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2008年10月23日

マゴサク初渡米 (マゴサク日記No3)

◆マゴサク(孫の咲良)は只今ロスアンジェルスです。2週間前、1歳の誕生日を2日後に控えた生後363日目の彼女は母親との二人旅で成田からアメリカに向いました。12.5cmの真新しい白いシューズを履いて、文字通りヨチヨチ歩きながら、バイバイと手を振って元気に出発。フライト時間は10時間。なんとかまわりに迷惑をかけずに到着して、3週間ほど先着の父親と久しぶりの再会を果たしました。

 父親はビジネスマンですが、今会社のお金で日本で大学院生をしています。そして今日現在3ヶ月間のアメリカ短期留学中です。娘とマゴサクは「私たちもアメリカへ!」と張り切って出かけました。もっともマゴサクが本当に張り切って行ったかどうかは疑問ですが-。彼女は時折父親が通う大学・UCLAへ出向きキャンパス内をウロウロしているようです。将来勉強好きな子どもに育つでしょうか。大きくなった時「(オバマが大統領になった時の?)大統領選挙をアメリカでみていたわ」なんてことを言うのでしょうか?

◆彼女がパスポートを使うのは7月の韓国旅行に次いで2度目。生後6ヶ月で取得したパスポートの写真はもう過去の幼な顔。この間に彼女は乳児から幼児へと変身しました。当たり前といえば当たり前の成長ですが、実は当たり前ではない恵まれたことだと今私は心から感謝しています。さまざまな病気や状態に苦しんでいる赤ちゃんはドラマの上だけのことではありません。娘の従兄も1500gで誕生して何年か前の秋に15歳で逝きました。 

 8月のP2ツアーで訪れたフィリピンには、相変わらず劣悪な環境のなかで暮らすたくさんの子どもたちがいました。ゴミの山でスカベンジャーとして働く若い父親に抱かれた子どもも、川沿いのスラムで暮らす若い母親に抱かれた子どもも同じように下半身には何ひとつ衣服をつけていませんでした。排気ガスが充満する道路の端で一心に遊んでいる裸足の子どもたち。皆、栄養不足や病気やケガ、さらには交通事故と隣り合わせの毎日です。行くたびに目にしてきたこの光景も、マゴサクの成長と重ね合わせてみた今年のインパクトは特別でした。だからこそのNGO活動であるはずなのですが、まったく力及ばずです。

◆今年も県立大学での週一の講義が始まりました。外国籍市民の在留資格や国籍の話、そして今日はニューカマーやオールドカマー、ブラジル移民などの話をしました。学生たちは大人の都合でいろいろな苦労をする子どもたちがいることに憤りをおぼえたようです。彼らなら子どもたちをきっと幸せにできることでしょう。


2008年10月03日

進次郎よりジョージ


   進次郎よりジョージ
原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀母港化報告
 
  月刊キャッチピース編集部 山中 悦子

◆9月25日、小泉元首相が地元横須賀で支持者に引退を表明すると同時に、次男の進次郎氏を後継者として披露するということで、大挙して横須賀に押しかけたマスコミは、「進次郎」、「ヨーッ、四代目!」、「イケメン後継者」・・・の文字や写真、映像を即、テレビに、新聞に、週刊誌に躍らせた。詰めかけた記者やレポーターたちはその日の朝、そう、ほんの数時間前に同じ横須賀に原子力空母が入ったことを知っていたのだろうか。進次郎よりジョージ。進次郎ネタに費やす時間やスペースがあんなにもあったのなら、国家の一大事、原子力空母ジョージ・ワシントン(GW)のことを丁寧に詳しく多くの人びとに知らせるのがジャーナリズムのお役目だったのではないだろうか。このレポートはマスコミ批判が目的ではないのだけれど、これが日本の現状だと思うとなさけないと言わせてほしい。「ジョージ・ワシントンついに横須賀へ」のニュースはなぜ進次郎に負けるのか。

◆2008年9月25日、午前9時05分、水平線上に顔を出したGWは、9時15分、横須賀基地湾内へ入ると私たち平和船団の目の前をゆっくり横切り10時05分、12号バースに接岸。新聞報道によれば「ジャスト・アライブ」の場内放送が流れたその瞬間、船内は歓声と拍手に包まれたとのこと。
この日終日、市民たちは海と陸から抗議行動を展開した。6時前の観音崎。「米原子力空母の横須賀配備を阻止する三浦半島連絡会」の約100名が横断幕を掲げた。7時30分、その観音崎沖をGWが通過。8時30分、「原子力空母横須賀母港化を許さない全国連絡会」の約350名が抗議の声をあげるうみかぜ公園の前をGWが通過。続いて9時、GWは八景島シーパラダイスに程近い横浜市大医学部脇の海辺の散歩道前を通過。そして、9時30分、GWは私が参加した平和船団の海上デモにもっとも近づき、そして通り過ぎた。
12時30分、神奈川県庁周辺で労組メンバーが抗議の横断幕。13時、ヴェルニー公園で全学連約100名が集会。彼らのうち40名は午前中には海上行動。15時、非核市民宣言運動・ヨコスカのメンバーによる基地正門前でのGW乗組員への英文チラシ撒き。「To American Naval Personnel Let’s think about peace together From Yokosuka citizens」。18時30分、ヴェルニー公園で平和フォーラムによる原子力空母入港阻止全国集会&基地前・市内デモに4500人。
けれど、予想通り、こんな抗議などどこ吹く風。GWの母港化はあっさり完了。10時
38分~11時30分、約1時間の記念式典。岩国市長、下田市長、横須賀市議が出席。14時50分、ウィンター海軍長官が蒲谷横須賀市長を表敬訪問。市長はかつて、空母が入港するたびに横須賀の名前が報道されて嬉しいと発言した人。どんなニコニコ顔で海軍長官を出迎えたのだろう。

◆私の平和船団デビューは、1991年9月11日、空母インデペンデンスが入港した時だった。ここ最近はご無沙汰だったが、キャッチピース編集部員の肩書きにモノをいわせて(?)今回は久しぶりに船団に加えてもらった。私を含む多くの参加者は午前6時、京急追浜駅に集合してバスでヨットハーバーへ。すでに鈴木茂樹船団長、おむすび丸市川平船長、総指揮官の新倉裕史さん(非核市民宣言運動・ヨコスカ)たちが采配をふるうなかに入り、少しだけ準備に加わって出発を待った。そして7時30分、ヨットやボートに分かれた約25名は海上に出た。ピースリンク広島・呉・岩国の皆さんも持参してきたゴムボートで出発。そして名古屋からの参加者も。
私の舟には新倉さん、平和フォーラムの井上さん、そして市民運動お抱えカメラマンの今井明さんら計8名。いでたちは皆おそろい。核防護服もどきの白い紙製のツナギ服、ビニールのゴーグルにマスク。ライフジャケットをつけて装備完了。
さて、これからGWを迎え撃つのだと、スピードを増す舟のなかで私が精神統一、武者震いをしたところでびっくり。海上保安庁の巡視艇が大小たくさん寄ってきていきなりの命令。「荷物検査をしますから○○へ行ってください」「???」「N:何言ってるの?」「支持に従いなさい」「N:聞いていない」「あとについてきなさい」。あちらの舟も止められ、こちらのゴムボートも止められ、行きなさい、行かないの押し問答。最終的にはその場で巡視艇から職員(どう呼ぶのかわからない)が乗り込んできて舟のなかをチェック。「免許証を見せなさい。○○は?××は?」「N:なんで今聞くの?申請書に書いたでしょ」。この間45分。巡視艇は海上デモ行動を妨害したかったのに違いない。ミエミエの威嚇。横須賀海上保安庁と平和船団が20年簡にわたって築いてきた信頼関係をズタズタに引き裂く信じられない行為だった。全員が防弾チョッキを着込むそのモノモノしさは何?この日出動した巡視艇は50隻。新倉さんの顔も知らないよそ者ばかりと見受けた。

◆余計なことでエネルギーを消耗した私たちだったが、しっかりGWを迎え撃った。まずは自分自身に驚いた私。乗船していたイラン放送の取材者が思わずビデオカメラを私に向けて回し続けた。
そう、目の前のGWに向って私は叫んだ。下手な英語を承知で声を限りに何度も何度も。甲板にマッチ棒のように並んだ水兵さんたちにきっと届くと信じて叫んだ。「すぐに自国へ戻ってちょうだい。横須賀から今すぐ帰って。日本政府が歓迎しても市民は母港化を認めない。世界のだれも殺さないで。」目の前を空母が通った時、艦載機が見えた。兵士が見えた。この艦載機で、この兵士たちが戦争だといって空爆をしていると思うと叫ばずにはいられなかった。他の舟からは船団を代表してマイクを使っての抗議の声が流れていた。ゴムボートもがんばって横断幕を広げ続けた。
 私はピースマークの旗と「No! CVN」のポスターの看板を捧げ続けた。私たちの舟はゴムボートをロープで引っ張っていたので、「いらない!原子力空母」の横断幕が目立つおむすび丸と並んでGWに抗議している様は絵になったよう。朝日新聞の社会面と、NHKニュースのなかでその様子が紹介された。

◆デモ規制が解かれてからできるだけ平和船団はバースに近づき(自由にではなく巡視艇にリードされたコースで)GWを見つめ直した。全長333メートル。艦載機70機。乗組員5800人。本当に異様としか言いようのない目の前のこの船を原子力が動かしていると思うとあらためてゾッとした。長い海上滞在を終えて陸に戻ると11時を過ぎていた。
母港化をどうぞという日本政府と横須賀市にたとえようもない強い怒りを覚える。この日から母港化撤回を目ざしてまた歩き始める市民たち。その輪が大きな大きな輪になって、撤回が実現しますように。

※月刊キャッチピースNo157(2008.10.5発行)