーク（TICAD＝アフリカ開発会議）（終了）などなど。
　加えて長きにわたって携わっている平和運動も地域ミニコミ誌の発行も。裁判支援や懲戒免職撤回支援にも顔と名前を出している。報酬を得ていないどころか自らお金を拠出しながら絶えず自分で自分を縛り続けて、結果、忙しい毎日がもう何年続いているだろう。

◆加えて今は大学で週１の講義。受講生が９０名なので残念ながらその場での学生との対話はほとんど成り立たず、不本意ながらどうしても一方的な講演風講義になっている。そのため準備にはけっこう時間をかける。※提出されるリアクションペーパーに次の講義でコメント＆アンサーでコミュニケーション。
　掃除、洗濯、料理、草花の手入れ（ベランダガーデニング）は日常業務でヘヘイだが、開かずの間の片づけをいつしようかと思案すると途端にストレス。

◆本人はご立派とは思っていない。ただひたすら手帳に入った予定に責任を持っているだけ。気が小さいからキチンとやろうとして人の倍？準備に時間がかかって勝手に忙殺されているだけのこと。
　でも、もう忙しいと口にすることはやめる。たとえ忙しいことがほんとうでも―。
実は最近、「忙しいと言うことは災いを招く」と聞き及んだのだ。ある人が「忙しい、忙しい」と言って災難にあったのだという。どんな災難だったかは知らないが、とにかく災難だったのだそうだ。
　土日は名古屋だった。往復富士山が見られて嬉しかった。月曜日はシンポジムのパネリスト。明日は授業。明後日は母校で講義。準備、準備、準備が続く。やっぱり忙しい。でも、もう「○しい」は言わない。守れるかなあ･･･、災難にあってしまうかなあ･･･。あらら、こんなことで悩んでいるヒマはなかったのだ。♪

	



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         <pubDate>Tue, 25 Nov 2008 18:44:25 +0900</pubDate>
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         <title>マゴサク初渡米 （マゴサク日記No3）</title>
         <description>◆マゴサク（孫の咲良）は只今ロスアンジェルスです。２週間前、１歳の誕生日を２日後に控えた生後３６３日目の彼女は母親との二人旅で成田からアメリカに向いました。１２．５cmの真新しい白いシューズを履いて、文字通りヨチヨチ歩きながら、バイバイと手を振って元気に出発。フライト時間は10時間。なんとかまわりに迷惑をかけずに到着して、３週間ほど先着の父親と久しぶりの再会を果たしました。

　父親はビジネスマンですが、今会社のお金で日本で大学院生をしています。そして今日現在３ヶ月間のアメリカ短期留学中です。娘とマゴサクは「私たちもアメリカへ！」と張り切って出かけました。もっともマゴサクが本当に張り切って行ったかどうかは疑問ですが－。彼女は時折父親が通う大学・UCLAへ出向きキャンパス内をウロウロしているようです。将来勉強好きな子どもに育つでしょうか。大きくなった時「（オバマが大統領になった時の？）大統領選挙をアメリカでみていたわ」なんてことを言うのでしょうか？

◆彼女がパスポートを使うのは７月の韓国旅行に次いで２度目。生後6ヶ月で取得したパスポートの写真はもう過去の幼な顔。この間に彼女は乳児から幼児へと変身しました。当たり前といえば当たり前の成長ですが、実は当たり前ではない恵まれたことだと今私は心から感謝しています。さまざまな病気や状態に苦しんでいる赤ちゃんはドラマの上だけのことではありません。娘の従兄も１５００ｇで誕生して何年か前の秋に１５歳で逝きました。　

　８月のP２ツアーで訪れたフィリピンには、相変わらず劣悪な環境のなかで暮らすたくさんの子どもたちがいました。ゴミの山でスカベンジャーとして働く若い父親に抱かれた子どもも、川沿いのスラムで暮らす若い母親に抱かれた子どもも同じように下半身には何ひとつ衣服をつけていませんでした。排気ガスが充満する道路の端で一心に遊んでいる裸足の子どもたち。皆、栄養不足や病気やケガ、さらには交通事故と隣り合わせの毎日です。行くたびに目にしてきたこの光景も、マゴサクの成長と重ね合わせてみた今年のインパクトは特別でした。だからこそのNGO活動であるはずなのですが、まったく力及ばずです。

◆今年も県立大学での週一の講義が始まりました。外国籍市民の在留資格や国籍の話、そして今日はニューカマーやオールドカマー、ブラジル移民などの話をしました。学生たちは大人の都合でいろいろな苦労をする子どもたちがいることに憤りをおぼえたようです。彼らなら子どもたちをきっと幸せにできることでしょう。




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         <pubDate>Thu, 23 Oct 2008 00:34:23 +0900</pubDate>
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         <title>進次郎よりジョージ</title>
         <description>
                           　　 進次郎よりジョージ
        原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀母港化報告
　
                                                    　　月刊キャッチピース編集部　山中　悦子

◆９月２５日、小泉元首相が地元横須賀で支持者に引退を表明すると同時に、次男の進次郎氏を後継者として披露するということで、大挙して横須賀に押しかけたマスコミは、「進次郎」、「ヨーッ、四代目！」、「イケメン後継者」･･･の文字や写真、映像を即、テレビに、新聞に、週刊誌に躍らせた。詰めかけた記者やレポーターたちはその日の朝、そう、ほんの数時間前に同じ横須賀に原子力空母が入ったことを知っていたのだろうか。進次郎よりジョージ。進次郎ネタに費やす時間やスペースがあんなにもあったのなら、国家の一大事、原子力空母ジョージ・ワシントン（GW）のことを丁寧に詳しく多くの人びとに知らせるのがジャーナリズムのお役目だったのではないだろうか。このレポートはマスコミ批判が目的ではないのだけれど、これが日本の現状だと思うとなさけないと言わせてほしい。「ジョージ・ワシントンついに横須賀へ」のニュースはなぜ進次郎に負けるのか。

◆２００８年９月２５日、午前９時０５分、水平線上に顔を出したGWは、９時１５分、横須賀基地湾内へ入ると私たち平和船団の目の前をゆっくり横切り１０時０５分、１２号バースに接岸。新聞報道によれば「ジャスト・アライブ」の場内放送が流れたその瞬間、船内は歓声と拍手に包まれたとのこと。
この日終日、市民たちは海と陸から抗議行動を展開した。６時前の観音崎。「米原子力空母の横須賀配備を阻止する三浦半島連絡会」の約１００名が横断幕を掲げた。７時３０分、その観音崎沖をGWが通過。８時３０分、「原子力空母横須賀母港化を許さない全国連絡会」の約３５０名が抗議の声をあげるうみかぜ公園の前をGWが通過。続いて９時、GWは八景島シーパラダイスに程近い横浜市大医学部脇の海辺の散歩道前を通過。そして、９時３０分、GWは私が参加した平和船団の海上デモにもっとも近づき、そして通り過ぎた。
１２時３０分、神奈川県庁周辺で労組メンバーが抗議の横断幕。１３時、ヴェルニー公園で全学連約１００名が集会。彼らのうち４０名は午前中には海上行動。１５時、非核市民宣言運動・ヨコスカのメンバーによる基地正門前でのGW乗組員への英文チラシ撒き。「To American Naval Personnel  Let’s think about peace together   From Yokosuka citizens」。１８時３０分、ヴェルニー公園で平和フォーラムによる原子力空母入港阻止全国集会＆基地前・市内デモに４５００人。
けれど、予想通り、こんな抗議などどこ吹く風。GWの母港化はあっさり完了。１０時
３８分～１１時３０分、約１時間の記念式典。岩国市長、下田市長、横須賀市議が出席。１４時５０分、ウィンター海軍長官が蒲谷横須賀市長を表敬訪問。市長はかつて、空母が入港するたびに横須賀の名前が報道されて嬉しいと発言した人。どんなニコニコ顔で海軍長官を出迎えたのだろう。

◆私の平和船団デビューは、１９９１年９月１１日、空母インデペンデンスが入港した時だった。ここ最近はご無沙汰だったが、キャッチピース編集部員の肩書きにモノをいわせて（？）今回は久しぶりに船団に加えてもらった。私を含む多くの参加者は午前６時、京急追浜駅に集合してバスでヨットハーバーへ。すでに鈴木茂樹船団長、おむすび丸市川平船長、総指揮官の新倉裕史さん（非核市民宣言運動・ヨコスカ）たちが采配をふるうなかに入り、少しだけ準備に加わって出発を待った。そして７時３０分、ヨットやボートに分かれた約２５名は海上に出た。ピースリンク広島・呉・岩国の皆さんも持参してきたゴムボートで出発。そして名古屋からの参加者も。
私の舟には新倉さん、平和フォーラムの井上さん、そして市民運動お抱えカメラマンの今井明さんら計８名。いでたちは皆おそろい。核防護服もどきの白い紙製のツナギ服、ビニールのゴーグルにマスク。ライフジャケットをつけて装備完了。
さて、これからGWを迎え撃つのだと、スピードを増す舟のなかで私が精神統一、武者震いをしたところでびっくり。海上保安庁の巡視艇が大小たくさん寄ってきていきなりの命令。「荷物検査をしますから○○へ行ってください」「？？？」「N：何言ってるの？」「支持に従いなさい」「N：聞いていない」「あとについてきなさい」。あちらの舟も止められ、こちらのゴムボートも止められ、行きなさい、行かないの押し問答。最終的にはその場で巡視艇から職員（どう呼ぶのかわからない）が乗り込んできて舟のなかをチェック。「免許証を見せなさい。○○は？××は？」「N：なんで今聞くの？申請書に書いたでしょ」。この間４５分。巡視艇は海上デモ行動を妨害したかったのに違いない。ミエミエの威嚇。横須賀海上保安庁と平和船団が２０年簡にわたって築いてきた信頼関係をズタズタに引き裂く信じられない行為だった。全員が防弾チョッキを着込むそのモノモノしさは何？この日出動した巡視艇は５０隻。新倉さんの顔も知らないよそ者ばかりと見受けた。

◆余計なことでエネルギーを消耗した私たちだったが、しっかりGWを迎え撃った。まずは自分自身に驚いた私。乗船していたイラン放送の取材者が思わずビデオカメラを私に向けて回し続けた。
そう、目の前のGWに向って私は叫んだ。下手な英語を承知で声を限りに何度も何度も。甲板にマッチ棒のように並んだ水兵さんたちにきっと届くと信じて叫んだ。「すぐに自国へ戻ってちょうだい。横須賀から今すぐ帰って。日本政府が歓迎しても市民は母港化を認めない。世界のだれも殺さないで。」目の前を空母が通った時、艦載機が見えた。兵士が見えた。この艦載機で、この兵士たちが戦争だといって空爆をしていると思うと叫ばずにはいられなかった。他の舟からは船団を代表してマイクを使っての抗議の声が流れていた。ゴムボートもがんばって横断幕を広げ続けた。
　私はピースマークの旗と「No！　CVN」のポスターの看板を捧げ続けた。私たちの舟はゴムボートをロープで引っ張っていたので、「いらない！原子力空母」の横断幕が目立つおむすび丸と並んでGWに抗議している様は絵になったよう。朝日新聞の社会面と、NHKニュースのなかでその様子が紹介された。

◆デモ規制が解かれてからできるだけ平和船団はバースに近づき（自由にではなく巡視艇にリードされたコースで）GWを見つめ直した。全長３３３メートル。艦載機７０機。乗組員５８００人。本当に異様としか言いようのない目の前のこの船を原子力が動かしていると思うとあらためてゾッとした。長い海上滞在を終えて陸に戻ると１１時を過ぎていた。
母港化をどうぞという日本政府と横須賀市にたとえようもない強い怒りを覚える。この日から母港化撤回を目ざしてまた歩き始める市民たち。その輪が大きな大きな輪になって、撤回が実現しますように。

※月刊キャッチピースNo１５７（２００８．１０．５発行）
　
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         <pubDate>Fri, 03 Oct 2008 17:54:52 +0900</pubDate>
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         <title>サザンが終って今日はB’z。　でも私はジョージ。</title>
         <description>◆ジョージがやってきます。来週ヨコスカにやってきます。２５日からそこに住み続けるそうです。
　今日私はジョージに来ないでほしいと願っている人たちと開いた集会に参加するために横浜に向いました。菊名駅には駅員さんがいっぱい。あれ？今日は何？電車が到着すると渋谷方面からの乗客がゾロゾロ降りてきてホームはあっという間に人人人。コンサートorサッカー？
　横浜駅に到着した私は、雨の中県民活動サポートセンターへ。会場は人であふれていました。どうやら座れない人が出る模様。主催団体の一員にもかかわらず準備に参加できなかった私は他のメンバーといっしょに上階のフリースペースからイスを運んだり、資料不足分を用意したりちょっと働く。最終的には定員９０名の部屋に集まった人は１２０名。すごい。そんなに嫌われているジョージのフルネームはジョージ・ワシントン。米海軍の原子力空母。どうして横須賀に来るの？横須賀があなたの住所（母港）になるの？なぜ日本政府や横須賀市や神奈川県は、「来ないで！」と言わないの？

　集会が終ってみんなで飲んで帰ったら（私は飲めない人ですが）、菊名駅の渋谷行きホームは電車を待つ人人人。皆若い。Tシャツの胸には大きな星。ン、誰の？レインボーカラーのタオルの文字を読む。B･･･？　B’ｚ？そうか、今夜は日産スタジアムでB&apos;zのコンサートがあったのですね。B’zファンの彼らのなかにジョージのことを知っている人はいたのでしょうか？
　原子力空母問題を知る人はオタク？ここまできても巷の話題になりません。空母問題はけっして横須賀だけの問題ではないのですが。原子力推進艦の安全性には不安があります。事故を起こせば放射能被害は東京一円に及びます。そして、米軍のイラク攻撃。この間まで横須賀を母港にしていた空母キティーホークの艦載機はなんと５３７５回もの出撃を繰り返して空爆を続けてきました。横須賀と厚木飛行場（艦載機の離発着訓練→騒音）がこれを支えました。

　２５日朝私は船に乗ります。京急線追浜駅の集合時間は午前６時です。２５人乗りの船で海に出て原子力空母を迎え撃ちます。空母を目の前にしたら、本当に来ないで！と叫びます。私にとって今はB’zよりジョージです。

◆フィリピン報告ができないまますでに１ヶ月。フィリピンでは貴重な経験をたくさんしました。いつも折りにふれ報告したいと思ってはいるのですが。この１ヶ月間は「第５期NGOかながわ国際協力会議」の知事へ提出する提言書づくりに忙殺されていました。加えて「ぴいぷる２　No59」の編集作業。寝る間もない日々でした。

◆今週、来週も大忙し。１０月１日から始まる県立大学での後期講義の準備とその前日９月３０日の「ODA改革フォーラム」（主催：JANIC他）の分科会でのリソースパーソン役。P2フィリピン班会議もあれば、WE21ジャパンこうほくの集まり＠山中宅も予定されている。そのなかでジョージ来ないで！アクションも。がんばれ、エツコサン、どれも大事。






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         <pubDate>Mon, 22 Sep 2008 09:06:30 +0900</pubDate>
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         <title>サザン　ファイナルコンサート　周辺の話</title>
         <description>サザン　ファイナルコンサート　周辺の話

◆８月２４日午後１０時過ぎ、ホーム上で駅員さんがマイクを使って乗客に絶え間なく案　内する騒々しい声が聞こえてきました。私の自宅は駅のホームに面しているマンションの７階。新横浜の日産スタジアムでサッカーや何かのイベントがあると、ホームは帰路に着く人びとで約１時間はごった返し、いつもは聞こえないアナウンスが窓を閉め切っていても気づくほどノイジーになります。今日は何？　わぁ、そうだ、今夜は♪サザン、ファイナルコンサート最終日だった！

 サザンが３０年の活動を一時休止。この衝撃的なニュースが伝えられてからあっという間にとうとう迎えてしまったこの日。P2フィリピンツアー出発前夜このファイナルコンサートの初日に行ったのは小野さん。彼が大のサザンファンであることは誰もが承知。チケット獲得努力をせずに最初からコンサート行きを諦めていた私は小野さんとは勝負にならない存在ながら、実はやっぱりサザンファン。大晦日コンサートでは横浜アリーナのまわりをうろついてみたりもして、けっこうかわいいモンです。

　サザンの桑田くん（乞うお許し、この呼び方。）と同じ小学校、中学校を彼より１０年早く卒業した同級生は、私を含めて皆サザンファン。サザンビーチなんて名前がついていなかったけれど、私たちはいつも砂浜で烏帽子岩を眺めて遊び、ラチエン通りをオシャベリしながら歩いていました。「映画の撮影しているらしい」と誰かが言えば、Pacific　Hotelへ行きたくてウズウズ、授業に身が入らなくなったりもしていました。若い頃の思い出は、サザンの唄声を聞くたびによみがえります。鎌学（鎌倉学園）もおなじみ、原さんち（関内・天吉）も行きつけのお店。勝手に親近感を抱いて、同級生たちは集まればサザンの歌を唄ってきました。桑田くんに感謝！の思いいっぱいで、活動休止の報を受け取った私でした。

　東海岸・雄三通りを海岸に向って歩き、加山さん（加山雄三）の有刺鉄線で囲われた家の角を曲がって茅ヶ崎第一中学校へ通いました。その中学校には兄の同級生に尾崎紀代彦（♪また逢う日まで～）がいました。中海岸のHちゃんの家の二件先には平尾昌章のパステルカラーの塀の家がありました。縁あって「遊びにいらっしゃい」言ってもらえたのに、芸能人の家に行っていけませんと母に止められ、行くことを断念したことがありました。そうそう、♪上を向いて歩こう♪を作曲した中村八大さんの家もけっこう近くでした。
　お正月恒例の箱根マラソンで見る沿道の松ノ木が、まだ中学生だった私たちと同じぐらいの高さだった頃の話です。今は昔の話です。

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         <pubDate>Thu, 28 Aug 2008 11:56:02 +0900</pubDate>
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         <title>フィリピン行きと８月１５日</title>
         <description>フィリピンへ行きと８月１５日
◆フィリピンへ行きます。久しぶりです。現地に駐在しているKさんからメールをもらいました。「日本はたいへん暑いそうですね。フィリピンは雨期で、特に明け方はとても涼しいです。ときどき豪雨で外出が困難になりますが、雨が降らなければ青空も広がり、よい気候です。」酷暑ニッポン脱出を前に、私は今現地の友人たちとの打合せに忙しい毎日です。
　フィリピン行きは草の根援助運動のスタディツアーに同行してのことです。でも、実は私は中抜け。マニラから南へ飛行機で１時間、南カマリネス州、北カマリネス州、アルバイ州の農村や漁村訪問、ホームステイ、村びとたちとの交流、プロジェクト視察などには不参加。一人マニラ首都圏ケソン市でPRRM（フィリピン農村再建運動）の元代表やスタッフたちと過ごします。南カマリネス州には１５年前に一人で行ってPRRMのトレーニングセンターに泊まっていくつかのフィールドを見て回ったことがありますが、もうフィールド歩きはシンドイお年頃になりました。今回は「ごめんなさい」でわがままを通します。

◆フィリピンにはもう何度行ったことでしょう。２０回を数えてからはもうカウントしていません。フィリピンではいつもバターン半島、コレヒドール島、ルソンの山々などで第二次世界大戦に出会います。スタディツアーでも大学生たちに第二次世界大戦を学んでもらうことをスケジュールに入れています。そんな私ですが３月に見たNHKBSハイビジョンの「証言記録 　マニラの市街戦」ではあらてめてショックを受けました。何度も何度も訪ねながらマニラ市内、イントラムロスでここまですさまじい事態が繰り広げられていたことを知らなかったのです。フィリピン市民、日本兵、アメリカ兵、計３８人の重い証言、さらにはアメリカ軍のフィルムで私は戦場となったイントラムロスのすさまじい状況を詳しく知りました。ここでは１分間に１３０発、合計１８５トンの銃弾が人びとの間で炸裂したのでした。
【マニラ市街戦の死者：１２万人】
１００，０００人（フィリピン人）／１６，５５０人（日本兵）／５，０００人（米兵）

証言記録　マニラ市街戦～死者１２万　焦土への１か月～
［BShi］3/17(月) 後11:40－翌1:35
太平洋戦争中、フィリピンのマニラで行われた日米の市街戦は１２万もの死者を出した。そのうち市民の死者は１０万。悲劇はいかに起こったのか、焦土への１か月をたどる。～平成１９年度芸術選奨　文部科学大臣新人賞　金本麻理子ディレクター　作品選～

◆今日は８月１５日。敗戦記念日です。私はここ２０年ほどほぼ毎年この日はSさんと行動を共にしています。渋谷駅前での女性たちによる平和リレートークにもよく通いました（私も車の上でマイクを握ったことがありました）。種々の反戦平和集会への参加はもちろん、朝鮮半島出身の無縁戦没者を祀ったお寺におまいりに行ったこともありました。
　そして今年、私たちははじめて千鳥ヶ淵戦没者墓苑に行きました。海外での戦没者約２４０万人（軍人軍属戦没者約２１０万人。一般邦人約３０万人。）その方々の遺骨の多くは家族の元に帰ることができなかったなか、復員時の戦友に抱かれて帰国できた遺骨、戦後収集されて帰国された方々の遺骨は１２４万柱とのこと。一人一人の無念さを思うと目頭が熱くなりました。本土での戦没者約７０万人を加えて３１０万人の戦没者。二度と戦争はイヤだと思って憲法９条をつくったのは当然のことと言えるでしょう。日本以外の国々で命を落とされた方が２００万人以上。たくさんのフィリピン人もそのなかに含まれます。
　千鳥ヶ淵墓苑ではちょうどいき合わせた平和フォーラムの慰霊祭に参加させてもらって菊の花を供えました。瑞穂さん（社民党党首）や江橋崇先生（法政大学）と挨拶しました。
　お堀端、九段坂のレストランで二人でゆっくりランチを済ませての帰路、右翼の街宣車が道路を占領して機動隊員、警察官を相手に大騒ぎをしている靖国神社前を通って私たちは半蔵門線の九段下駅に向かいました。朝から繰り広げられたであろうドラマの続きを見た気がしました。
今日は１９４５年８月１５日生まれのNちゃん（私の同級生）の６３回目の誕生日です。戦争が終って６３年。今日千鳥ヶ淵墓苑に若い人はまったくいませんでした。


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         <pubDate>Fri, 15 Aug 2008 22:44:50 +0900</pubDate>
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         <title>ＮＨＫにひとこと～フィリピンニュースを見たい～</title>
         <description>ＮＨＫにひとこと～フィリピンニュースを見たい～
◆NHKBS放送における大リーグ中継偏重にちょっと文句。ひとこと申しあげたいと思います。野球大好き人間の私ですが、BS放送で毎日毎日大リーグ中継ばかり放送することには、ちょっとこの編成、どうにかならないのと愚痴がでます。先日ソウルのホテルに滞在した時もチャンネルをNHKに合わせるとBS１で大リーグ、BS2でアニメの毎日。思わず他のものも見たい～と叫びました。
　大リーグで野茂投手が活躍を始める前までは、朝９時代のBS1では毎日アジア各国の前夜のニュース番組を見ることができました。私はそのなかでABS-CBNニュースでフィリピンの状況を把握するのが常でした。政治、経済、社会の動きがほぼリアルタイムで確認できることはフィリピンと関わりを持つ私たちにとってとても意味のあることでした。
　野茂投手の活躍が始まると、日本野球史上特別な日となる彼の登板日には必ず大リーグが中継されるようになりフィリピンニュースが見られなくなりました。夫は野茂投手の結婚式に招待された人ですし、私もその活躍には一喜一憂、精一杯応援していましたから、そんな流れを受容れていました。けれどそのうちイチローが大リーガーになると彼が出場する試合はすべて、そう、野手の彼は毎日出場するので毎日が大リーグ中継日になってしまったのです。それ以来フィリピンニュースが見られなくなりました。フィリピンニュースは今どこに？

◆５日の夜、私は今年の芥川賞受賞作「時が滲む朝」(楊　逸)を時間を忘れて一気に読んでいました。（いい作品でした。その時を昨日のことのように記憶するものにとって胸が熱くなる作品でした。）
その時ふと気づくとテレビはアジア各国のニュース番組を放送していました。
午前３時５０分、待望のABS-CBNニュース、馴染みの男性キャスターが少し老けた
顔を出しました。まあまあ、NHKは一体誰がこの時間にこの番組を見ていると思って放送しているのだろうと思いながら見ていると、私にとって今最大の関心事である話題になりました。
この日のトピックは　「フィリピンの医師・看護師事情」。
フィリピンは海外へ出る医師の数がインドに次いで世界第２位であり、看護師は世界第１位であること。医師が海外へ出る理由は経済事情。フィリピンにとどまれば１ヶ月３万２５００円の収入であるけれど、アメリカに行けば６３～９３万円になること。今フィリピンでは国民２８，０００人に対して医師が１人であることなどが報じられました。医師のなり手そのものが減少していることから最近では医師の受入国が医師の育成を支援することになった（（例えばカナダに８００人の医師が輸出される場合はフィリピン人医師２００名の育成支援の義務を負う）などの情報もありました。FTAで日本でフィリピン看護師受け入れが始まろうとする今、日本人の何人がフィリピンのこの現実に目を向けているでしょうか。
　ＮＨＫはワールドニュースをもっともっと私たちに提供してほしい。今の大リーグ中継偏重方針を変更していただけないでしょうか。ついでに、夜７時のニュースのなかで大リーガーの１本のヒットをあんなに大げさに報道しなくてもと思います。球場に足を運んで大学野球を１５０試合以上見ている、決して野球がキライではない私からの
ひとこと、「フィリピンニュースをみたい～」でした。

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         <category></category>
         <pubDate>Fri, 08 Aug 2008 10:30:48 +0900</pubDate>
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         <title>韓国初訪問＋マゴサク日記No2</title>
         <description>韓国初訪問
◆先週３泊４日で韓国へ行ってきました。同年齢女性としては決して少ないほうではないと思える４０回以上の渡航経験がありながら、私にはなぜかこれまで韓国を訪れる機会がありませんでした。思い起こせば初めてホームステイで受け容れた外国人は韓国人でした。夫は学生時代の初海外以来しばしば韓国を訪ねていました。４月に京都で開催された国際フォーラムではケニア人に「あなたは韓国人？」と聞かれました。韓流ドラマにはまらなかったとはいえ、いろいろな面で関心も高く、何かと縁もあったはずなのに、私が今日まで韓国を訪ねていなかったのは不思議と言えば不思議。

　今回は娘の夫に感謝。彼が成均館大学に招待されて２週間の研修を受講した機会に娘が私を誘ってくれての訪韓となりました。ソウルのみ４日間は普通ならあちらこちらけっこう丁寧にまわれる日程でしたが、マゴサク同伴でしたからほとんど車のなかからの市内見物になりました。でも私にとってはそれで十分でした。韓国はほんとうに近い国だということがわかっただけでもう本当に満足でした。きっと遠くない将来に韓国再訪問が実現するでしょう。

　ソウルはきれいな街でした。政府の政策でこの３０年間で新しく作られた江南の街はどこかで見た絵の中の街のようにきれい過ぎて、親しみやすさはありませんでしたが、そこで出会った人たちは皆いい人たちでした。幼な子連れの旅のメリットはそこここで人との交流が持てることです。思いがけずたくさんの人と笑みを交わすことができました。
　私は、なぜ私たちの国はかつてこの半島の人たちの運命をもてあそぶことができたのだろうと考えざるを得ませんでした。家族や友人と楽しく暮らす人たちがその幸せを永久にと願うのはどこの国の人も同じ。幼な子連れの隣国・日本の家族に話かける幼な子連れの韓国人家族との間には何の壁も存在しませんでした。一方が他方の運命をもてあそぶようなことは市民レベルでは考えもつかないこと。平和を願う市民が常にどうしなければならないかを自身にあらためて問い直しました。
ソウル：江北vs江南
http://www.seoulnavi.com/area/area_r_article.html?id=415
 
マゴサク日記No2
◆ソウル市内にある世界遺産・昌徳宮（チャンドックン）へ行きました。現地到着時間の関係で英語ガイドツアーに参加しましたが、ガイド１人に観光客約１００人。娘が咲良を抱っこして参加した我が家族がたちまち落ちこぼれたのは当然。でもそこで待ち受けていたのはマゴサクに関心を寄せてくれたドバイのご一家。１８歳で結婚したという父親はまるで子どもたちのお兄様にしかみえない。私たちは超美人の５人姉妹と男の子１人のこの７人家族と親しくオシャベリしながら歩きました。彼らは３週間の韓国旅行をエンジョイ中でした。お母さまは３歳の末の弟とお留守番とのこと。みんなでいつの日かその弟くんと咲良ちゃんのご対面が楽しみという話になりました。ほんと、楽しみ！
　実は咲良はすでにすごい。生後７ヶ月目の５月にはベナン人（アフリカ開発会議で来日したギュスターブさん、タレントのアドゴニーさん）とアルジェリア人（同　ラビアさん）に、８ヶ月目にはインド人（ニューホープのローズさんとシャクントラ）に、そして９ヶ月目の今回は韓国人、UAE・ドバイ人に抱っこをしてもらったり、話しかけてもらったり、いっしょに写真を撮ったりです。生まれた時にはフランス人とデンマーク人からもプレゼントが届きました。私はもうすぐフィリピンに行きます。そこには「娘は元気？どうしている？」と聞いてくれる友達がたくさんいます。マゴサクの誕生はそんなみんなに祝ってもらえるに違いありません。彼女は本当に幸せです。国境のない世界でたくさんの人と生きていくことになるでしょう。
昌徳宮（チャンドックン）ツアー
 http://www.seoulnavi.com/miru/miru.php?id=2

◆ソウルでハングル文字入り布製絵本を買いました。１ページがB4程度の大きな本です。牛が牧場で遊んでいたり、森でおサルが木登りしたりしています。ハングル文字はいつ読めるようになるかわかりませんが、絵本はいつまでも彼女の宝物であり続けるでしょう。
絵本はもう一冊。私が私のために買いました。花の好きな小学校の先生が主人公のこの絵本、タイトルもわからなければストーリーもわかりません。でも素敵な絵が魅力です。誰かに読んでもらえる日が待ち遠しいです。



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         <pubDate>Wed, 06 Aug 2008 16:43:50 +0900</pubDate>
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         <title>マゴサク日記 No1</title>
         <description>◆過日朝日新聞の読者投稿欄に、最近の日本社会に溢れるコンビニなどの四字語についての感想が載っていました。投稿者は韓国からの留学生で、それをとても楽しいことと言っていました。
本当にこんなことまで？と唸るほどの氾濫ぶり。キムタクから、オグシオ（バトミントン：小椋・潮田組）、コンカマ（セーリング：近藤・鎌田組）、 イケクミ(走り幅跳び：池田久美子）。言い易さ記憶され易さが日本人好みで流行ってきたのでしょうか。
で、私も使ってみます。「マゴサク」　はて、さて、何、それ？
こ・た・え＝孫の咲良（さくら）ちゃん。略してマゴサク。生後９ヶ月になる正真正銘、私のマゴです。これから時々登場します。どうぞよろしく。

さて、明日はマゴサク初海外。私もいっしょです。どんな旅になるでしょうか。

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         <category></category>
         <pubDate>Sat, 26 Jul 2008 20:18:49 +0900</pubDate>
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         <title>私の軽井沢（ゆり園から坂本竜馬まで）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="078004.jpg" src="http://www.p2aid.com/yamanakablog/078004.jpg" width="160" height="120" />   <img alt="078010.jpg" src="http://www.p2aid.com/yamanakablog/078010.jpg" width="160" height="120" />

　
◆三連休の最終日、忙中閑をつくり小学校時代の友人と二人で軽井沢One Day Tripを敢行。プリンスゆり園の散策と脇田和（かず）美術館で「生誕１００年展」を鑑賞。名物のジャムとドレッシングと胡桃を買って帰りました。軽井沢は２２℃、避暑客がそろそろ滞在をはじめたところにOne DayTripは正直少々肩身狭うございましたが、分相応というところで満足な一日でした。

◆ゆり園の開園期間は７月１９日～８月３１日。私が昨年夫とここを訪ねたのは８月半ば過ぎのこと。花の盛りはすでに過ぎ、行く夏に別れを惜しむキレイな花もややくたびれ気味でした。対照的に今年の花は今からで一花二花が咲き初めたところ。人生もゆりもやっぱり「これからが素敵」を再確認。
賞金目当てで応募するフォトコンテスト用写真選びに目下難儀しています。

◆脇田和は戦時中私の故郷の町に疎開をしていたことがあったので小さい時からその名前を聞いていました。そのせいでずっと親近感を持っていましたが、大人になってからの私はそののびやかなオリジナリティあふれるやさしい作風に魅せられていました。この日私は静かな館内の中央に置かれたソファーで作品に見守られながらしばしまどろんでしまいました。
目覚めるとあわただしかった毎日がすーっと遠くに流れて消えていました。

◆ところで私には聞いたら誰もが羨むに違いない軽井沢の思い出があり　ます。ここに突然「坂本竜馬」登場です。
今から４０年も昔のこと、大学４年生だった私は一夏を坂本直道という方とその人の軽井沢の別荘で過ごしました。３０００坪の落葉松林のなかに別荘はありました。その人坂本直道氏とは誰あろう竜馬の唯一の曾孫！直道氏の父直寛氏が竜馬の甥でした。直道氏の田園調布のご自宅には私たちが何度も目にしている竜馬さんのあの写真が飾られていました。

直道氏は明治２５年生まれ。東大法学部を出て満鉄欧州事務所長（在パリ）をつとめました。欧米の事情に精通していたがゆえに日本の開戦に反対し、昭和１５年に帰国すると翌１６年には満鉄を辞職。この戦争に日本は絶対負けると言って東京を離れ軽井沢暮らしを始めました。

敗戦後はパリで収集した絵画を売って得た資金を自由民主党の設立のために提供しました。自由民主党は今ではすっかりその面影を残していませんが、その時の坂本氏は「自由」と「民主主義」の大事さを誰よりも知っていて惜しげもなく私財を投じました。

私は別荘で一ヶ月間直道氏の食事を作るだけの仕事をもらってあとは自由に過ごしました。奥様は「パリからの帰路スエズ運河を石炭の船で渡った時の暑さを思えば東京の暑さはがまんできるわ。軽井沢に行くのは面倒なのでお願いね」と私に言いました。私にその役が回ってきたのは当時のクラスメートの一人が坂本直道著「激動するアジアの中の日本ー日本はどうあるべきかー」を読んで感激し坂本宅に出入りするようになっていたからです。

※奥様からいただいたレースのハンカチは今でも私の宝物です。そのハン　カチはロシア革命からパリに逃れてきたロシア貴族の女性たちが持っていたものです。

今竜馬さんの血を引く方はただ一人、坂本直道氏のお嬢様だけです。時代の影響でご結婚されませんでした。８０歳を過ぎた今もご健在で軽井沢の別荘（昨年の夏の写真）に住んでいらっしゃいます。]]></description>
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         <category>日記</category>
         <pubDate>Fri, 25 Jul 2008 00:15:52 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>今週は大忙し</title>
         <description>◆この２０年間、私は草の根援助運動を中心に活動してきました。その前の１０年間は消費生活協同組合活動が中心でした。この３０年間は同時に福祉や平和、環境問題にも熱心に取り組んできました。他人からは絶えず忙しい人と思われ、自身「忙しい、忙しい」が口癖の毎日でした。心を忘れて忙しいのは褒められたことじゃないとわかってはいましたが、ほんとに忙しく過ごしていました。
　そんな私の毎日が、最近少しづつ変化しています。２年前ぐらいまでは、午前、午後、夜と一日３ヵ所での会議も、１週間に５日の夜の会議もこなしていました。それが今はもうだめです。直前までその気でいても、瞬時にやめようと決心することが容易になってサッとキャンセルすることがけっこう当たり前になってきました。もちろん責任放棄ではなく、私の出席の有無が大勢に影響がない場合に限ってのキャンセルです。それは、自分や草の根にとっての勉強だったり、大勢の人が集まることで社会にアピールできることだったり。参加する意味があっても私が出なければ始まらないことでなければ、もう無理はしないーとなりました。半端じゃない経費を１００％自己負担しながらよくここまで完全無報酬、ボランティアワークで来たものだと思います。だれに強制されたわけでなく、ただひたすら自分で自分に♪ファイト！（大好きな中島みゆきの歌）。よくがんばってきたものです。

◆でも、今週は正真正銘「大忙し」。私が行かなければ始まらないことが続きます。昨日１４日月曜日の夜は県民活動サポートセンターで「第１１回　第５期ＮＧＯかながわ国際協力会議」（※）がありました。　私は第３期に続いて今期も委員長。知事への提言書提出日が１０月１７日に決まってそろそろまとめに入りました。ほぼ完成レベルの提言もあれば、この期に及んでトホホ・・状態のものも。あれもこれも宿題にして１０名の委員が総力をあげて取組み、８月末の臨時会議に持ち寄ることにしました。私もたくさんの宿題をかかえました。集中力をもってがんばろう！と本気で決心して帰宅。そう、委員長の責任は重大なのです。会議の仕切りもけっこうシンドイ。
（※）１９９８年発足。１期２年。神奈川県の国際施策について県知事へ提言。「外国籍県民神奈川会議」と同時開催。事務局：県国際課

◆明日１６日（水）午後は、自由が丘産能短大で講義です。１４０名の女子大生を前に「地域社会とボランティア」をテーマに話をします。講義はボランティア人生そのもののを送ってきた私にふさわしいと言えるかもしれません。メインはモチロン国際協力ＮＧＯでのボランティア活動紹介。前提として国際協力ＮＧＯとはという点をパワーポイントを使って丁寧に説明します。そして草の根にも来てねと言いたいと思います。この短大に行くのは初めてです。いつも東横線の車内で大学の広告を見ていましたから、なんか嬉しい。運営委員の中島くんが同行予定です。
※本日は一日中在宅で講義準備。暑い日だったので何度もベランダへでての草花の水やり。いずれベランダ報告をします。数少ない私の得意分野です。

◆まだ、申し込みをしていないのですが、１７日（木）は多分朝から夕方まで千駄ヶ谷の日本青年館。フィリピンから来日するフレビエール元保健相・上院議員でＰＲＲＭのスタッフだった医師ジョンＤのパパの話を聞きに行きたいと＜今は＞考えています。主催の日比フォーラムへは誘われながらとうとう入らなかったのでメンバーにお会いするのは申し訳ない気がします。でも、だから、行った方がいいともいえます。
夜はＰ２運営委員会です。考えると今から疲れそうです。

◆１９日（土）夜は法政大学へ行きます。ＧＧ研（グローバルガバナンス研究会）（※）です。私は報告者に決まっています。お題は「市民社会が見たＴＩＣＡＤ」。明日の夜と明後日一日がパワーポイントを完成させるために用意された時間です。間に合いそうもなくてドキドキ。勉学モード絶えて久しく、エンジンのかけ直しから始めます。でもＴＩＣＡＤ総括は自分のためでもありいい機会だと思っています。みんなのコメントはこわいけれど現場主義を貫いてみようと思っています。
※グローバルガバナンス研究会：主宰は後藤一美法政大学法学部教授。メンバーは大学院で後藤先生にご指導いただいた面々。現役の博士課程在籍者もいれば、私の同期生「３人組」も。政府の仕事をしている人、地方自治体職員、財団職員、そしてＮＧＯ。＠北京、＠ドイツ、＠長崎（頻繁にケニア）も。時々学部生も参加。二人のメンバーの博士論文完成に向けての報告を中心にしながらも、それぞれの研究分野、職業関連の報告あり。私はここで学問の世界の入口に立つおもしろさを味わっています。

◆２０日（日）は来客を迎えます。何人が見えるかは不明。Ｐ２ユース日大（＠三島）支部発足の相談で少なくとも日大生の二人の女子学生は確実。あとはどうかな？ランチメニューは何？そこから考えるのが私のお役目。ＮＧＯ兼食堂のママってところです。

◆休みたくなったのはトシのせい？いえ、やっぱり疲れたのしょう。　　
思い起こせは１年前。５月のリフォーム、６月の夫の転居（自宅への出戻り）。８月の娘一家の転居（娘が身重だったので手伝いました）。そして産前産後２ヶ月間の娘の世話＋新生児の世話（１ヶ月間）。加えて１０月からは週１で県立保健福祉大学での講義が加わりました。やっぱりがんばりすぎだったかもしれません。
今もまだアフリカ人（ベナン人）１ヶ月間のホームステイ後遺症が残っても仕方がありませんね。
さあ、今週はがんばるぞ！まずは明日、がんばります。









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         <category></category>
         <pubDate>Tue, 15 Jul 2008 21:18:18 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>G8サミットとＮＧＯ</title>
         <description>◆ブログ初心者の私にとって小野さんは神様？その更新振りはどう考えても神業としか思えません。中味が伴なう文章をどうしてさささっとこうも手早く書き上げることが
できるのか不思議でなりません。彼が誰よりも忙しい人だと知っているからなおさらsそう思います。それを人は「才能」というのでしょうね。私は文章を書くのがそれほど早いほうではありません。それ故、タイムリーに意見表明ができそうにありません。ま、私は私のペースで。十人十色で綾なす色がＰ２ブログの魅力ということでー。

◆Ｇ８サミットとＮＧＯについての私見。
草の根援助運動は昨年１月の発足時から「２００８Ｇ８サミットＮＧＯフォーラム」に参加してきました。このフォーラムは発足にあたってＧ８サミットにＮｏ！をいうのではなく、Ｇ８首脳の話し合いに影響力を持つ政策提言を活動目的にすることを時間をかけて確認しました。Ｐ２もＧ８の存在の正当性に何の疑いも持たないわけではありませんが、国際社会におけるＧ８の影響力を無視できない現実は否定できないということでＮＧＯフォーラムへの参加を決めました。ＮＧＯフォーラムは最終的には１４１団体（ほとんどが東京の団体）が参加、今日現在北海道でがんばっています。
　ではＮＧＯはどうがんばり、どのような成果を得つつあるのでしょうか。本当のところはモチロン時を経なければ明らかになりません。当然今は周辺情報にもとづいての私の考えの範囲内ということになります。

実は私は、サミットでのＮＧＯの役割に大きな期待を抱き、早くから北海道行きを決めていました。けれど１ヶ月前に終了したＴＩＣＡＤ　Ⅳ（第４回アフリカ開発会議）に関わった経験から、その大きな期待に果たして私自身がどのような役割を果たせるのだろうかに？がついてしまい、参加意欲を喪失、直前になって北海道行きをとりやめていましました。今はとりやめてかえってよかったと思っています。なぜなら、横浜（東京）からみたサミットにおけるＮＧＯの存在の希薄さを冷静に把握することができたからです。東京にいると、北海道でがんばっている割には関心を持ってもらえないという現実の厳しさを受け止めざるを得ません。みんながみんな北海道に行っていたら気がつかないままだったかもしれないこのことをいつかどこかで明らかにして、ＮＧＯ活動の今後に生かさなければと思っています。

今回のＧ８サミットでのＮＧＯの政策提言には二つの手段がとられました。ひとつは留寿都の国際メディアセンター（ＩＭＣ）での「記者会見」。もうひとつは札幌での「市民サミット」の開催。後者は「Ｇ８サミット市民フォーラム北海道」との共催。北海道で中心的な役割を担ってきたＫさんとのコネクションで私もここへはカンパを送っていたので私にはここからの情報も届いていました。
ＩＭＣが置かれた留寿都は札幌から２時間。入場には事前に外務省に申請して手に入れたパスが必要。ということでここでの「記者会見」に参加するＮＧＯはきわめて一部の人に限られました。フォーラムの代表、副代表、環境、人権・平和、貧困・開発の３ユニットの代表、これまでにＮＧＯフォーラムのポジションパーパー作成（文章化）に関わった提言チームメンバーたちです。彼らはＧ８首脳から出される見解に対してタイムリーに記者会見してペーパーを配りモノを言い、メディアを通してＧ８の考えに影響力を持とうと努力したと言うことです。ちなみに内外４０００人ものジャーナリストが仕事をするメディアセンター内に今回サミット史上はじめてＮＧＯはワークスペース＆記者会見場を確保しました。現地からの情報によればこのことで記者会見にはいつも多数のメディアが集まってくれたと言うことです。
　ところがところがそのＮＧＯの記者会見がテレビの映像で見られることはまったくなく、新聞にもその見解が多少関心ある人が読む政治欄に紹介されることはあっても誰もが気づく場所に写真入り記事で載ることはまずありませんでした。それでもＧ８シェルパをはじめとする事務方に届けばいいといえなくもないのですが、それはどうだったのでしょう、現地から報告される外務省審議官のブリーフィングからは期待するほうが無理？の感が否めませんでした。
ただ、これすらなかったらもっとひどいものなっていたかもしれないと思うことはできるのですが。ＩＭＣでがんばった皆さんはさぞお疲れでしょう。札幌は遠く、ともすれば自分たちの仕事がたくさんのＮＧＯの総意だとの認識を持ちにくかったのでは？と推測します。私が彼らの立場だったらそう思っただろうと思います。

そして札幌の市民サミット。政策は直接的な提言活動と世論が動かしていくものなのです。ＮＧＯフォーラムは物理的分断を超えてこの両方でがんばりました。
私は昨日のクロージング・シンポジウムの模様をOur Planet TVのインターネット中継でちょっとだけ見ました。（音が小さくて聞き取れなかった。中継終了時の音楽は大きかった）今朝の朝日新聞にはこの模様を見出しを入れて８行２段分の記事として掲載していました。参加者は約２００名の市民活動家とありました。この市民サミットの一連の行動がもっとしっかり報道されれば、Ｇ８サミットを通して知る国際社会の現状に対する人びとの関心を促せたと思うのですがそうはなりませんでした。沖縄サミットの時私が沖縄で手にした「琉球新報」と「沖縄タイムス」には債務帳消し国際キャンペーンのデモやシンポジウム、嘉手納基地を取り囲む２万人の人間の鎖、アメリカ政府への基地問題の訴えなどが熱く熱く報道されていました。そのことから推測すれば北海道ではメディアも市民の動きに大きな時間と紙面を割いたと考えられますが東京はそうなってはいませんでした。「Ｇ８にＮｏ！と叫ぶ１５０名のＮＧＯのデモ」のニュースがまるでＮＧＯのすべてととられれかねないような報道でした。朝、夕の民放のワイドショウやニュース番組では首脳が食べた食事の内容や厨房やシェフのコメントが、ファーストレディのファッション採点が報道されてもＮＧＯによる市民サミットの模様が報道されることはありませんでした。

そんななか、気候変動とアフリカはよく取り上げられていたと思います。特にアフリカは私が考えていた以上でした。ＴＩＣＡＤ－ＮＧＯネットワークがアフリカから３名のＮＧＯを呼んで発言の場を設定できたことは意味があったと思います。
私の家に１ヶ月近くホームステイしたギュスターブ・アサーさん（ベナン）も再来日してがんばりました。

草の根援助運動はＯＤＡ改革ネットに参加して活動してきましたが、今回このふたつの国際会議でその出番を得ませんでした。少し落ち着いたらＯＤＡ改革ネットの今後についての話し合いをしようという声が出ています。その時までに私ももう一度、ＮＧＯのアドボカシー活動についての考えをまとめなければと思っています。
（ブログ初心者のＱ：今回はこの文章を書いている途中でInternet Explorerを開いては自分の書きかけの文章をすべて喪失ということを二度経験しました。これってどういうことですか？）



　




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         <pubDate>Mon, 07 Jul 2008 10:17:48 +0900</pubDate>
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         <title>ブログ初心者＋続「たちかぜ裁判」</title>
         <description>◆ブログ初心者ということで、早々に失敗してしまいました。実は「７月２日に『たちかぜ裁判』の傍聴に行ってきました。」とたった１行だけ記載して閉じたのは私の本意ではありませんでした。思うこともろもろ書き始めようとしたところで、ちょっと中断のつもりが「公開」になってしまいました。初心者ゆえのケアレスミスです。
　私はいつもパソコン時代があと１０年早く訪れていたならよかったのにーと思っています。私たちの世代にとってパソコンの到来は少々遅過ぎました。パソコンが登場した時、私たちは新しいことに即座に対応する理解力・習得力を失いつつあったのです。自分から学んでみようとする意欲も欠けつつあったために、それからの日々は悪戦苦闘の連続。ブログ更新のミスも至極当然のことだったと言えるでしょう。
草の根援助運動にＭＬが導入されたのは１９９８年３月。そう、ちょうど１０年前！なんです。これって結構時代に先駆けていたのです。Ｐ２に小野さんや楠美さん、渡辺さんがいてくれたので実現した話でしたが、ＭＬはその後Ｐ２にとって命綱的役割を果たしてくれました。とにかくみんな忙しくてなかなか会議がもてないのにここまでそれなりに活動が継続できたのはＭＬのおかげでした。意思疎通が図れ、活動は活性化しました。私はトシ不相応にがんばってここまできました。ただ時々、あと１０年早かったら・・・と愚痴がでます。本当はもっとパソコンを使いこなしたいのです。ブログスタート。これはおもいがけない新しいチャレンジです。
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         <pubDate>Sun, 06 Jul 2008 18:39:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>たちかぜ裁判</title>
         <description>◆
◆７月２日、私は横浜地裁に「たちかぜ裁判」の傍聴に行きました。



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【ごまめのつぶやきＮｏ４５】

原告：海上自衛隊護衛艦「たちかぜ」所属　一等海士Ａさんの両親の裁判

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２００４年１０月２７日、京急立会川駅構内で２１歳の青年Ａさんが電車に飛び込み自殺した。Ａさんは海上自衛隊横須賀基地所属の一等海士だった。自殺の原因は自衛隊内部でのいじめだった。彼の上司、元二等海士Ｓ（35）は日ごろから若い隊員たちをエアガンなどで撃ちまくり、アダルトビデオを高額で買わせ、手製ナイフをちらつかせる恐怖の存在として知られていたという。「たちかぜ」という海の上の閉ざされた空間の中で恐怖は倍増されたことだろう。若い隊員にとってそれは耐え難いものであったに違いない。ちなみにＢＢ弾というプラスティック弾はアルミ缶をも貫通するほどの威力があった。「たちかぜ」内でのこの常軌を逸した暴行・恐喝事件について、一部の幹部は知っていたにもかかわらずまともな対処をしてこなかったという。そのことがＡさんの自殺を生んだことは否めない。
　Ａさんの両親は１年の準備期間を経た今年（２００６年）４月５日、いじめた上官Ｓとともに国の責任を問うために損害賠償を求める民事裁判を起こした。Ｓに関してはすでに刑事裁判で、暴行罪などにより懲役２年６ヶ月、執行猶予４年の有罪判決が確定している。　しかしこの刑事裁判では、すでに死亡したＡさんは法廷で証言できないということで「被害者」にはなれなかった。刑は同じような被害を受けていたことを証言できた３人の隊員への罪を問われて言い渡されたものだった。このとき検事、裁判官はＳに対してＡさんの自殺の責任を追及したが本人は否定した。
　４月５日の第１回公判で父親は何度も言葉を詰まらせながら息子に詫び、自衛隊に対する失望を述べた。息子に自衛隊入りを勧めたのはほかならぬ父親だった。父親は駐屯地で目にした隊員のキビキビした態度に好感を持ったこと、カナダに語学留学をするほど英語好きだった息子が英語を使える機会を得られそうだと考えたことから自衛隊こそ息子にふさわしい職場だと思ったと語った。今は後悔の念でいっぱいだと語った。

　２００１年１月、護衛艦「うみぎり」（横須賀）ではいじめを苦にした隊員（２２）による放火事件が起きた。そして彼が逮捕された後も、第２、第３の放火事件が続いた。次々と起こる事件は多くの隊員が陰湿ないじめと激しい暴力を受けている実態を物語る。さらには潜水艦隊での一連の大麻吸引・栽培事件。自衛隊員個々の資質だけではない他の原因、私たちは自衛隊の構造的な問題を見逃すわけにはいかない。　１９９３年から２００４年の１０年間で自衛官の自殺者数は倍増した。２００４年は９４人にも及んでいる。イラクの復興支援に携わって帰国した自衛官のなかに多くの自殺者が出ているという話もある。「たちかぜ」裁判は始まったばかり。ぜひ注目してください。（２００６．
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         <pubDate>Fri, 04 Jul 2008 20:19:02 +0900</pubDate>
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