サザン ファイナルコンサート 周辺の話
サザン ファイナルコンサート 周辺の話
◆8月24日午後10時過ぎ、ホーム上で駅員さんがマイクを使って乗客に絶え間なく案 内する騒々しい声が聞こえてきました。私の自宅は駅のホームに面しているマンションの7階。新横浜の日産スタジアムでサッカーや何かのイベントがあると、ホームは帰路に着く人びとで約1時間はごった返し、いつもは聞こえないアナウンスが窓を閉め切っていても気づくほどノイジーになります。今日は何? わぁ、そうだ、今夜は♪サザン、ファイナルコンサート最終日だった!
サザンが30年の活動を一時休止。この衝撃的なニュースが伝えられてからあっという間にとうとう迎えてしまったこの日。P2フィリピンツアー出発前夜このファイナルコンサートの初日に行ったのは小野さん。彼が大のサザンファンであることは誰もが承知。チケット獲得努力をせずに最初からコンサート行きを諦めていた私は小野さんとは勝負にならない存在ながら、実はやっぱりサザンファン。大晦日コンサートでは横浜アリーナのまわりをうろついてみたりもして、けっこうかわいいモンです。
サザンの桑田くん(乞うお許し、この呼び方。)と同じ小学校、中学校を彼より10年早く卒業した同級生は、私を含めて皆サザンファン。サザンビーチなんて名前がついていなかったけれど、私たちはいつも砂浜で烏帽子岩を眺めて遊び、ラチエン通りをオシャベリしながら歩いていました。「映画の撮影しているらしい」と誰かが言えば、Pacific Hotelへ行きたくてウズウズ、授業に身が入らなくなったりもしていました。若い頃の思い出は、サザンの唄声を聞くたびによみがえります。鎌学(鎌倉学園)もおなじみ、原さんち(関内・天吉)も行きつけのお店。勝手に親近感を抱いて、同級生たちは集まればサザンの歌を唄ってきました。桑田くんに感謝!の思いいっぱいで、活動休止の報を受け取った私でした。
東海岸・雄三通りを海岸に向って歩き、加山さん(加山雄三)の有刺鉄線で囲われた家の角を曲がって茅ヶ崎第一中学校へ通いました。その中学校には兄の同級生に尾崎紀代彦(♪また逢う日まで~)がいました。中海岸のHちゃんの家の二件先には平尾昌章のパステルカラーの塀の家がありました。縁あって「遊びにいらっしゃい」言ってもらえたのに、芸能人の家に行っていけませんと母に止められ、行くことを断念したことがありました。そうそう、♪上を向いて歩こう♪を作曲した中村八大さんの家もけっこう近くでした。
お正月恒例の箱根マラソンで見る沿道の松ノ木が、まだ中学生だった私たちと同じぐらいの高さだった頃の話です。今は昔の話です。