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2008年08月28日

サザン ファイナルコンサート 周辺の話

サザン ファイナルコンサート 周辺の話

◆8月24日午後10時過ぎ、ホーム上で駅員さんがマイクを使って乗客に絶え間なく案 内する騒々しい声が聞こえてきました。私の自宅は駅のホームに面しているマンションの7階。新横浜の日産スタジアムでサッカーや何かのイベントがあると、ホームは帰路に着く人びとで約1時間はごった返し、いつもは聞こえないアナウンスが窓を閉め切っていても気づくほどノイジーになります。今日は何? わぁ、そうだ、今夜は♪サザン、ファイナルコンサート最終日だった!

サザンが30年の活動を一時休止。この衝撃的なニュースが伝えられてからあっという間にとうとう迎えてしまったこの日。P2フィリピンツアー出発前夜このファイナルコンサートの初日に行ったのは小野さん。彼が大のサザンファンであることは誰もが承知。チケット獲得努力をせずに最初からコンサート行きを諦めていた私は小野さんとは勝負にならない存在ながら、実はやっぱりサザンファン。大晦日コンサートでは横浜アリーナのまわりをうろついてみたりもして、けっこうかわいいモンです。

 サザンの桑田くん(乞うお許し、この呼び方。)と同じ小学校、中学校を彼より10年早く卒業した同級生は、私を含めて皆サザンファン。サザンビーチなんて名前がついていなかったけれど、私たちはいつも砂浜で烏帽子岩を眺めて遊び、ラチエン通りをオシャベリしながら歩いていました。「映画の撮影しているらしい」と誰かが言えば、Pacific Hotelへ行きたくてウズウズ、授業に身が入らなくなったりもしていました。若い頃の思い出は、サザンの唄声を聞くたびによみがえります。鎌学(鎌倉学園)もおなじみ、原さんち(関内・天吉)も行きつけのお店。勝手に親近感を抱いて、同級生たちは集まればサザンの歌を唄ってきました。桑田くんに感謝!の思いいっぱいで、活動休止の報を受け取った私でした。

 東海岸・雄三通りを海岸に向って歩き、加山さん(加山雄三)の有刺鉄線で囲われた家の角を曲がって茅ヶ崎第一中学校へ通いました。その中学校には兄の同級生に尾崎紀代彦(♪また逢う日まで~)がいました。中海岸のHちゃんの家の二件先には平尾昌章のパステルカラーの塀の家がありました。縁あって「遊びにいらっしゃい」言ってもらえたのに、芸能人の家に行っていけませんと母に止められ、行くことを断念したことがありました。そうそう、♪上を向いて歩こう♪を作曲した中村八大さんの家もけっこう近くでした。
 お正月恒例の箱根マラソンで見る沿道の松ノ木が、まだ中学生だった私たちと同じぐらいの高さだった頃の話です。今は昔の話です。

2008年08月15日

フィリピン行きと8月15日

フィリピンへ行きと8月15日
◆フィリピンへ行きます。久しぶりです。現地に駐在しているKさんからメールをもらいました。「日本はたいへん暑いそうですね。フィリピンは雨期で、特に明け方はとても涼しいです。ときどき豪雨で外出が困難になりますが、雨が降らなければ青空も広がり、よい気候です。」酷暑ニッポン脱出を前に、私は今現地の友人たちとの打合せに忙しい毎日です。
 フィリピン行きは草の根援助運動のスタディツアーに同行してのことです。でも、実は私は中抜け。マニラから南へ飛行機で1時間、南カマリネス州、北カマリネス州、アルバイ州の農村や漁村訪問、ホームステイ、村びとたちとの交流、プロジェクト視察などには不参加。一人マニラ首都圏ケソン市でPRRM(フィリピン農村再建運動)の元代表やスタッフたちと過ごします。南カマリネス州には15年前に一人で行ってPRRMのトレーニングセンターに泊まっていくつかのフィールドを見て回ったことがありますが、もうフィールド歩きはシンドイお年頃になりました。今回は「ごめんなさい」でわがままを通します。

◆フィリピンにはもう何度行ったことでしょう。20回を数えてからはもうカウントしていません。フィリピンではいつもバターン半島、コレヒドール島、ルソンの山々などで第二次世界大戦に出会います。スタディツアーでも大学生たちに第二次世界大戦を学んでもらうことをスケジュールに入れています。そんな私ですが3月に見たNHKBSハイビジョンの「証言記録  マニラの市街戦」ではあらてめてショックを受けました。何度も何度も訪ねながらマニラ市内、イントラムロスでここまですさまじい事態が繰り広げられていたことを知らなかったのです。フィリピン市民、日本兵、アメリカ兵、計38人の重い証言、さらにはアメリカ軍のフィルムで私は戦場となったイントラムロスのすさまじい状況を詳しく知りました。ここでは1分間に130発、合計185トンの銃弾が人びとの間で炸裂したのでした。
【マニラ市街戦の死者:12万人】
100,000人(フィリピン人)/16,550人(日本兵)/5,000人(米兵)

証言記録 マニラ市街戦~死者12万 焦土への1か月~
[BShi]3/17(月) 後11:40-翌1:35
太平洋戦争中、フィリピンのマニラで行われた日米の市街戦は12万もの死者を出した。そのうち市民の死者は10万。悲劇はいかに起こったのか、焦土への1か月をたどる。~平成19年度芸術選奨 文部科学大臣新人賞 金本麻理子ディレクター 作品選~

◆今日は8月15日。敗戦記念日です。私はここ20年ほどほぼ毎年この日はSさんと行動を共にしています。渋谷駅前での女性たちによる平和リレートークにもよく通いました(私も車の上でマイクを握ったことがありました)。種々の反戦平和集会への参加はもちろん、朝鮮半島出身の無縁戦没者を祀ったお寺におまいりに行ったこともありました。
 そして今年、私たちははじめて千鳥ヶ淵戦没者墓苑に行きました。海外での戦没者約240万人(軍人軍属戦没者約210万人。一般邦人約30万人。)その方々の遺骨の多くは家族の元に帰ることができなかったなか、復員時の戦友に抱かれて帰国できた遺骨、戦後収集されて帰国された方々の遺骨は124万柱とのこと。一人一人の無念さを思うと目頭が熱くなりました。本土での戦没者約70万人を加えて310万人の戦没者。二度と戦争はイヤだと思って憲法9条をつくったのは当然のことと言えるでしょう。日本以外の国々で命を落とされた方が200万人以上。たくさんのフィリピン人もそのなかに含まれます。
 千鳥ヶ淵墓苑ではちょうどいき合わせた平和フォーラムの慰霊祭に参加させてもらって菊の花を供えました。瑞穂さん(社民党党首)や江橋崇先生(法政大学)と挨拶しました。
 お堀端、九段坂のレストランで二人でゆっくりランチを済ませての帰路、右翼の街宣車が道路を占領して機動隊員、警察官を相手に大騒ぎをしている靖国神社前を通って私たちは半蔵門線の九段下駅に向かいました。朝から繰り広げられたであろうドラマの続きを見た気がしました。
今日は1945年8月15日生まれのNちゃん(私の同級生)の63回目の誕生日です。戦争が終って63年。今日千鳥ヶ淵墓苑に若い人はまったくいませんでした。


2008年08月08日

NHKにひとこと~フィリピンニュースを見たい~

NHKにひとこと~フィリピンニュースを見たい~
◆NHKBS放送における大リーグ中継偏重にちょっと文句。ひとこと申しあげたいと思います。野球大好き人間の私ですが、BS放送で毎日毎日大リーグ中継ばかり放送することには、ちょっとこの編成、どうにかならないのと愚痴がでます。先日ソウルのホテルに滞在した時もチャンネルをNHKに合わせるとBS1で大リーグ、BS2でアニメの毎日。思わず他のものも見たい~と叫びました。
 大リーグで野茂投手が活躍を始める前までは、朝9時代のBS1では毎日アジア各国の前夜のニュース番組を見ることができました。私はそのなかでABS-CBNニュースでフィリピンの状況を把握するのが常でした。政治、経済、社会の動きがほぼリアルタイムで確認できることはフィリピンと関わりを持つ私たちにとってとても意味のあることでした。
 野茂投手の活躍が始まると、日本野球史上特別な日となる彼の登板日には必ず大リーグが中継されるようになりフィリピンニュースが見られなくなりました。夫は野茂投手の結婚式に招待された人ですし、私もその活躍には一喜一憂、精一杯応援していましたから、そんな流れを受容れていました。けれどそのうちイチローが大リーガーになると彼が出場する試合はすべて、そう、野手の彼は毎日出場するので毎日が大リーグ中継日になってしまったのです。それ以来フィリピンニュースが見られなくなりました。フィリピンニュースは今どこに?

◆5日の夜、私は今年の芥川賞受賞作「時が滲む朝」(楊 逸)を時間を忘れて一気に読んでいました。(いい作品でした。その時を昨日のことのように記憶するものにとって胸が熱くなる作品でした。)
その時ふと気づくとテレビはアジア各国のニュース番組を放送していました。
午前3時50分、待望のABS-CBNニュース、馴染みの男性キャスターが少し老けた
顔を出しました。まあまあ、NHKは一体誰がこの時間にこの番組を見ていると思って放送しているのだろうと思いながら見ていると、私にとって今最大の関心事である話題になりました。
この日のトピックは 「フィリピンの医師・看護師事情」。
フィリピンは海外へ出る医師の数がインドに次いで世界第2位であり、看護師は世界第1位であること。医師が海外へ出る理由は経済事情。フィリピンにとどまれば1ヶ月3万2500円の収入であるけれど、アメリカに行けば63~93万円になること。今フィリピンでは国民28,000人に対して医師が1人であることなどが報じられました。医師のなり手そのものが減少していることから最近では医師の受入国が医師の育成を支援することになった((例えばカナダに800人の医師が輸出される場合はフィリピン人医師200名の育成支援の義務を負う)などの情報もありました。FTAで日本でフィリピン看護師受け入れが始まろうとする今、日本人の何人がフィリピンのこの現実に目を向けているでしょうか。
 NHKはワールドニュースをもっともっと私たちに提供してほしい。今の大リーグ中継偏重方針を変更していただけないでしょうか。ついでに、夜7時のニュースのなかで大リーガーの1本のヒットをあんなに大げさに報道しなくてもと思います。球場に足を運んで大学野球を150試合以上見ている、決して野球がキライではない私からの
ひとこと、「フィリピンニュースをみたい~」でした。

2008年08月06日

韓国初訪問+マゴサク日記No2

韓国初訪問
◆先週3泊4日で韓国へ行ってきました。同年齢女性としては決して少ないほうではないと思える40回以上の渡航経験がありながら、私にはなぜかこれまで韓国を訪れる機会がありませんでした。思い起こせば初めてホームステイで受け容れた外国人は韓国人でした。夫は学生時代の初海外以来しばしば韓国を訪ねていました。4月に京都で開催された国際フォーラムではケニア人に「あなたは韓国人?」と聞かれました。韓流ドラマにはまらなかったとはいえ、いろいろな面で関心も高く、何かと縁もあったはずなのに、私が今日まで韓国を訪ねていなかったのは不思議と言えば不思議。

 今回は娘の夫に感謝。彼が成均館大学に招待されて2週間の研修を受講した機会に娘が私を誘ってくれての訪韓となりました。ソウルのみ4日間は普通ならあちらこちらけっこう丁寧にまわれる日程でしたが、マゴサク同伴でしたからほとんど車のなかからの市内見物になりました。でも私にとってはそれで十分でした。韓国はほんとうに近い国だということがわかっただけでもう本当に満足でした。きっと遠くない将来に韓国再訪問が実現するでしょう。

 ソウルはきれいな街でした。政府の政策でこの30年間で新しく作られた江南の街はどこかで見た絵の中の街のようにきれい過ぎて、親しみやすさはありませんでしたが、そこで出会った人たちは皆いい人たちでした。幼な子連れの旅のメリットはそこここで人との交流が持てることです。思いがけずたくさんの人と笑みを交わすことができました。
 私は、なぜ私たちの国はかつてこの半島の人たちの運命をもてあそぶことができたのだろうと考えざるを得ませんでした。家族や友人と楽しく暮らす人たちがその幸せを永久にと願うのはどこの国の人も同じ。幼な子連れの隣国・日本の家族に話かける幼な子連れの韓国人家族との間には何の壁も存在しませんでした。一方が他方の運命をもてあそぶようなことは市民レベルでは考えもつかないこと。平和を願う市民が常にどうしなければならないかを自身にあらためて問い直しました。
ソウル:江北vs江南
http://www.seoulnavi.com/area/area_r_article.html?id=415

マゴサク日記No2
◆ソウル市内にある世界遺産・昌徳宮(チャンドックン)へ行きました。現地到着時間の関係で英語ガイドツアーに参加しましたが、ガイド1人に観光客約100人。娘が咲良を抱っこして参加した我が家族がたちまち落ちこぼれたのは当然。でもそこで待ち受けていたのはマゴサクに関心を寄せてくれたドバイのご一家。18歳で結婚したという父親はまるで子どもたちのお兄様にしかみえない。私たちは超美人の5人姉妹と男の子1人のこの7人家族と親しくオシャベリしながら歩きました。彼らは3週間の韓国旅行をエンジョイ中でした。お母さまは3歳の末の弟とお留守番とのこと。みんなでいつの日かその弟くんと咲良ちゃんのご対面が楽しみという話になりました。ほんと、楽しみ!
 実は咲良はすでにすごい。生後7ヶ月目の5月にはベナン人(アフリカ開発会議で来日したギュスターブさん、タレントのアドゴニーさん)とアルジェリア人(同 ラビアさん)に、8ヶ月目にはインド人(ニューホープのローズさんとシャクントラ)に、そして9ヶ月目の今回は韓国人、UAE・ドバイ人に抱っこをしてもらったり、話しかけてもらったり、いっしょに写真を撮ったりです。生まれた時にはフランス人とデンマーク人からもプレゼントが届きました。私はもうすぐフィリピンに行きます。そこには「娘は元気?どうしている?」と聞いてくれる友達がたくさんいます。マゴサクの誕生はそんなみんなに祝ってもらえるに違いありません。彼女は本当に幸せです。国境のない世界でたくさんの人と生きていくことになるでしょう。
昌徳宮(チャンドックン)ツアー
http://www.seoulnavi.com/miru/miru.php?id=2

◆ソウルでハングル文字入り布製絵本を買いました。1ページがB4程度の大きな本です。牛が牧場で遊んでいたり、森でおサルが木登りしたりしています。ハングル文字はいつ読めるようになるかわかりませんが、絵本はいつまでも彼女の宝物であり続けるでしょう。
絵本はもう一冊。私が私のために買いました。花の好きな小学校の先生が主人公のこの絵本、タイトルもわからなければストーリーもわかりません。でも素敵な絵が魅力です。誰かに読んでもらえる日が待ち遠しいです。