春、友を偲ぶ
◆4月の10日間に、私は3人の友を偲んた。
◆4月9日(木)
高校時代の同級生4人グループの一人だった石井昌子さんのお墓へ、残された3人でお参りした。命日は極寒の年の瀬のことだったが、花のお寺として有名な常泉寺(大和市)へ、そのなかでも特に有名な三椏(みつまた)の花の盛りにお参りした。彼女は私たち3人へガンであることを伝えないまま逝ってしまった。
(命日:2007年12月27日 享年61歳)
◆4月11日(土)
全国ネットの平和運動「脱軍備ネットワーク キャッチピース」の運営委員の一人、青木雅彦さんを偲ぶ会が京都で開かれた。小さな会だったが「自衛官人権ホットライン」(京都)の呼びかけ人をつとめた鶴見俊輔さん(哲学者)、中村尚司さん(龍谷大学教授 元PARC共同代表)も参加された。
彼は京大生時代に世界をよくしたいと反戦ドタバタ会議を立ち上げ、「月刊キャッチピース」では、理想論を否定し、自衛隊が存在する現実を前提とした軍縮を具体的にどう実現するかのロードマップ「ハープオプション」を提言して注目された。
私的なことを多く語らず、最後は故郷丹波篠山に戻り人知れず亡くなった。活動仲間が彼の死を知り偲ぶ会を開いたのは1年後のことだった。生きることに貪欲になれなかった彼の死をみんなが惜しんだ。
(命日:2008年3月19日 享年52歳)
◆4月18日(日)
P2の現役事務局長のまま急逝した永野広務さんの命日に、石塚さん、小野さんとお墓参りをした。彼のお墓は茅ヶ崎市の最西南部、海岸にも相模川にほど近い彼の故郷にある。
花々が咲き乱れ、木々がやさしい緑色の葉を重ね始めた美しい季節に永野さんは逝った。私も同行したP2のパートナーNGO、インドのニューホープ視察の旅でマラリアに感染したのだった。
石塚さん、小野さん、永野さん、そして私の4人は気がつけばいつもいっしょだった。私たちはそれぞれの思い、それぞれのかかわり方でP2とともに歩いてきた。誰が欠けても活動は存続し得ないと思えるほど支えあっていたなかでの彼の急逝だったから、その衝撃は大きかった。
私たちは彼がそれを望んでいるはずと悲しみを乗り越えとにかく精一杯P2の活動に取り組んできた。
ピンクのデンファレ、青紫の千鳥草、白いマーガレットとスターチスをまとめた花束を備えて私たちは永野さんに「まだまだがんばるね」と語りかけた。
永野さん、来年は北沢洋子さんもごいっしょしてくださるそうよ。
(命日:2006年4月18日 享年48歳)
◆行く春に友と偲びぬ逝きし友