2010年08月15日

今年の8月15日

◆「もしもし。どうする?」「どうする?何かある?」
  敗戦記念日8月15日を前に、Sさんと私の会話。
  
  そして今日、二人は関内からイセザキモールを歩いて
  黄金町にほど近いミニシアター・ジャック&ベティへ。
  若松孝二監督が8月上映にこだわった映画「キャタピラー」
  を見にいった。
  「キャタピラーにする?」
  「うーん、見たくないな」
  「そうね、見たくないね」
  と言いながら、けっきょく見にいった。

◆上映初日の昨夕は若松監督と、主演の寺島しのぶ、大西
  信満、篠原勝之の舞台挨拶があり、立ち見を含む200人
  (定員138人)の観客だったと、今朝の新聞に載っていた。
  今日も朝イチ、10:00~の上映にもかかわらず満員。

  さすが、ベルリン国際映画祭で寺島しのぶが最優秀主演
  女優賞を獲得して話題となった作品の注目度は高かった。
  映画は、決して映画の世界ではない現実社会を見せる。
  ベルリンでの評価は監督のメッセージが世界中の人たち
  に届いたことの証明だから嬉しいと思いながらも、最後
  まで見続けるのには、予想通り、大きな努力が必要だった。
  疲れた。

◆ジャック&ベティには1週間前にも行った。そのときは一人。
 不法移民としてアメリカをめざす二人の若者が主人公の映画
 「闇の列車 光の旅」を見にいった。
 見に来なければよかったと思いながら見た。世界の現実は
 あまりにも厳しすぎて私には直視できなかった。
 夢も希望もお金もない若者たちはまさしく生存のために戦闘
 の渦中にある。
 光の旅?私はタイトルに込められた深い意味を正確に受け
 止められなかったような気がする。

◆「来年も映画かしらね?」
  「千鳥が淵かもよ。」
  「来年も元気でいっしょに過ごせたらいいね。」
 「元気でいようね。」(笑)

 今年の8月15日はこんなふうに過ごしました。
 


2010年08月08日

結婚、おめでとう!

泉美ちゃん.jpg

窓の外には氷川丸。次の花嫁さんはだ~れ?

◆P2ユース(学生班)を立ち上げ、しっかり活動してくれた
 Iさんが8月7日、結婚しました。
 いっしょにユースを立ち上げたKさんと二人で、結婚式&
 披露宴(横浜・山下町のホテル)に出席させていただき、
 P2のみんなの気持ちを代表して「おめでとう!を」言って
 きました。
 感激の一日でした。
 ウェディングドレス姿のIさんを一目見た途端、嬉し涙が
 こぼれました。
 パートナーは、地域のスポーツサークル(バレーボール)で
 出会った男性。
 そういえばユース時代の彼女は、大学のバレーボール
 サークルでもがんばっていましたっけ。
 根っからのスポーツウーマン。
 共通の趣味を楽しみながら、きっと幸せな人生を送って
 くれることでしょう。

◆18歳だった彼女とはじめて会ったのは1999年夏。
 P2フィリピン・スタディツアーの時でKさんもいっしょでした。
 翌2000年、二人はP2ユースを立ち上げました。
 ホームステイしたバターン州の漁村で漁民の貧しさの実態
 を知った二人は、日本の大学生として何ができるか考えた
 のです。
 貧しくとも学生たちを虜にした村の人たちの優しさ、フィリピン
 の魅力。
 二人の呼びかけにたくさんの学生が応えて参加、ユースは
 活発な活動を開始しました。
 私は最初の一年間を彼女たちとともに行動。もちろん、主体
 は学生たちでしたが、それまでP2が培った経験や知識、情報
 を惜しむことなく提供しました。
 
◆いろいろ苦労もあったでしょうが、二人の情熱と努力が実を
 結び、ユースの活動はその後後輩たちに引き継がれていき
 ました。
 違法漁船取締りのためのパトロールボートの提供、ブックレット
 「貧困と環境問題」の発行、PRRMカレンダー日本語版発行、
 開発教育教材「お魚ゲーム」の開発と実践などなど、ユースの
 活動は世間の注目を集めてきました。

◆18歳だった学生が20歳代、30歳代と成長し、いつのまにか
  次々に結婚。Tさんはすでに女の子のお母さんになっています。
  これまでも結婚のお知らせを受け取るたびに、感慨を深めて
  きた私ですが、今回のIさんとはいっしょに過ごした時間が長か
  ったこともあり、感激ひとしおでした。
  Kさんからもここ一年以内にお知らせが届きそうで楽しみです。
  それだけ私たちP2メンバーがトシをとったということですが、
  これも活動を継続してきたことへの「ご褒美」のひとつと受け
  取りたいと思います。
  Iちゃん、キレイでしたよ。お幸せに。
  
 

2010年07月29日

「マニフェスト」から「アジェンダ」へ?

◆「ごまめのつぶやき」は地域ミニコミ誌。もう20年ぐらいに
 なる。メンバーは6名。今は私が編集長。
 年に3回の発行。その時々、6人がそれぞれの思いを文章に
 している。政治評論もあれば、それぞれの分野の詳しい情報も
 あり、ほっとする野菜栽培やネコの話、エッセイも。
 No56の印刷発送作業日を前に、私の原稿をここに紹介します。

◆「マニフェスト」から「アジェンダ」へ?

7月11日、参議院選挙が行われた。選挙戦は、日本チームの
決勝リーグ進出で列島が沸きに沸いた南アでのワールドカップ
期間と重なった。早朝からテレビの前で一喜一憂を繰り返して
きた人びとは最後に笑うことができただろうか? 
 いえ、スペインが優勝して嬉しかったとか、オランダが負けて
悔しかったとかいう話ではない。タコのパウルくん(ドイツ)の占
いがすごかったねという話でもない。選挙結果の報道に、テレビ
の前でニッコリ笑顔を見せた人がどれほどいただろうかという話。
 与野党いずれの政党に投票した人も勝利を実感できず、ただ
ただ先行きに不安感を募らせただけ、そう、ため息をついただけ
だったのではなかったか。

先の衆院選から一年もたたない間に、民主党の支持率がなぜ
ここまで落ちたのか。その理由を語らせれば国民はたぶん一億
総政治評論家だ。理由はあまりにもはっきりしていた。
一方で自民党にだけは政権を戻したくないという人たちの存在
は揺るぎなく、今回注目を集めたのがみんなの党だった。「増税
の前にやることがあるだろう」「我々のアジェンダは―」の語りが
有権者にとって新鮮で魅力的だったようだ。この国の市民は新し
い言葉に弱い。これで政治はマニフェストからアジェンダに?

マニフェストに罪はない。それまでの「政治公約」は政党がいつでも
責任逃れできる抽象的なものだった。それを民主党は去年の衆院
選で、政策の数値目標、実施期限、財源、方法などを明記して「マニ
フェスト(政治公約)」と表現し有権者に示したのだった。目標が達成
できなかったら当然その理由を説明しなければならない。
 有権者は「マニフェスト」を掲げたことで、民主党の責任感、覚悟の
ほどを見て取った。その結果政権交代が実現した。「マニフェスト」
は地方選挙から使われ始めたもので、決して民主党の専売特許では
ない。私たちは民主的な政治が行われるためにこの「マニフェスト」を
手放してはならない。

他方「アジェンダ」は?アジェンダとは単に、協議事項、議題、予定表、
行動計画を意味する言葉だ。みんなの党はこれを「政策課題」の意味
で使ったようだが、この言葉からは政党の責任感を見て取ることは
できない。どんな社会をつくろうとしているかを把握することもできない。

有権者は新しい言葉に惑わされることなく、政党の本質を見極める
ことが大事。どこかで次の選挙の受け狙い・流行り言葉を考えている
政党があるかもしれない。  

(山中悦子)

2010年07月04日

資料整理

◆来週8日、ちょっとした集まりで話をすることになっている。
 3回の連続講座の2回目でテーマは「貧困の原因」。前回は
 「貧困とは」をワークショップ形式皆で確認した。
 貧困の原因には自然環境(旱魃、台風、地震など)もあれば、
 人為的なもの(戦争、政治腐敗、債務など)もある。
 時間をかけて話すことになるのはたぶん「債務問題」。参加者
 にとってはじめて聞く話になるだろう。
 日本でのフツーの暮らしの中で途上国の債務問題は遠い話。

◆理解をすすめてもらうためにあの資料がいいと思い出したの
 は、フィリピンでつくられた「債務の話」の本(日本語版)。
 フィリピンへの日本の援助がマルコスファミリーを豊かにした
 だけものであったことはその後明らかになったのだが、その
 時の援助「円借款」は多額の借金返済となって未だに国民に
 大きな負担を強いている。
 「債務の話」はこうした現状をわかりやすく伝えるために市民
 団体が作成した小学生を読み手にしたような本だった。

◆・・・ところがみつからない。たぶんあの時、捨てたのだ。
 長年活動していると、資料はたまる一方。特に「ジュビリー2000
 債務帳消し国際キャンペーン」に取り組んだ時には勉強、勉強
 で資料の山だった。
 あの時とはもう3、4年前のこと。もう使うこともないだろうと、ある
 日思いきって大量処分した。

◆この2、3日も書類整理に追われた。
 私みたいなものの机の周辺にも資料はすぐにあふれる。いつの
 頃からか、肝心な書類がすぐに見つからなくなった。
 私は手に入れた資料を再び開いて何かを書いたり、人に話した
 りする方だから、資料は長めにとって置く。
 で、時々大掛かりな整理に追われる。

◆「債務の話」は結局見つからなかった。
 貴重なものだったが、持ち物をできるだけ処分してすっきり暮ら
 すことが大事と思えたあの日に「思い切って」処分したのだろう。
 だから今回のようなことがあっても悔いはない。 
 頭に残っていることで話すしかない。それが出来なくなったら話さな
 ければいい。
 それにしてもあの本を捨てたとは・・・。でもそれを言ったら永久に
 資料整理はできない。これでいい、これでいい。
 

2010年06月30日

藍ちゃん

◆日本中がワールドカップの話題一色の中、私は一人宮里藍の
  ゴルフに感動していた。
  今季すでに4勝の宮里は、6月24日、世界ランク1位、獲得
  賞金額1位でメジャー大会(USLPGAツアー)を迎えた。
  結果は3位に終わり、世界ランク1位の座をクリスティ・カー
  (アメリカ)に奪われたのだが、彼女は本当にすごかった。

◆中継があったわけではなく、毎日の結果は翌朝のネットで
  知る4日間だった。初日97位。「もうだめだ~。」2日目、
  48位。「すごい!」 3日目、24位。「うそー、24位?」。
  そして最終日、宮里藍、3位。「3位?藍ちゃんが?3位?」
  3日目2位で終えたのは宮里美香だった。3位は宮里美香
  の間違いではと思って当然。

◆途中腰に違和感があったという宮里藍のなんというがんばり。
  私はゴルフをしないけれど、テレビ中継はよく見る。ゴルフは
  4日間の長丁場。その間のコースコンディションは全員に
  不平等。スタート時間が早朝の人もいれば午後になる人も。
  時間が違えば自然条件も変わってくる。途中から雨の中での
  プレーになったり、芝の状態にも違いがでてくる。
  惜しいプレーが続けば投げやりになっても不思議でない。結果
  はすべての条件に加えて自分自身をコントロールできて初めて
  出せるもの。

◆出場した日本選手は4人。97位は4人中最下位スタートだった。
  3日目終了時点で2位だった宮里美香は結局13位に終わった。
  横峯さくらも最終日は前日より順位を落として25位。有村智恵
  も同じく順位を落として34位。(上田桃子は予選落ち)
  宮里藍がダテにアメリカで苦労していたわけではないことの証明
  といえるだろう。
  すごいとしか言いようがない。

◆ワールドカップ、日本のベスト8進出ならず。善戦。ただ今の時刻、
 午前・・・、さあ、早く寝なくては。


  

2010年06月19日

モデル

咲良2010.4. 054.jpg
◆マゴサクカメラマンのモデルになった私です。
 いつもは写真に写りたくないと逃げ回っているのですが、
 この時ばかりはイヤと言えずに、写されました。
 
 

マゴサク日記No7

咲良2010.4. 063.jpg
◆マゴのサクラですが、大きくなりました。2歳8ヶ月です。よく
 しゃべります。大人との会話はほとんど成り立ちます。どこへ
 行った、誰と会った、何をした・・との報告も正確です。「移動」
 や「必要」などという言葉も使います。
 幼児だと思うのは家のなかで走り回ること。ゆっくり歩くことが
 ありません。回っていないと倒れるコマのようです。
 運動は好きそうで活発です。
 食事もトイレもだいぶ上手になりました。外出先では結構歩く
 ようにもなりました。
 
◆最近サクラはカメラマンデビューを果たしました。写されるより
 写す方が好きみたいです。カメラを向けると反対にすぐモデル
 にされてしまいます。構える間もなくシャッターを押します。
 でも不思議に必ず撮れています。
 先日は私の家に来て、机の前に一人で座って、30分近く絵や
 字(文字にはなっていないもの)を書き続けていました。
 こんな小さな子にも集中力、持続力があるのを知って驚きました。

◆順調に成長していることに感謝です。 


 

2010年06月14日

西へ東へ

◆いつのまにかブログから縁遠い毎日になっていました。
 思うこといろいろ。言いたいこといろいろ。旅報告いろいろだったの
ですが。
 で、いささか旧聞に存じますが・・・で再開します。

◆3月末、フィリピンから戻って2週間ほどのち、ODA改革ネット全国
運営会議に出席のため、岐阜県最南端、愛知県、三重県の県境
に位置する海津を訪れました。 会議&宿泊の場所は「海津温泉」。
鄙びた温泉宿を想像していましたが到着してびっくり。町の人たち
が楽しむ大きな「温泉施設」でした。
 それでも温泉は本物。慌しく楽しみ、まじめに会議。ODA改革ネット
の再建なるか?注目度が下がってきたことは否めなくとも、ODAの
役割は終わったわけではありません。九州、関西、中部、東京の
4地域の連携を強みに活動強化を確認しました。

◆せっかくここまで来たのだからと、近鉄に乗り三重県を横断して
奈良へ。橿原神宮前のホテルでいつもの(社宅時代からの)友人
たちと合流。
  高校の修学旅行以来の飛鳥路散策。四分咲きの桜と菜の花に
囲まれた
  石舞台で時ならぬ吹雪に見舞われながらも古代を満喫。高松塚
古墳、飛鳥寺、橘寺。満足。いつの日にか再びの奈良。
  あとは唐招提寺とせんとくんの平城宮跡。一大イベント開催目前
の静かな都跡を歩きました。
日本美術を学んだ大学時代にゆっくり滞在した奈良。あのころ
何もなくただただ広いだけだった都跡に大極殿が再建されていま
  した。感無量。

◆大谷川(ダイヤ川)の渓流とあふれる若葉、咲き乱れる山つつじ。
東照宮、小杉法あん美術館。5月半ば、大学時代の同級生、女性
のみ12人が日光に集いました。神戸から、京都から、秋田から、
 佐野から、土浦から、東京から、横浜から。
 日本最古の洋風ホテルといわれる金谷ホテルに泊まりました。
 仕事や活動の話は、なし、家族の話も、なし。目の前の景色の話を
 して、目の前の食事の話をして笑いました。学生時代一番仲良し
 だった友だちと同室で泊まって 旧姓で呼び合って、時の流れを遡り
 ました。非日常の時空に感謝。次回はいつ、どこで? 同じメンバー
 が勢ぞろいできますように。
 ※中学の修学旅行は日光でした。乗り物に弱い私は不参加。登校
   して勉強していました。

◆箱根、海津(岐阜)、そして茂庭。有名な秋保温泉に近い茂庭行き
 は今年3ヶ所目の温泉めぐりとなりました。6月12~13日、仙台市
 戦災復興館で開催された「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」
 のワークショップに参加したところ、思いがけず温泉宿泊プレゼント
 がついていたのです。
 多文化理解の講義のために、今世界や日本が移民問題にどう向き
 合っているのか、現場の状況を把握したいと思ったのが参加の動機。
 「全国ネットワーク」、「連帯」の文字が示す通り、北海道を除くすべて
 の地域から移住労働者とその家族をサポートする人、団体、政策提
 言をする人が集まりました。約130名。韓国からの参加者や日系
 ブラジル人の女性たちとはすっかりうちとけて話ができました。
 私には研究者の集まりより実践者の集まりの方が居心地がいい。
 西へ東へ。運動仲間との時間を過ごすようになって25年。そういえ
 ばこの種の初めての旅も仙台でした。たしか、「合成洗剤追放全国
 大会」だったような。

◆これまで訪問したのは、沖縄、佐世保、湯布院、岩国・広島、福生
 (横田)。そして、名古屋、高槻、京都、山形。
 東へ西へ。西へ東へ。次はどこになるのでしょうか。


2010年03月25日

フィリピンへ行ってきました

アキノ・ロハス.jpg
次期大統領・副大統領は間違いなし?
アキノ大統領候補&ロハス副大統領候補のボランティアセンターにて。
Gee と Muffet。Geeのバッグは私のおみやげ。横浜元町のKブランド。

◆1年半ぶりにフィリピンへ行ってきました。
 友人の調査(「フィリピンにおける直接民主主義について」)の
 現地コーディネートを私が担当しました。
 フィリピン人の友人Geeとその友人のMuffetが協力してくれたことも
 あって、調査目的が充分果たせるスケジュールが組めました。
 私が滞在した5日間はマニラ首都圏ケソン市内でインタビュー。
 知り合いのフィリピン大学教授、NGOリーダー、POリーダーに
 加えて、市議、副市長政策秘書、バランガイキャプテンなどに
 次々に面会。
 国民投票、住民投票は行われはするが、それで結果が得られた
 という成功例となると・・・、そう簡単にはみつからない。
 私が帰国したあと友人はヌエバ・エシハで5日間。地方から国政が
 どう見えているのかが発見できるに違いない。

◆ケソン市内。
 PRRMのオフィスに近いという理由で、26F建てのホテルの
 25Fに泊まりました。窓から見た隣の部屋は エーッ???
 日本では考えられない。この角部屋、上から下まで未完成。
 ブロックがむき出しのまま。それで開業しちゃうのだからスゴイ。
 やっぱり、ここは、フィリピン!
 マニラ湾も、そこに浮かぶ船も見えました。マカティの高層ビル群も
 見えました。北東方面には連なる山並みが間近に迫って見えました。
 で、ケソンは発展したのでしょうか。
 来れば必ず訪問するバランガイ・タルヨン、バランガイ・サントドミンゴ。
 川沿いのスラムエリア。今回もいままでと変わらない人々の暮らしに
 出会いました。

◆選挙が近い。
 親が元大統領、祖父が元大統領の大統領・副大統領候補者の勝利が
 予想されています。
 ケソン市の市長候補者は現副市長です。でも副市長候補は現市長の
 お嬢様です。市内至る所に、市長とお嬢様のツーショット写真が 溢れて
 いました。お嬢様は超美人です。候補者はみんな二世、三世か映画や
 テレビの人です。ケソンの市長候補者(現副市長)は元コメディアンだった
 そうです。
 大統領・副大統領、上院議員・下院議員、パーティーリスト(政党リスト)、
 市長・副市長、市議、バランガイ・キャプテン、バランガイ議員のすべて
 を一挙に選びます。それも1枚の投票用紙で投票するのです。
 初導入される電子投票システムについて、パワポでレクチュアを受けました。
 が、殺人も、お金のばら撒きも、不正投票、不正開票もこの制度でブロック
 できるとは思いません。
 制度の国民への周知も、運用の正確さもあまり期待できないと思いました。
 
◆かつてきわめて政治的だったNGOのリーダーはすべての大統領候補者に
 期待していません。政治はもういいと言っていました。
 個別具体な課題解決のためにがんばるだけとのこと。
 気候変動、平和、原発、有機農業、などなど。
 気持ちはわかりますが・・・、かける言葉を持ちませんでした。

 
 
 

2010年01月15日

新年スタート

富士山.jpg

◆新年が無事、スタート。
昨夏の義父の死に伴い、喪中で迎えたお正月は夫と二人、
穏やかで、静かだった。
行動開始は3日。東京箱根間駅伝の復路を東神奈川の沿道
での応援。
そして、5日と6日は箱根。旅日和に恵まれ、外を歩くのも楽
だった。
訪ねたのはポーラ美術館(ボナール展)、ガラスの森美術館、
マイセン庭園美術館、そして、駅伝ミュージアム。
加えて、芦ノ湖、富士山に、ホテル、温泉、ご馳走。
新年早々身にも心にも贅沢三昧。

◆駅伝ミュージアムは、箱根駅伝の往路ゴール&復路スタート
地点の隣。小さなミュージアムは駅伝の歴史勉強部屋。
実は私の駅伝応援歴はすごいかもしれない。歴史勉強部屋で
そのことに気がついた。
往路3区の茅ヶ崎・湘南遊歩道路近くで育った私はその昔から
父や兄たちと応援していた。指折り数えてざっと50年前から?
テレビで見る沿道の松の木の高さがそれを証明。
あの頃の松ノ木は小学生の私の身の丈ほどだったもの。
私にとって箱根駅伝は父や兄との思い出、郷愁そのもの。

◆箱根の帰路は山下りコースの追体験コース。
この距離、この坂の駆け上り、駆け下りは信じられないと、
途中何度声に出して驚嘆したことか。すべての選手に脱帽。

◆私は諦めがいい、というか、粘り強くない。
身体にだいぶ疲れが見えてきた昨今、活動にも意欲喪失
気味。
けれど新年の箱根路はやんわり私の背中を押した。
もう少しだけ、やることをやろうか・・・と小さく決意。
明日は、たくさんの外国籍の子どもたちが通う横浜の小学校
を訪問。またまた「現実」を勉強する。私の行動する一歩。

◆あ、そうそう、今回の箱根は夫との二人旅。
同年齢と思しき夫婦二人連れにたくさん出会って、夫は初めて
世間はそういうものだと知ったようだ。この世間並みが我が家
でいつまで続くかはわからない。
春が来て、夫がまた忙しくなれば、私は私でまた忙しくなるでしょう。