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2008年07月26日

マゴサク日記 No1

◆過日朝日新聞の読者投稿欄に、最近の日本社会に溢れるコンビニなどの四字語についての感想が載っていました。投稿者は韓国からの留学生で、それをとても楽しいことと言っていました。
本当にこんなことまで?と唸るほどの氾濫ぶり。キムタクから、オグシオ(バトミントン:小椋・潮田組)、コンカマ(セーリング:近藤・鎌田組)、 イケクミ(走り幅跳び:池田久美子)。言い易さ記憶され易さが日本人好みで流行ってきたのでしょうか。
で、私も使ってみます。「マゴサク」 はて、さて、何、それ?
こ・た・え=孫の咲良(さくら)ちゃん。略してマゴサク。生後9ヶ月になる正真正銘、私のマゴです。これから時々登場します。どうぞよろしく。

さて、明日はマゴサク初海外。私もいっしょです。どんな旅になるでしょうか。

2008年07月25日

私の軽井沢(ゆり園から坂本竜馬まで)

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◆三連休の最終日、忙中閑をつくり小学校時代の友人と二人で軽井沢One Day Tripを敢行。プリンスゆり園の散策と脇田和(かず)美術館で「生誕100年展」を鑑賞。名物のジャムとドレッシングと胡桃を買って帰りました。軽井沢は22℃、避暑客がそろそろ滞在をはじめたところにOne DayTripは正直少々肩身狭うございましたが、分相応というところで満足な一日でした。

◆ゆり園の開園期間は7月19日~8月31日。私が昨年夫とここを訪ねたのは8月半ば過ぎのこと。花の盛りはすでに過ぎ、行く夏に別れを惜しむキレイな花もややくたびれ気味でした。対照的に今年の花は今からで一花二花が咲き初めたところ。人生もゆりもやっぱり「これからが素敵」を再確認。
賞金目当てで応募するフォトコンテスト用写真選びに目下難儀しています。

◆脇田和は戦時中私の故郷の町に疎開をしていたことがあったので小さい時からその名前を聞いていました。そのせいでずっと親近感を持っていましたが、大人になってからの私はそののびやかなオリジナリティあふれるやさしい作風に魅せられていました。この日私は静かな館内の中央に置かれたソファーで作品に見守られながらしばしまどろんでしまいました。
目覚めるとあわただしかった毎日がすーっと遠くに流れて消えていました。

◆ところで私には聞いたら誰もが羨むに違いない軽井沢の思い出があり ます。ここに突然「坂本竜馬」登場です。
今から40年も昔のこと、大学4年生だった私は一夏を坂本直道という方とその人の軽井沢の別荘で過ごしました。3000坪の落葉松林のなかに別荘はありました。その人坂本直道氏とは誰あろう竜馬の唯一の曾孫!直道氏の父直寛氏が竜馬の甥でした。直道氏の田園調布のご自宅には私たちが何度も目にしている竜馬さんのあの写真が飾られていました。

直道氏は明治25年生まれ。東大法学部を出て満鉄欧州事務所長(在パリ)をつとめました。欧米の事情に精通していたがゆえに日本の開戦に反対し、昭和15年に帰国すると翌16年には満鉄を辞職。この戦争に日本は絶対負けると言って東京を離れ軽井沢暮らしを始めました。

敗戦後はパリで収集した絵画を売って得た資金を自由民主党の設立のために提供しました。自由民主党は今ではすっかりその面影を残していませんが、その時の坂本氏は「自由」と「民主主義」の大事さを誰よりも知っていて惜しげもなく私財を投じました。

私は別荘で一ヶ月間直道氏の食事を作るだけの仕事をもらってあとは自由に過ごしました。奥様は「パリからの帰路スエズ運河を石炭の船で渡った時の暑さを思えば東京の暑さはがまんできるわ。軽井沢に行くのは面倒なのでお願いね」と私に言いました。私にその役が回ってきたのは当時のクラスメートの一人が坂本直道著「激動するアジアの中の日本ー日本はどうあるべきかー」を読んで感激し坂本宅に出入りするようになっていたからです。

※奥様からいただいたレースのハンカチは今でも私の宝物です。そのハン カチはロシア革命からパリに逃れてきたロシア貴族の女性たちが持っていたものです。

今竜馬さんの血を引く方はただ一人、坂本直道氏のお嬢様だけです。時代の影響でご結婚されませんでした。80歳を過ぎた今もご健在で軽井沢の別荘(昨年の夏の写真)に住んでいらっしゃいます。

2008年07月15日

今週は大忙し

◆この20年間、私は草の根援助運動を中心に活動してきました。その前の10年間は消費生活協同組合活動が中心でした。この30年間は同時に福祉や平和、環境問題にも熱心に取り組んできました。他人からは絶えず忙しい人と思われ、自身「忙しい、忙しい」が口癖の毎日でした。心を忘れて忙しいのは褒められたことじゃないとわかってはいましたが、ほんとに忙しく過ごしていました。
 そんな私の毎日が、最近少しづつ変化しています。2年前ぐらいまでは、午前、午後、夜と一日3ヵ所での会議も、1週間に5日の夜の会議もこなしていました。それが今はもうだめです。直前までその気でいても、瞬時にやめようと決心することが容易になってサッとキャンセルすることがけっこう当たり前になってきました。もちろん責任放棄ではなく、私の出席の有無が大勢に影響がない場合に限ってのキャンセルです。それは、自分や草の根にとっての勉強だったり、大勢の人が集まることで社会にアピールできることだったり。参加する意味があっても私が出なければ始まらないことでなければ、もう無理はしないーとなりました。半端じゃない経費を100%自己負担しながらよくここまで完全無報酬、ボランティアワークで来たものだと思います。だれに強制されたわけでなく、ただひたすら自分で自分に♪ファイト!(大好きな中島みゆきの歌)。よくがんばってきたものです。

◆でも、今週は正真正銘「大忙し」。私が行かなければ始まらないことが続きます。昨日14日月曜日の夜は県民活動サポートセンターで「第11回 第5期NGOかながわ国際協力会議」(※)がありました。 私は第3期に続いて今期も委員長。知事への提言書提出日が10月17日に決まってそろそろまとめに入りました。ほぼ完成レベルの提言もあれば、この期に及んでトホホ・・状態のものも。あれもこれも宿題にして10名の委員が総力をあげて取組み、8月末の臨時会議に持ち寄ることにしました。私もたくさんの宿題をかかえました。集中力をもってがんばろう!と本気で決心して帰宅。そう、委員長の責任は重大なのです。会議の仕切りもけっこうシンドイ。
(※)1998年発足。1期2年。神奈川県の国際施策について県知事へ提言。「外国籍県民神奈川会議」と同時開催。事務局:県国際課

◆明日16日(水)午後は、自由が丘産能短大で講義です。140名の女子大生を前に「地域社会とボランティア」をテーマに話をします。講義はボランティア人生そのもののを送ってきた私にふさわしいと言えるかもしれません。メインはモチロン国際協力NGOでのボランティア活動紹介。前提として国際協力NGOとはという点をパワーポイントを使って丁寧に説明します。そして草の根にも来てねと言いたいと思います。この短大に行くのは初めてです。いつも東横線の車内で大学の広告を見ていましたから、なんか嬉しい。運営委員の中島くんが同行予定です。
※本日は一日中在宅で講義準備。暑い日だったので何度もベランダへでての草花の水やり。いずれベランダ報告をします。数少ない私の得意分野です。

◆まだ、申し込みをしていないのですが、17日(木)は多分朝から夕方まで千駄ヶ谷の日本青年館。フィリピンから来日するフレビエール元保健相・上院議員でPRRMのスタッフだった医師ジョンDのパパの話を聞きに行きたいと<今は>考えています。主催の日比フォーラムへは誘われながらとうとう入らなかったのでメンバーにお会いするのは申し訳ない気がします。でも、だから、行った方がいいともいえます。
夜はP2運営委員会です。考えると今から疲れそうです。

◆19日(土)夜は法政大学へ行きます。GG研(グローバルガバナンス研究会)(※)です。私は報告者に決まっています。お題は「市民社会が見たTICAD」。明日の夜と明後日一日がパワーポイントを完成させるために用意された時間です。間に合いそうもなくてドキドキ。勉学モード絶えて久しく、エンジンのかけ直しから始めます。でもTICAD総括は自分のためでもありいい機会だと思っています。みんなのコメントはこわいけれど現場主義を貫いてみようと思っています。
※グローバルガバナンス研究会:主宰は後藤一美法政大学法学部教授。メンバーは大学院で後藤先生にご指導いただいた面々。現役の博士課程在籍者もいれば、私の同期生「3人組」も。政府の仕事をしている人、地方自治体職員、財団職員、そしてNGO。@北京、@ドイツ、@長崎(頻繁にケニア)も。時々学部生も参加。二人のメンバーの博士論文完成に向けての報告を中心にしながらも、それぞれの研究分野、職業関連の報告あり。私はここで学問の世界の入口に立つおもしろさを味わっています。

◆20日(日)は来客を迎えます。何人が見えるかは不明。P2ユース日大(@三島)支部発足の相談で少なくとも日大生の二人の女子学生は確実。あとはどうかな?ランチメニューは何?そこから考えるのが私のお役目。NGO兼食堂のママってところです。

◆休みたくなったのはトシのせい?いえ、やっぱり疲れたのしょう。  
思い起こせは1年前。5月のリフォーム、6月の夫の転居(自宅への出戻り)。8月の娘一家の転居(娘が身重だったので手伝いました)。そして産前産後2ヶ月間の娘の世話+新生児の世話(1ヶ月間)。加えて10月からは週1で県立保健福祉大学での講義が加わりました。やっぱりがんばりすぎだったかもしれません。
今もまだアフリカ人(ベナン人)1ヶ月間のホームステイ後遺症が残っても仕方がありませんね。
さあ、今週はがんばるぞ!まずは明日、がんばります。

2008年07月07日

G8サミットとNGO

◆ブログ初心者の私にとって小野さんは神様?その更新振りはどう考えても神業としか思えません。中味が伴なう文章をどうしてさささっとこうも手早く書き上げることが
できるのか不思議でなりません。彼が誰よりも忙しい人だと知っているからなおさらsそう思います。それを人は「才能」というのでしょうね。私は文章を書くのがそれほど早いほうではありません。それ故、タイムリーに意見表明ができそうにありません。ま、私は私のペースで。十人十色で綾なす色がP2ブログの魅力ということでー。

◆G8サミットとNGOについての私見。
草の根援助運動は昨年1月の発足時から「2008G8サミットNGOフォーラム」に参加してきました。このフォーラムは発足にあたってG8サミットにNo!をいうのではなく、G8首脳の話し合いに影響力を持つ政策提言を活動目的にすることを時間をかけて確認しました。P2もG8の存在の正当性に何の疑いも持たないわけではありませんが、国際社会におけるG8の影響力を無視できない現実は否定できないということでNGOフォーラムへの参加を決めました。NGOフォーラムは最終的には141団体(ほとんどが東京の団体)が参加、今日現在北海道でがんばっています。
 ではNGOはどうがんばり、どのような成果を得つつあるのでしょうか。本当のところはモチロン時を経なければ明らかになりません。当然今は周辺情報にもとづいての私の考えの範囲内ということになります。

実は私は、サミットでのNGOの役割に大きな期待を抱き、早くから北海道行きを決めていました。けれど1ヶ月前に終了したTICAD Ⅳ(第4回アフリカ開発会議)に関わった経験から、その大きな期待に果たして私自身がどのような役割を果たせるのだろうかに?がついてしまい、参加意欲を喪失、直前になって北海道行きをとりやめていましました。今はとりやめてかえってよかったと思っています。なぜなら、横浜(東京)からみたサミットにおけるNGOの存在の希薄さを冷静に把握することができたからです。東京にいると、北海道でがんばっている割には関心を持ってもらえないという現実の厳しさを受け止めざるを得ません。みんながみんな北海道に行っていたら気がつかないままだったかもしれないこのことをいつかどこかで明らかにして、NGO活動の今後に生かさなければと思っています。

今回のG8サミットでのNGOの政策提言には二つの手段がとられました。ひとつは留寿都の国際メディアセンター(IMC)での「記者会見」。もうひとつは札幌での「市民サミット」の開催。後者は「G8サミット市民フォーラム北海道」との共催。北海道で中心的な役割を担ってきたKさんとのコネクションで私もここへはカンパを送っていたので私にはここからの情報も届いていました。
IMCが置かれた留寿都は札幌から2時間。入場には事前に外務省に申請して手に入れたパスが必要。ということでここでの「記者会見」に参加するNGOはきわめて一部の人に限られました。フォーラムの代表、副代表、環境、人権・平和、貧困・開発の3ユニットの代表、これまでにNGOフォーラムのポジションパーパー作成(文章化)に関わった提言チームメンバーたちです。彼らはG8首脳から出される見解に対してタイムリーに記者会見してペーパーを配りモノを言い、メディアを通してG8の考えに影響力を持とうと努力したと言うことです。ちなみに内外4000人ものジャーナリストが仕事をするメディアセンター内に今回サミット史上はじめてNGOはワークスペース&記者会見場を確保しました。現地からの情報によればこのことで記者会見にはいつも多数のメディアが集まってくれたと言うことです。
 ところがところがそのNGOの記者会見がテレビの映像で見られることはまったくなく、新聞にもその見解が多少関心ある人が読む政治欄に紹介されることはあっても誰もが気づく場所に写真入り記事で載ることはまずありませんでした。それでもG8シェルパをはじめとする事務方に届けばいいといえなくもないのですが、それはどうだったのでしょう、現地から報告される外務省審議官のブリーフィングからは期待するほうが無理?の感が否めませんでした。
ただ、これすらなかったらもっとひどいものなっていたかもしれないと思うことはできるのですが。IMCでがんばった皆さんはさぞお疲れでしょう。札幌は遠く、ともすれば自分たちの仕事がたくさんのNGOの総意だとの認識を持ちにくかったのでは?と推測します。私が彼らの立場だったらそう思っただろうと思います。

そして札幌の市民サミット。政策は直接的な提言活動と世論が動かしていくものなのです。NGOフォーラムは物理的分断を超えてこの両方でがんばりました。
私は昨日のクロージング・シンポジウムの模様をOur Planet TVのインターネット中継でちょっとだけ見ました。(音が小さくて聞き取れなかった。中継終了時の音楽は大きかった)今朝の朝日新聞にはこの模様を見出しを入れて8行2段分の記事として掲載していました。参加者は約200名の市民活動家とありました。この市民サミットの一連の行動がもっとしっかり報道されれば、G8サミットを通して知る国際社会の現状に対する人びとの関心を促せたと思うのですがそうはなりませんでした。沖縄サミットの時私が沖縄で手にした「琉球新報」と「沖縄タイムス」には債務帳消し国際キャンペーンのデモやシンポジウム、嘉手納基地を取り囲む2万人の人間の鎖、アメリカ政府への基地問題の訴えなどが熱く熱く報道されていました。そのことから推測すれば北海道ではメディアも市民の動きに大きな時間と紙面を割いたと考えられますが東京はそうなってはいませんでした。「G8にNo!と叫ぶ150名のNGOのデモ」のニュースがまるでNGOのすべてととられれかねないような報道でした。朝、夕の民放のワイドショウやニュース番組では首脳が食べた食事の内容や厨房やシェフのコメントが、ファーストレディのファッション採点が報道されてもNGOによる市民サミットの模様が報道されることはありませんでした。

そんななか、気候変動とアフリカはよく取り上げられていたと思います。特にアフリカは私が考えていた以上でした。TICAD-NGOネットワークがアフリカから3名のNGOを呼んで発言の場を設定できたことは意味があったと思います。
私の家に1ヶ月近くホームステイしたギュスターブ・アサーさん(ベナン)も再来日してがんばりました。

草の根援助運動はODA改革ネットに参加して活動してきましたが、今回このふたつの国際会議でその出番を得ませんでした。少し落ち着いたらODA改革ネットの今後についての話し合いをしようという声が出ています。その時までに私ももう一度、NGOのアドボカシー活動についての考えをまとめなければと思っています。
(ブログ初心者のQ:今回はこの文章を書いている途中でInternet Explorerを開いては自分の書きかけの文章をすべて喪失ということを二度経験しました。これってどういうことですか?)

 


2008年07月06日

ブログ初心者+続「たちかぜ裁判」

◆ブログ初心者ということで、早々に失敗してしまいました。実は「7月2日に『たちかぜ裁判』の傍聴に行ってきました。」とたった1行だけ記載して閉じたのは私の本意ではありませんでした。思うこともろもろ書き始めようとしたところで、ちょっと中断のつもりが「公開」になってしまいました。初心者ゆえのケアレスミスです。
 私はいつもパソコン時代があと10年早く訪れていたならよかったのにーと思っています。私たちの世代にとってパソコンの到来は少々遅過ぎました。パソコンが登場した時、私たちは新しいことに即座に対応する理解力・習得力を失いつつあったのです。自分から学んでみようとする意欲も欠けつつあったために、それからの日々は悪戦苦闘の連続。ブログ更新のミスも至極当然のことだったと言えるでしょう。
草の根援助運動にMLが導入されたのは1998年3月。そう、ちょうど10年前!なんです。これって結構時代に先駆けていたのです。P2に小野さんや楠美さん、渡辺さんがいてくれたので実現した話でしたが、MLはその後P2にとって命綱的役割を果たしてくれました。とにかくみんな忙しくてなかなか会議がもてないのにここまでそれなりに活動が継続できたのはMLのおかげでした。意思疎通が図れ、活動は活性化しました。私はトシ不相応にがんばってここまできました。ただ時々、あと10年早かったら・・・と愚痴がでます。本当はもっとパソコンを使いこなしたいのです。ブログスタート。これはおもいがけない新しいチャレンジです。

◆「たちかぜ裁判」
「たちかぜ裁判」の傍聴にはもう何度通ったことでしょう。先日は開港記念会館で提訴2周年の集会が開催されました。一介の市民が国を相手取って裁判をすることは覚悟のいることです。なぜ息子は自殺したのか、真相を知りたい親の必死の思いに私はいつも涙しています。もともといじめと自殺の因果関係を立証することはきわめてむずかしいといわれています。特に今回のケースは相手が自衛隊なのです。組織内部の調査が行なわれたにも関わらず自衛隊はそれらをなかなか明らかにしません。裁判長の働きかけもあって徐々に明らかになってはきていますが、それらがあきらかになればなるほど、親には辛い真実です。この裁判に勝つ日がきても息子は
決して戻らないこともまた厳しい現実です。
 

2008年07月04日

たちかぜ裁判


◆7月2日、私は横浜地裁に「たちかぜ裁判」の傍聴に行きました。

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【ごまめのつぶやきNo45】

原告:海上自衛隊護衛艦「たちかぜ」所属 一等海士Aさんの両親の裁判

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2004年10月27日、京急立会川駅構内で21歳の青年Aさんが電車に飛び込み自殺した。Aさんは海上自衛隊横須賀基地所属の一等海士だった。自殺の原因は自衛隊内部でのいじめだった。彼の上司、元二等海士S(35)は日ごろから若い隊員たちをエアガンなどで撃ちまくり、アダルトビデオを高額で買わせ、手製ナイフをちらつかせる恐怖の存在として知られていたという。「たちかぜ」という海の上の閉ざされた空間の中で恐怖は倍増されたことだろう。若い隊員にとってそれは耐え難いものであったに違いない。ちなみにBB弾というプラスティック弾はアルミ缶をも貫通するほどの威力があった。「たちかぜ」内でのこの常軌を逸した暴行・恐喝事件について、一部の幹部は知っていたにもかかわらずまともな対処をしてこなかったという。そのことがAさんの自殺を生んだことは否めない。
 Aさんの両親は1年の準備期間を経た今年(2006年)4月5日、いじめた上官Sとともに国の責任を問うために損害賠償を求める民事裁判を起こした。Sに関してはすでに刑事裁判で、暴行罪などにより懲役2年6ヶ月、執行猶予4年の有罪判決が確定している。 しかしこの刑事裁判では、すでに死亡したAさんは法廷で証言できないということで「被害者」にはなれなかった。刑は同じような被害を受けていたことを証言できた3人の隊員への罪を問われて言い渡されたものだった。このとき検事、裁判官はSに対してAさんの自殺の責任を追及したが本人は否定した。
 4月5日の第1回公判で父親は何度も言葉を詰まらせながら息子に詫び、自衛隊に対する失望を述べた。息子に自衛隊入りを勧めたのはほかならぬ父親だった。父親は駐屯地で目にした隊員のキビキビした態度に好感を持ったこと、カナダに語学留学をするほど英語好きだった息子が英語を使える機会を得られそうだと考えたことから自衛隊こそ息子にふさわしい職場だと思ったと語った。今は後悔の念でいっぱいだと語った。

 2001年1月、護衛艦「うみぎり」(横須賀)ではいじめを苦にした隊員(22)による放火事件が起きた。そして彼が逮捕された後も、第2、第3の放火事件が続いた。次々と起こる事件は多くの隊員が陰湿ないじめと激しい暴力を受けている実態を物語る。さらには潜水艦隊での一連の大麻吸引・栽培事件。自衛隊員個々の資質だけではない他の原因、私たちは自衛隊の構造的な問題を見逃すわけにはいかない。 1993年から2004年の10年間で自衛官の自殺者数は倍増した。2004年は94人にも及んでいる。イラクの復興支援に携わって帰国した自衛官のなかに多くの自殺者が出ているという話もある。「たちかぜ」裁判は始まったばかり。ぜひ注目してください。(2006.