« 2009年03月 | メイン | 2009年05月 »

2009年04月29日

桜 その2

◆桜満喫の「2009年の春」だった。もう、大満足。思い残すことは何もない。
あらら(!?)
千鳥が淵、市ヶ谷外濠公園、大倉山梅林(港北区)、三つ池公園(鶴見区)とハシゴにハシゴ。
その上、三井寺・海津大崎(琵琶湖畔)、原谷苑・仁和寺(京都)の桜・桜・桜。

◆4月11日、京都での「青木さんを偲ぶ会」に出席したあと、奈良や大阪に住む友達と会って琵琶湖畔へ。その夜三井寺で夜桜見物。はじめての近江の桜。
翌日は湖西線でマキノ町へ。遊覧船で湖上から海津大崎の延々と連なる桜並木を眺めた。

◆再び京都へ戻り、原谷苑へ。
圧巻!八重紅枝垂桜が空を覆い、雪柳、山吹、桃、木瓜、御室桜、杉の交響曲。人も多かったし、入場料も安くなかったけれど、それに負けない花の苑だった。

そこから仁和寺へ。最後は御室桜。桜満つ。

来年はどこで、だれと、どんな桜を楽しむことになるだろう。

2009年04月28日

中村成信さんの処分の行方

◆4月25日、茅ヶ崎市内で「中村成信(しげのぶ)さんの処分撤回と家族支援集会」が開かれました。
 元茅ヶ崎市職員の中村成信さんが万引き事件を起こして懲戒免職処分を受けたのは2006年2月のことで、早いもので、すでに3年が過ぎました。
 「バレンタインデーに市職員がコンビニでチョコレートを万引きした」というニュースはマスコミを通じて瞬く間に市民の知るところとなり、非難の声のなか、市長は本人の事情聴取も行わず2週間後には中村さんを懲戒解雇処分にしました。

◆万引きが、若年性認知症の一種「ピック病」によるもの、本人に自覚のないままの行為であったことは事件後、早々に明らかになりました。
 事件直前、同じような柄のネクタイや靴をしこたま買い込んできていた中村さんを、普通ではないと感じていた家族が、事件直後に本人を専門医に診せピック病の診断を受けました。
 今、中村さんは介護保険の認定も受け、神奈川県市町村職員共済組合の障害共済年金も受給しています。病気であることは公的機関にも認定されています。

◆病気ということで、中村さん側は当然懲戒免職処分の撤回を求めました。「中村さんを支える会」も結成され、支援の輪も広がっています。
 けれど市長はこれに応じることなく、判断を「公平委員会」に委ねたまま今日に至っています。

 「公平委員会」は弁護士ら市民代表3名で構成されています。委員会は3回にわたって開催され両者の言い分を聞いた委員がどちらの言い分を是とするかの判断を下します。
 3月で3回目の委員会が終了した今は、5~6月ごろと見込まれる審判を待っているところです。

◆公平委員会で市側に立つ医師(K大学准教授)は本人を診断することなく、画像診断のみを根拠に、中村さんはピック病ではないと主張しました。ピック病はアルツハイマーとは違うのですが、まだまだ認識されて間もないところから委員会が医学論争に終始すれば結論は出しにくいものになることでしょう。

 けれどこの間、残念ながら中村さんの病状はすすんでいて、公平委員会でも、まっとうな答えをする一方、あきらかに病気であることを本人自ら証明したのでした。

◆懲戒免職処分後の3年間は、本人と家族に尊厳と経済の両面で多大な痛みを強いてきています。
 ピック病のことを知った時点で処分の取り消しを行う市長を責める市民はいないでしょう。市長は、一度下した処分の撤回は判断ミスを認めたことになると考える必要はないのです。
 私は一日も早く当然の対応をしてもらえないものかと心から願っています。
中村さんのケースは誰にでも起こりうることなのです。

2009年04月20日

春、友を偲ぶ

◆4月の10日間に、私は3人の友を偲んた。

◆4月9日(木)
 高校時代の同級生4人グループの一人だった石井昌子さんのお墓へ、残された3人でお参りした。命日は極寒の年の瀬のことだったが、花のお寺として有名な常泉寺(大和市)へ、そのなかでも特に有名な三椏(みつまた)の花の盛りにお参りした。彼女は私たち3人へガンであることを伝えないまま逝ってしまった。
(命日:2007年12月27日 享年61歳)

◆4月11日(土)
 全国ネットの平和運動「脱軍備ネットワーク キャッチピース」の運営委員の一人、青木雅彦さんを偲ぶ会が京都で開かれた。小さな会だったが「自衛官人権ホットライン」(京都)の呼びかけ人をつとめた鶴見俊輔さん(哲学者)、中村尚司さん(龍谷大学教授 元PARC共同代表)も参加された。
 彼は京大生時代に世界をよくしたいと反戦ドタバタ会議を立ち上げ、「月刊キャッチピース」では、理想論を否定し、自衛隊が存在する現実を前提とした軍縮を具体的にどう実現するかのロードマップ「ハープオプション」を提言して注目された。
 私的なことを多く語らず、最後は故郷丹波篠山に戻り人知れず亡くなった。活動仲間が彼の死を知り偲ぶ会を開いたのは1年後のことだった。生きることに貪欲になれなかった彼の死をみんなが惜しんだ。
(命日:2008年3月19日 享年52歳)

◆4月18日(日)
 P2の現役事務局長のまま急逝した永野広務さんの命日に、石塚さん、小野さんとお墓参りをした。彼のお墓は茅ヶ崎市の最西南部、海岸にも相模川にほど近い彼の故郷にある。
 花々が咲き乱れ、木々がやさしい緑色の葉を重ね始めた美しい季節に永野さんは逝った。私も同行したP2のパートナーNGO、インドのニューホープ視察の旅でマラリアに感染したのだった。
 石塚さん、小野さん、永野さん、そして私の4人は気がつけばいつもいっしょだった。私たちはそれぞれの思い、それぞれのかかわり方でP2とともに歩いてきた。誰が欠けても活動は存続し得ないと思えるほど支えあっていたなかでの彼の急逝だったから、その衝撃は大きかった。
 私たちは彼がそれを望んでいるはずと悲しみを乗り越えとにかく精一杯P2の活動に取り組んできた。
 ピンクのデンファレ、青紫の千鳥草、白いマーガレットとスターチスをまとめた花束を備えて私たちは永野さんに「まだまだがんばるね」と語りかけた。
 永野さん、来年は北沢洋子さんもごいっしょしてくださるそうよ。
(命日:2006年4月18日 享年48歳)

◆行く春に友と偲びぬ逝きし友 

2009年04月09日

◆桜、見まくってます。
千鳥が淵、外濠公園(市ヶ谷)、大倉山梅林(港北区)、三池公園(鶴見区)、自宅周辺(菊名:港北区)。電車の窓から目黒、多摩川、川崎。
そして今度の土、日、月は三井寺(滋賀)、京都。
 ちょっとここまですごいのは生まれて初めて。いったい何千本の桜を愛でることに
なるのでしょう。
どこの桜も皆一番。そう、皆ほんとうに美しい。思い出の中の桜も、目の前の桜も皆本当に美しい。幸せな、幸せな春です。