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私の軽井沢(ゆり園から坂本竜馬まで)

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◆三連休の最終日、忙中閑をつくり小学校時代の友人と二人で軽井沢One Day Tripを敢行。プリンスゆり園の散策と脇田和(かず)美術館で「生誕100年展」を鑑賞。名物のジャムとドレッシングと胡桃を買って帰りました。軽井沢は22℃、避暑客がそろそろ滞在をはじめたところにOne DayTripは正直少々肩身狭うございましたが、分相応というところで満足な一日でした。

◆ゆり園の開園期間は7月19日~8月31日。私が昨年夫とここを訪ねたのは8月半ば過ぎのこと。花の盛りはすでに過ぎ、行く夏に別れを惜しむキレイな花もややくたびれ気味でした。対照的に今年の花は今からで一花二花が咲き初めたところ。人生もゆりもやっぱり「これからが素敵」を再確認。
賞金目当てで応募するフォトコンテスト用写真選びに目下難儀しています。

◆脇田和は戦時中私の故郷の町に疎開をしていたことがあったので小さい時からその名前を聞いていました。そのせいでずっと親近感を持っていましたが、大人になってからの私はそののびやかなオリジナリティあふれるやさしい作風に魅せられていました。この日私は静かな館内の中央に置かれたソファーで作品に見守られながらしばしまどろんでしまいました。
目覚めるとあわただしかった毎日がすーっと遠くに流れて消えていました。

◆ところで私には聞いたら誰もが羨むに違いない軽井沢の思い出があり ます。ここに突然「坂本竜馬」登場です。
今から40年も昔のこと、大学4年生だった私は一夏を坂本直道という方とその人の軽井沢の別荘で過ごしました。3000坪の落葉松林のなかに別荘はありました。その人坂本直道氏とは誰あろう竜馬の唯一の曾孫!直道氏の父直寛氏が竜馬の甥でした。直道氏の田園調布のご自宅には私たちが何度も目にしている竜馬さんのあの写真が飾られていました。

直道氏は明治25年生まれ。東大法学部を出て満鉄欧州事務所長(在パリ)をつとめました。欧米の事情に精通していたがゆえに日本の開戦に反対し、昭和15年に帰国すると翌16年には満鉄を辞職。この戦争に日本は絶対負けると言って東京を離れ軽井沢暮らしを始めました。

敗戦後はパリで収集した絵画を売って得た資金を自由民主党の設立のために提供しました。自由民主党は今ではすっかりその面影を残していませんが、その時の坂本氏は「自由」と「民主主義」の大事さを誰よりも知っていて惜しげもなく私財を投じました。

私は別荘で一ヶ月間直道氏の食事を作るだけの仕事をもらってあとは自由に過ごしました。奥様は「パリからの帰路スエズ運河を石炭の船で渡った時の暑さを思えば東京の暑さはがまんできるわ。軽井沢に行くのは面倒なのでお願いね」と私に言いました。私にその役が回ってきたのは当時のクラスメートの一人が坂本直道著「激動するアジアの中の日本ー日本はどうあるべきかー」を読んで感激し坂本宅に出入りするようになっていたからです。

※奥様からいただいたレースのハンカチは今でも私の宝物です。そのハン カチはロシア革命からパリに逃れてきたロシア貴族の女性たちが持っていたものです。

今竜馬さんの血を引く方はただ一人、坂本直道氏のお嬢様だけです。時代の影響でご結婚されませんでした。80歳を過ぎた今もご健在で軽井沢の別荘(昨年の夏の写真)に住んでいらっしゃいます。

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