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    <title>『NGO主義でいこう』</title>
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    <updated>2010-09-13T16:12:21Z</updated>
    <subtitle>ペリーの「歩きながら考える」</subtitle>
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    <title>フーテン活動家・渡辺保さんを悼む</title>
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    <published>2010-09-13T16:11:17Z</published>
    <updated>2010-09-13T16:12:21Z</updated>
    
    <summary> 　一昨日亡くなった草の根援助運動の運営委員・渡辺保さんは、いわゆる活動家だった...</summary>
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        <name>Perry</name>
        
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            <category term="ＮＧＯ活動" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.p2aid.com/perryblog/">
        

　一昨日亡くなった草の根援助運動の運営委員・渡辺保さんは、いわゆる活動家だった。

　化学系の会社の労働組合で、長年活動をしてきた。
　60年代末からの学生運動系の活動にもずっと関わってきた。
　横浜の寄せ場・寿町の外国人を支援する活動では、給料を払わなかったり、パスポートを取り上げたりする悪徳雇い主に対して夜討ち朝駆けで交渉を仕掛けたりした。
　そして、草の根援助運動では、ひょいひょいと現地に出かけていっては、土地の人々に支援活動を繰り広げた。

　一方で、彼ほどに活動家のイメージから遠かった人もいない。

　口角泡を立てて議論をするなどということはなかったし、青筋立てて怒鳴るなどという姿も見たことがない。
　そもそも、なにか主張している姿すら思い浮かばない。
　ただ、いつでも、必要なところにはいて、ニコニコと笑っている。そんな人だった。

　僕よりも１０歳ぐらい年上で、本来ならば敬語で話すべき相手だろうけれど、そんなことはしたことがない。むしろ親しみを込めてちょっとからかってみたくなる。分厚いめがねをちょっとズリ落としながら、いやいやいや、そんなことないよぉ、などと笑いながら答えてくれるのが好きだった。

　ちゃんと会社勤めをしているはずなのに、年に何度も海外に出かける。来月こんな会議があって、誰かいけるといいんだけど、などというときには、「行こうか？」と反応してくれる。年に５，６回海外に出かけ、行った国は百数十カ国。
　ただし、豪華な観光旅行などとは無縁だ。どこに行っても、泊まるのは安宿だし、訪問するのはスラム街だったり農村だったりする。インドでもフィリピンでも、土地のものを食べ、地元の水を飲む。
　僕も結構平気でやる方ではあるけれど、渡辺さんは無敵だった。

　どうやったらそんなに自由に動けるのか不思議で、根掘り葉掘り聞いたことがある。

　なんとなく分かったのは、やるべき仕事はちゃんとしているらしいということだった。製品検査のような仕事で、セットさえすれば、あとは結果が出るのを待っていればよい。給料はきちんともらっている。その上で、年休と、このあたりが不思議なのだけれど「その他の休みとか」を組み合わせて、自由に海外に行っている、のだという。
　その自由は、どうも、組合活動家である、というレッテルで勝ち取ったものらしい、と僕は感じていた。
　とにかくどこからみても活動家然とはしていない人なのだけれど、会社としては、手をつけにくい活動家、であったらしいのだ。下手なことをすれば組合差別になってしまうので、手が出せない。（多分）邪魔な人間であるけれどクビにもしにくい。正当な権利を行使している限り、勝手にさせておけばよい。そんなことだったようだ。

　身なりや普段の生活にはまったく気を遣わない。履いている靴もなんだかよれよれ。ハイテクガジェットにはお金をかけるけれど、新品に飛びつくことなどはせず、いつだって不思議なルートから安い品物を探し出してきては、変な接続方法を試して形にしてしまったりする。
　寿支援活動の方の事務所には、彼専用の寝場所があった。ロッカーで仕切られた奥に、しめった布団が敷きっぱなしになっている、そんな睡眠場所だ。ナベさんのアパートには行ったことがないけれど、まあ、見当はつくというものだ。
　
　50代半ばごろ、会社の勧奨退職に乗って退職。いわゆるリストラ横行の少し前だったから、それなりの退職金は受け取ったらしい。会社としても、ほっとしていたのでは、と推測するけれど、それを元にしばらくパソコンのサービス会社を経営していた。あまりうまくはいかなかったらしいけれど、社長一人、事務の社員一人の会社だったから、社長らしく、気楽に動き回っていた。

　
　使命感？違う。矜恃でもない。自己顕示ともほど遠い。快楽でもない。責任でもないし、信念ともちがうし、優しさともちょっと違う。
　
　飄々と、どこにでも出かけていくナベさんの行動原理は、やっぱり風まかせ、だったのでは。
　フーテンのナベさん、がしっくりする。
　
　あんな生き方もあった。草の根援助運動でしか知り合えなかった、フーテン活動家、渡辺保さん。やすらかに。


　

　
        
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    <title>たくさんの違和感と失望を感じたドラマ『歸國』（TBS 2010/8/14)</title>
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    <published>2010-08-21T18:04:39Z</published>
    <updated>2010-08-21T18:05:19Z</updated>
    
    <summary>　　 　倉本聰は、ＴＢＳのＨＰに「景気景気と狂奔し、豊かさの中で有頂天に騒いでい...</summary>
    <author>
        <name>Perry</name>
        
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            <category term="本・映画" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.p2aid.com/perryblog/">
        　　
　倉本聰は、ＴＢＳのＨＰに「景気景気と狂奔し、豊かさの中で有頂天に騒いでいる今の日本人の姿を見たら、今、南海の海に沈んだままの数十万体の英霊たちは、一体どのように感じるのだろうか」と書いている。
　
　http://www.tbs.co.jp/kikoku2010/kuramoto.html
　
　「英霊」たちは、どのように感じるのだろう。それには興味はあるが、少なくとも、このドラマのようにではない、と僕は思う。
　
　
　
　倉本のいう「今の日本人」とは誰か。
　
　『北の国から』の蛍と純、その父親の黒板五郎ではない。三人は、景気などとは無縁だったし、いつも自分の環境の中で懸命に生きていた。
　『風のガーデン』の主人公、中井貴一が演じる白鳥貞美はどうか？有能な医者で、プレイボーイで、自身の不倫で妻を死なせてしまったほどの男だけれど、彼は自分の死を見つめ、自分の父親と娘を優しく見つめていた。豊かさの中で有頂天になっていたかもしれないが、倉本の視点は暖かかった。多分この男でもない。
　
　倉本のいう「今の日本人」は、どこにいるのか？
　
　ドラマの中で、倉本は石坂浩二にそれを演じさせている。
　
　有名なタレント教授である彼は、「いつか、どこかで間違ってしまった」男だ。苦労して育ててくれた母親の介護の面倒を見ず、ただ病院に預けっぱなし。死に目にも看取ろうともせず、自らの生活と仕事を守ろうとする。
　親の恩を忘れ、貧しい心となってしまった人物だ。しかし、倉本の視線はそこまでだ。生活や心情にはあまり踏み込まず、ごく表層的なところで、間違った人物であると描かれているだけだ。
　この視線には、人間としての教授への思いやりがまったくない。
　あろうことか、幽霊である大宮上等兵は、自分の甥であるその教授を怒りの一撃で殺してしまうのだ。しかも、自らも幽霊となったその教授は、さらに殴られて初めて自らを恥じる気配。そしてまた、そのビートたけし演じる大宮上等兵に、幽霊となった母は「ありがとう」と告げる。　
　自分の息子を殺した兄に礼を言う、そんな母があるものか。
　親を恥じていたとしても、見舞いに来ないとしても、成功して教授にまでなった石坂は、自慢の子どもであったに違いない。それを殺してしまった兄に礼を言うのでは、この親にしてこの子あり、と呆れるしかない。
　

　
　それにしても、この石坂教授は、「今の日本人」なのだろうか？英霊たちの日本には、こういう人間はいなかったのだろうか？
　
　実践女子大の広井多鶴子が、『修身教科書の親孝行譚』で明治２６年の修身の教科書『修身女訓』を紹介している。
　
　「父の死後、一人家にいる母のために奉公の暇を取って孝養すべきだと言う者に対して、兄妹は「幼きより主人の恵みにて人と成り、親を養ひしものを暇取らんは本位ならず」と否める。親のために側にいることよりも、働き続けることを優先するのである。」
　「それは、「職業は独り一身一家の利益の為にのみ営むものにあらず、社会の繁栄を致さんが為の動作なり」（『高等小学修身書新制第3 学年用』明治43 年、宮田編2 巻；500 頁）と教えられるようになるからである。」

http://web.me.com/hiroitz/Site/About_Me.html

　この広井論文は、国家主義の都合で親孝行像がいかに変化させられていったかを描いて興味深いものだが、その中でも、上述の部分は、親孝行は天皇と国家への忠誠へと導くためのモラルに過ぎなかったことを明らかにしている。
　
　また、岡本祐三は『高齢者医療と福祉』（岩波新書）の中で、自分で食事がとれなくなった高齢者についての郷土歴史研究家の言葉を紹介している。
　
　「もう『終り』というのが皆の了解でした。そうなると食べ物も水も与えないようにして、要するに苦しませないように死期を早めた。老人もそうなると覚悟を決めて、そういう扱いを黙って受け入れた。だから何年も床につくなどということはなかった。まして５～10年寝たままなんてことはあり得ない。」
　
　さらに言えば、豊かな家であっても、息子が自分で介護をしたという例は多くはないだろう。ほとんどの場合、それは「嫁」の仕事であったはずだ。それを孝行というモラルでくるみ、親→国→天皇というヒエラルキーにあてはめていったのが明治以降の日本の「孝行」の実態だったのだ。
　
　生活の豊かさのために、親への優しい心情を忘れてしまった戦後日本。そんな単純な構図にはなっていないのだ。
　
　
　　
　「今の日本はどんどん豊かになっているけれど、日本人はどんどん貧しくなっているような気がする」。
　演技は見事だったけれど、八千草薫演ずる老女のこのセリフにも辟易した。
　こんなシンプルなセリフを倉本ドラマの中で聞くとは思わなかった。誰でも思いつくような言葉は使わず、それを表現の中に織り込んでいくのが、芸術家の仕事だ。倉本聰はもう、創作家としてのエネルギーは失ってしまった、と思わざるを得ない。
　
　そしてこのセリフそのものにも違和感がある。「先進国」で最高レベルの貧困層を国内に抱える日本の現状も、心豊かに暮らそうとするたくさんの人たちの新しいライフスタイルも、ここにはまったく反映されていない。
　ドラマの中で持ち出される、歌も歌わずに下を向いてメールを打っている子どもたちの姿は、まったくのところ、倉本の創作でしかない。『北の国から』の中でも、倉本聰のケータイメール嫌いは顔を出しているが、残念ながら彼のケータイ観は、ごく表層的なところに止まっている。
　その危機感には一定の共感は覚えるものの、倉本聰の現代社会観は、年をとれば誰でもが持つ、後の世代への愚痴っぽい嘆き以上のものではない。


　
　『ゲゲゲの女房』の中で、向井理演じる水木しげるはこう言う。「戦争は無茶なんです。生きたいと思う者が生きることを許さないんですから。」
　ワニに食われ、マラリアで死んでいく若者たちは、平和な日本を築くために死んでいったわけではない。ただ操られ、わけもわからず殺されていったのだ。
　そうした「英霊」たちは、今の日本を嘆くだろうか？むしろ、若い世代が今や戦争に向かわなくてもよくなった今の日本の状況を見て喜んではくれないだろうか？
　「英霊」たちは、決して愚痴っぽい、悲憤慷慨ばかりの兵士だったわけではないはずだ。そこにはもっと人間らしい、生活者としての視点もあったはずなのだ。
　
　
　そして、根本的な大問題。
　
　ここには、ただ、「後世の人々のために死んでいった英霊」しか描かれていない。その「英霊」たちが殺し、破壊したアジアの人々への視線がまったくない。
　たとえ好きで殺したのでないとしても、単に巻き添えだったとしても、死んだ人々への深い謝罪はあってしかるべきだ。
　だとしたら、「英霊」たちがまず赴くべき先は、日本ではなく、それによって親を殺され、生活を破壊されたたくさんの人々が再び築き上げたアジアの国々だったのではないか。
　
　アジアの今の平和に微笑み、時にはいまだに続く戦争を嘆き、なお貧しさに苦しむ人々へ共感する、そうした視点を持ってこその「英霊」だろう。
　
　このドラマに登場する「英霊」たちにそれを持たせられなかった倉本聰の狭量な視点は、むしろこのドラマを死者への冒涜とさえ言うべきものに仕立て上げたと僕は思う。

　倉本聰、老いたり。『北の国から』の熱烈なファンである僕には、とにかく残念な思いばかりだ。
　
        
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    <title>『未来世紀ブラジル』は山あり谷なし</title>
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    <published>2010-08-18T16:06:21Z</published>
    <updated>2010-08-18T16:07:09Z</updated>
    
    <summary>テリー・ギリアム監督の『未来世紀ブラジル』は、今から25年前、1985年のSF映...</summary>
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        <name>Perry</name>
        
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            <category term="本・映画" />
    
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        テリー・ギリアム監督の『未来世紀ブラジル』は、今から25年前、1985年のSF映画。僕も妻もともに大好きな映画なのだけれど（趣味があう映画は割と珍しい）、そのくせ妻はしばしば観ながら寝てしまう。 
　妻によれば、「山あり谷なしで、ずっと山が続くからくたびれる」のだそうだ。 
　 
　同じ監督の『タイムバンジット』もそうなのだけれど、一難去ってまた一難、というよりは、どこでどう終われるのか分からない狂気性が全体を覆っていて、筋書きが読めない。助けてくれるヒーローだと思っていた人がそうでもなかったり(裏切るというわけではなくて、ただそうではなくなってしまうだけ）、ハリウッド映画的な文法からはかなり遠い。 
　 
　『ブレードランナー』が切り開き、『マトリックス』が受け継いだ、オルタナティブな未来デザインが全体を覆っている。 
　すさまじい情報統制と、その絶望的に思える官僚制の中で、夢のマドンナのためにあちこち抜け道をさがしながらぐるぐる動き回る主人公ラウリーの姿は、カフカの『城』を思わせる。 
　大好きなフィリップ・Ｋ・ディックにも通底する、現実と夢の境の融解があって、悪夢のような現実のような、一言でいえばおかしな世界が延々と続く（そして後半は本当に・・・いやいや、この辺はネタバレ）。 
　この幻惑感は、ただ単にそこに線を引いただけの分かりやすい『インセプション』などとは根本的に違う。 
　 
　でも、今観てさらにすごいのは、テロリズムと国のシステムの関係だ。 

　テロリストとされて指名手配されているロバート・デニーロは、実のところ官僚制を無視して自由にダクト修理を行っている修理屋に過ぎない。しかし、そうした自由人（とあちこちで起こる爆弾テロ）を取り締まるための情報管理部門に、ＧＮＰの７％が使われている。 
　それがうまく機能しているかといえば、システムばかりが大きくなっていて抜け穴だらけ。 
　テロリストは誰なのか、なにが目的なのかなどは抜け落ちていて、取り締まること、情報を集めること、分析すること、警備を固めること、などのシステムが巨大化し、それを仕事とする官僚ばかりが増えていく。 
　 
　これはまさに、今のアメリカの状況そのものだ。 
　２５年前にこれを予言していたという意味では、Ｇ・オーウェルの『１９８４』にも通じるものがある。 
　実際、ギリアム自身、製作当時『１９８４』をかなり意識していたらしいけれど、その予言が本当になってしまったのはＳＦ以上にＳＦ的だ。 
　 
　ギリアムも段々にハリウッド的な映画作りがうまくなっていって、『１２モンキーズ』などは、好きな映画ではあるけれどもこの映画ほどの奇妙さはない。ただ、妻によれば、２００９年公開の『Dr.パルナサスの鏡』も「充分この感覚を受け継いでいる」とのこと。観てみないとね。 

　さて、暑いので、きょうも僕はバルコニーのビーチシートで寝ます。妻はテレビの前の床で寝ているし。娘が僕のベッドで寝ていたり、時には廊下で寝ていたり、好き勝手なところで好き勝手な時間に寝る、いい加減な夏の夜の我が家です。

        
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    <title>久しぶりの自転車ツーキニスト（1日だけ？）</title>
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    <published>2010-08-06T14:18:34Z</published>
    <updated>2010-08-06T14:19:58Z</updated>
    
    <summary>前の職場は我が家から片道20分弱、フラットで広い歩道を走れたので自転車で通勤して...</summary>
    <author>
        <name>Perry</name>
        
    </author>
            <category term="僕自身のこと" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.p2aid.com/perryblog/">
        前の職場は我が家から片道20分弱、フラットで広い歩道を走れたので自転車で通勤していました。 
　疲れもせず、ちょっとした汗をかくにはちょうどいい距離だったのですが、４年前に横須賀に転勤して（学校では「異動」と言うのですが）、車で通勤するようになってしまいました。 
　なにしろ交通の便の悪いところで、電車とバスだとほぼ1時間半。横横道路を使えば４０分なので、環境と大変な生徒たちへの後ろめたさは重々感じながら、毎日３０キロの快適ドライブです。 
　 
　自転車の方はいつか錆び付き、タイヤの空気も抜けていたのだけれど、元はと言えばそれなりの高級車。ここのところ腰が悪くて走れないけれど自転車ならば大丈夫、と久々に復活させてみました。 
　 
　あちこち磨いて、オイルをたっぷりつけて、タイヤも確かめて、天気もいいし、昨日は職場まで自転車で行ってみました。 
　 
　6時半に家を出て、30キロ、約２時間の旅。 

　僕は暑いのは苦にならないので、水分補給はこまめにとりながら、筋肉痛が蓄積しない程度にゆっくり走ります。 

　それにしても国道を走るのはこわい。普段は道路を走る自転車を邪魔にしながら走っているわけだけれど、今日は車が気を遣ってくれることを期待しながら、寄せられないようにむしろ中央寄りを走ったり。 
　車だと気にならないちょっとしたアップダウンも、自転車にはきつい。しかも我が家から職場までは、どうやっても三浦半島を横断しなくてはならず、かなりの丘越えもあり。 
　 
　久しぶりに走ると、小さな硬いシートにしてあるので、とにかくお尻が痛い。そして、この数年頸椎も調子よくないのだけれど、ハンドルがかなり下げてあって首を上げないといけないので、しばらくすると首も痛くなる。 
　　 
　腕や腿の筋肉も段々疲れてきて、職場についた時には、シャツから下着まで汗でぐっしょり、へとへと状態でした。 

　帰りは別ルートで、途中２度ほどゆっくり休憩とりながら、2時間半かけて帰りました。 
　 
　頭の中でTUBEの曲を繰り返し鳴らしながら、夏満喫の楽しいサイクリングではあったけれど、とりあえず今日は、車で行きました・・・。

        
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    <title>熱海殺人事件</title>
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    <published>2010-07-14T15:24:13Z</published>
    <updated>2010-07-14T15:25:00Z</updated>
    
    <summary>　1975年、早稲田の文学部に入学した僕は、退学一流、留年二流という教えを守ろう...</summary>
    <author>
        <name>Perry</name>
        
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            <category term="僕自身のこと" />
            <category term="本・映画" />
            <category term="社会一般" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.p2aid.com/perryblog/">
        　1975年、早稲田の文学部に入学した僕は、退学一流、留年二流という教えを守ろうと、なるべく講義には出ずに街をふらふら。金も意気地も才能もないのに、結構あちこちのぞきまわっていました。 
　　 
　早稲田なんだから、演劇にもはまらなくちゃ。そんな思いもあって、唐十郎の赤テントや鈴木忠志の早稲田小劇場などにも通い、そんな中でつかこうへい「熱海殺人事件」も観ました。 

　赤テントの衝撃もすごかったけれど、赤テントは、いわば唐十郎が最初から仕掛けた衝撃をそのまま受け止めた衝撃。それに対して、「熱海殺人事件」の衝撃は、表現の底の底にある純粋なものに打たれての感動で、その印象はいわばトラウマのように、長いこと褪せずにむしろ僕を縛ってきたような気さえします。 

　　 
　僕が観たのは初演のオリジナルキャスト、三浦洋一、平田満、加藤健一の組み合わせで、色々な方のブログを見てみると、75年の秋の舞台のようです。 
　青山VAN99ホールという、文字通り99円で観られる当時としても破格に安い劇場で、VANというブランドをつくった石津謙介氏の社会的サロンのような施設だったようです。イヨネスコの演劇なんかもここで観たんじゃなかったかな。 
　 
　つか演劇について、扇田昭彦は「アイロニーのある、露悪的で苦い笑い」と書いていたけれど（朝日新聞2010-7-13)、僕はそういう風には感じませんでした。僕が感動したのは、何重にも積み重ねられた意匠の下の、無垢な叙情性でした。 
　 
　今さら正面に出すことなどできないような叙情的なものを、刑事がものすごいスピードで語るストーリーに犯人が合わせていくという仕組みの中で、少しずつ、少しずつ表現する。ほとんどなにもない舞台の向こうを見ながら平田満が語る言葉の中に、海が見えて、人々の心が見える。 
　 
　観てしばらくたった夜、思い出して一人で泣いた覚えがあります。泣いたのは、叙情性そのものにもあったのだけれど、むしろ、現代の表現の屈折さ加減にせつないものを感じていたのではなかったかな。 
　当時小説を書こうとしていた僕は、全盛だったヌーボーロマンにも通じる、素直に書けないつらさを含んだ現代の表現というものに、時代の人々の苦しさを感じていた、ように思います。　 
　 
　ちなみに、僕は一流にはならなかったものの、二流にはなれました。それも、卒業の年にようやく優の数が二桁になるという成績で。それに苦しむことになるのは、かなり経ってから。 
　 
　退学一流、留年二流、卒業三流。誰が言ったのやら、それを素直にやろうとする青年には、本来無縁のフレーズですね、今考えれば。文学、というものにやられてたんだなぁ。早めに諦めて、よかったのかもしれないね。

        
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    <title>違和感の正体</title>
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    <published>2010-07-06T16:50:33Z</published>
    <updated>2010-07-06T16:51:16Z</updated>
    
    <summary> 　今のアメリカへの違和感。それは、時代への違和感のような気がしてきた。 　 　...</summary>
    <author>
        <name>Perry</name>
        
    </author>
            <category term="社会一般" />
    
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　今のアメリカへの違和感。それは、時代への違和感のような気がしてきた。
　
　一言で言えば、真面目できちんとした社会への違和感。
　
　僕は、スクエアだった世界が、そんなものは壊せ、エスタブリッシュメントを信じるな、と言われて劣勢に立たされるところを見てきた。６０年代から８０年代は、そういう時代だった。
　
　既存の価値観から自由に外に飛び出ることが大事で、生意気であることこそが存在意義だと思っていた。
　
　マイルスデイビスは、５０年代にはスーツを着ていたけれど、その後はスーツは脱ぎ捨てて、パンツとシャツのファッションになった。
　ビルエバンスは、スーツから、ひげ面になった。
　根津甚八は、「スーツなんて生まれてから今まで着たことない」と言っていた。赤テントからメジャーになりかけていた頃のことですけれど。
　
　だから、そういうものだと思っていたのだ。
　
　ダーマ&amp;グレッグというアメリカのＴＶドラマでは、アメリカの自由な家とエスタブリッシュメントの家のぶつかり合いが出てくる。ヒッピー家庭に育ったダーマと、金持ちビジネスマン家族の息子、グレッグ。そのカルチャーの違いが面白いコメディだったのだけれど、僕はアメリカではヒッピー家族寄りの家ばかり知っていたので、グレッグの家そのものが既に新鮮。だから、ダーマの家も古い意匠になりつつある、というのは僕にとって逆のカルチャーショックでもある。
　
　でも気付いてみたら、世の中は、とてもしっかりした世界になりつつある。みんな真面目に、正しいことを押し進める。きちんとした社会、きちんとした人々。いい加減さは許されない。
　
　僕はいい加減さを価値だと思ってここまで来たので、そうした価値観が、面倒でつらい。
　
　
　正しいことは正しい。反論の余地はない。そこから抜けるには？車谷長吉が朝日の人生相談に回答していた、「阿呆になることが一番よいのです」というのが答かな。
　真面目に、きちんと、自信を持って、正しい道を、進むこと。・・・からは、抜けていたいと思う、この頃。
　まあ、元からあまり入っているようには思えないけれどね。
        
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    <title>どうしたんだアメリカ</title>
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    <published>2010-07-05T15:49:03Z</published>
    <updated>2010-07-05T15:49:51Z</updated>
    
    <summary> この頃、僕が好きだったアメリカは、どこへ行ったんだろう、と思うことしきり。 　...</summary>
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        <name>Perry</name>
        
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            <category term="社会一般" />
    
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この頃、僕が好きだったアメリカは、どこへ行ったんだろう、と思うことしきり。

　今、全米の公立学校の教師の10人に1人が、クビの危機にさらされている。理由は単純、経済的な危機だ。
　カリフォルニア州では増税案も住民投票で否決され、すでに33,000人がクビになった。
　さらに昨日のニュースでは、州職員の給与を最低賃金に引き上げるようシュワ知事が命じたという話も流れていた。
　
　テキサス州では、州カリキュラムの見直しで、「奴隷貿易」という言葉を削除して「三角貿易」という言葉を使うなどの超保守的テキストが準備されている。
　
　アリゾナ州では不法移民摘発のためとして、外見が外国人ならば警官は職務質問ができる、という州法が成立して、メキシコ系アメリカ人の憤激を買っている。
　
　アメリカにはマッカーシズムの時代もあったわけだし、ウルトラ保守の伝統というのもある。だからこんな状況も、あり得ることではある。それでも、豊かでおおらかなアメリカという夢を持っている僕にとっては、とても寂しいことだ。
　
　寂しいついでに、このところがっかりのアメリカをもっと列挙。
　カリブ海の原油流出は、エクソン・バルデスの流出量を３日で超えてしまうというすさまじさ。連日報道されているペンサコーラ海岸の惨状は、夢のリゾートの夢が破壊されていく寂しさだ。
　ニューヨークの公立学校からは、すでに95%でコーラが閉め出された。まあ、これはいいニュースともいえるのだけれど、でもアメリカといったらコーラでしょ。
　
　キティブーム、地下足袋ブーム、かわいいブーム、bentoブーム。やめてくれー、アメリカはセクシーでマッチョでブラウンバッグにピーナツバターサンドを入れるのがランチだったのに。
　
　
　僕が好きだったアメリカは、古くはジョン・ウェインで（保守的な部分はおいておくとして）、ヒッピー文化とハーレー・ダビッドソンで（ということは『イージーライダー』だ）、ビーチボーイズとモンキーズで、ＵＣバークレイのリベラリズムとサインフランシスコのカウンターカルチャーで、ビートニクとゲイリー・スナイダーで、学生町チコで、『夢のカリフォルニア』で、スターウォーズとバーガーキングで、・・・・。
　
　夢が壊れていくのは、つらい。あの頃のみんな、どうしてるのかなぁ。
　
        
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    <title>朝鮮初級学校・入学おめでとう応援隊</title>
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    <published>2010-04-04T15:35:44Z</published>
    <updated>2010-04-04T15:39:04Z</updated>
    
    <summary> 　朝鮮学校に通う子どもたちに対する襲撃事件が続いていた2003年、友人である地...</summary>
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        <name>Perry</name>
        
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            <category term="平和" />
            <category term="日記" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.p2aid.com/perryblog/">
        <![CDATA[

　朝鮮学校に通う子どもたちに対する襲撃事件が続いていた2003年、友人である地球の木の当時の代表Yさんや、現K-DECの事務局長Kさんらが始めたのが、この「入学おめでとう隊」です。
　
　http://bit.ly/aTTGTp
　
　僕は一度も行ったことなかったのだけれど、今回初めて、横浜の初級学校応援隊に娘と一緒に参加しました。
　
　予想通り、年齢は高め。娘が唯一の十代、二十代の人が多分一人、あとはみなある程度の年齢の人たち。それでも２０人近くがオレンジ色ののぼりを立てて子どもたちを迎える、とてもいい感じです。
　おめでとう、と声をかける、ほとんどそれだけの活動なのですが、思った以上に学校の方々や保護者の方たちに歓迎されました
　
　敷地内では、制服を着た在校生の子たちが、みんな元気に校内を掃除しながら、こんにちは、と堂々とした挨拶。
　
　そうした中で、小さな子を抱いて玄関前に現れた若いオモニ（お母さん）は、僕らを見て涙ぐんでいます。
　近くにいたオモニ会の前会長さんが、「こんな風に迎えていただいて、と感激しているんですよ」と教えてくれました。

<img alt="IMG_0187.JPG" src="http://www.p2aid.com/perryblog/IMG_0187.JPG" width="448" height="336" />　　

　やがて入場してきた、緊張した、でも体いっぱいにやる気と元気をみなぎらせた１年生らと、それに劣らず誇りと緊張をみせる保護者たち。
　数えてみたら、新入生全員、両親とも参加しています。
　
　それを受け入れる側の学校もとても立派。凛とした、しかし暖かい感じの先生たち。在校生も先生方も、一人一人を心から祝福し、仲間として受け入れる感じが溢れています。
　暖かく、力強く。制度としてある「学校」ではなく、自分たちで一から作り上げている学校の、原点を見た感じがします。
　
<img alt="IMG_0190.JPG" src="http://www.p2aid.com/perryblog/IMG_0190.JPG" width="448" height="336" />

　粛々と、かつ生き生きと、式は進みます。新入生たちは明るくきれいな正面壇上にひとりづつ並ばされ、晴れがましくも相当に緊張する場面。
　一人の子はほとんど最後までお母さんから離れられずに泣きっぱなしでしたが、それはそれ、という感じで決して無理強いはされず、抱きついたままで教科書を受け取ったりというセレモニーをこなしていました。
　
<img alt="IMG_0191.JPG" src="http://www.p2aid.com/perryblog/IMG_0191.JPG" width="448" height="336" />


　最後は記念撮影。保護者たちとの撮影はもちろんですが、学校側の配慮で、新入生たちと、僕ら応援隊が一緒に写真を撮って終了しました。
　
　
　終了後の理事長やオモニ会の方々との懇談会では、娘が「『GO』で読んだ朝鮮学校はどちらかといえば怖い感じだったけれど、とても明るくて楽しい学校だと分かってよかった、子どもたちもかわいかったし、来年もまた参加したい」と挨拶して喝采を受けました。
　
　理事長からは、高校無償化問題について語られましたが、声高に権利を主張するのではなくて、とても困っている、と穏やかに語られました。
　すでに日系４世、５世のこの国で生きていく子どもたちが、朝鮮学校に来ると支援が受けられないというのは、日本の国力を削ぐことにもなりかねない。学校の中身が分からないと言われるが、朝鮮学校はいつでもオープンにしているし、ぜひ中身を見てほしい、ととても当然のお話。
　
　草の根援助運動でも声明を出しましたが、世界的に見てもあからさまなこんな人種差別政策がまかり通るのは、許せないことです。　
　ところで、オモニ会の前会長さんが言っておられたことがとても心に残りました。
　いわく、若いオモニたちは、子どもたちに万が一の危害はないだろうか、生活をどう支えていくか、毎日が戦いなのだ、とのこと。
　確かにそうでしょう。そうした日々の中で、ルーツを隠して地元の学校に入るのではなく、自分たちの文化を受け継いでいく朝鮮学校に入る、という決断は、戦いのひとつのピークでもあるのでしょう。
　
　だからこそ、それを応援する僕らに対して、思った以上の感謝を示されたのでしょう。
　
　帰り、なんだか心が満たされてうきうきの僕は、あしなが育英会の子どもたちに寄付して、駅前のぼろぼろのホームレスの方に弁当の差し入れをして、それからタワーレコードでＣＤ７枚大人買いして、家路についたのでした。]]>
        
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    <title>フィリピンの南沙織</title>
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    <published>2010-04-02T15:30:35Z</published>
    <updated>2010-04-02T15:32:57Z</updated>
    
    <summary> 　１９７０年代のアイドル・南沙織は、山口百恵や桜田淳子に先行するアイドル第一世...</summary>
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        <name>Perry</name>
        
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            <category term="社会一般" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.p2aid.com/perryblog/">
        <![CDATA[<a href="http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SR/SaoriMinami/"><img alt="cynthia.jpg" src="http://www.p2aid.com/perryblog/cynthia.jpg" width="480" height="360" /></a>

　１９７０年代のアイドル・南沙織は、山口百恵や桜田淳子に先行するアイドル第一世代です。当時は小柳ルミ子、天地真理とセットでアイドル三人娘とされていたのですが、いやいや、全然違うぞ。かわいくて、爽やかで、知的な雰囲気がとても上品。
　
　youtubeで見始めたら、とまらなくなってしまいました。１７歳の時もかわいいけれど、まっすぐに成長した引退間際の雰囲気、そして1992年にほんの少しだけテレビ出演した時のすてきな大人の女性らしさ。そして、なによりも暖かくて伸びやかな歌声。こんなに歌、うまかったんだ。
　
　
　沖縄出身の彼女は、デビュー当時は奄美出身ということになっていたそうです。しかもフィリピンとのハーフということになっていました。実際にはお母さんの再婚相手がフィリピン人だったそうですが、どうしてそういう風な出自に変えられていたのか、今考えるとかなり興味深い。
　
　僕は実感として経験したことはないけれど、金城宗和によれば、沖縄出身者差別というのは一部ではかなり強くあったそうです。しかも当時はまだ、沖縄返還前。その沖縄出身というのは、今では分からないけれど、アイドルとしてはマイナス要素になったのでしょう。

　一方、今では時に出稼ぎ者のイメージで語られてしまうフィリピンは、当時はエキゾチックなアメリカ文化の響きがあったのだろうと想像されます。それやこれやで奄美出身フィリピンハーフ、になっていたのではないかな。
　
　
　作家の大岡昇平が彼女をとても気に入っていて、1974年の『婦人公論』２月号で南沙織と対談しています。
　
　http://www.cynthiastreet.com/book/fujin.html
　
　その対談は残念ながらあまりかみ合っているとは思えないのだけれど、大岡昇平は「あなたのお父さんはフィリッピンの方でしょう。ぼくはフィリッピンへ、戦争で行って、その話ばかり書いてる。だからフィリッピンはぼくの守備範囲なんだよ」と言いながら、「かわいくってさ、スタイルもいいしね、顔もいいけど(笑)」などと大絶賛しています。
　64歳の大岡昇平が19歳の南沙織に懸命にしゃべっている姿は、どちらかといえば痛々しい感じもあるのだけれど、フィリピン、沖縄というキーワードに反応してしまう僕としては、対談できていいなぁ、と大作家大岡昇平を羨んでしまいます。もっとも当時、僕が17歳だったわけだけれど。
　
　最近では銀杏BOYZもカバーしているデビュー曲「１７歳」が出たとき、僕は１５歳。南沙織と同じようなストレートヘアのガールフレンドと生まれて初めてつきあっていた僕は、その彼女にもちょっと重ねて、「海辺のまぶしさ　息もできないくらい」というフレーズに、まさに息もできないくらいになっていました。
　
　自分の部屋に初めて張ったポスターは、当時とっていた「中学１年コース」についていた折り込み付録でした。日焼けした素肌がまぶしかった・・・。
　
　　森高千里が「１７歳」をカバーしたときに、南沙織バージョンがゆっくりとして古色蒼然とした感じにさえ感じられて寂しく思ったものでしたが、今になってみると、森高千里の方が時代性が強くて古くさい。南沙織はかなり普遍的な価値を持った楽曲になっていると感じます。　
　また出てきて歌ってくれないかなぁ。今井美樹のような、いろいろな世代に支持される歌手になると思うのだけれど・・・。]]>
        
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    <title>『マザーテレサと生きる』</title>
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    <published>2010-03-28T04:21:00Z</published>
    <updated>2010-03-28T04:21:50Z</updated>
    
    <summary> 東京都写真美術館ホールで上映中の「マザーテレサと生きる」。   http://...</summary>
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        <name>Perry</name>
        
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            <category term="本・映画" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.p2aid.com/perryblog/">
         東京都写真美術館ホールで上映中の「マザーテレサと生きる」。
 
http://www.motherteresa.co.jp/movie_07.html

 千葉茂樹監督のマザーテレサ３部作の最新作で、昨年の作品だから、マザーテレサ自身はあまり出てきません。代わりにマザーテレサの愛を受け継いだ人たちの活動が描かれています。

　コルカタの通称「死にゆく人の家」でボランティアをする日本人たちの姿から、その参加者が山谷で開いたホスピスの様子へ。
　つらそう、と思えるボランティア仕事が本当にしあわせなものであることが、伝わります。山谷のホスピスのドキュメンタリーはテレビで見たことがあったけれど、映画として作られた本作は、その感情と人の幸福感が深く感じられます。
　人と心を通わせることの幸福。相手から感謝の言葉も様子もないとしても、それでも人になにかしてあげられることの幸福。
　
　ああ、そうか、と思いました。それが「無償の愛」か。無償の愛って、一番の恩恵は自分にある。無償の愛を捧げられる幸福感なんだ。
　
　映画の中で、マザーテレサの言葉としてこんなことが伝えられます。
　
　「恋は感情。愛は意志。だからたとえ敵でも愛すことができる。」言葉通りではないけれど、こんな意味のマザーテレサの言葉に、僕はうなずけます。
　
　僕は普段からキライな人がほとんどいないというお気楽な性格なのだけれど、これは多分、それがまさに「お気楽」なので自分でそうしているような気がする。たとえヘンな、自分に対してあからさまに嫌な顔をする人がいたとしても、でもホントはいい人なんだよなこの人、と思ってしまうことで、こっちはイヤでなくなる。イヤでなくなると、その人の態度にも平気になるし、平気になるとその人のホントの部分が見えてくる。
　
　妻にはときどき、僕が批評的でないことを指摘されます。そうなんだよな。なに食べてもおいしいし、どの映画も面白いし。意識的にやっているわけでもないのだけれど、そうであることって、毎日がとっても気楽。で、これって、無償の愛の入り口付近には、いるんじゃないかな？
　
　監督の千葉茂樹氏は、以前開発教育全国研究集会で、僕が「シネリテラシー」という分科会をやったときにリソースとして来ていただいた方。というよりも、その分科会そのものが、千葉監督ご自身の面白さに触発されてできた、という感じ。
　
　打ち合わせにうかがった日本映画学校で氏とお話したとき、僕は心から、こういう風に歳を重ねたい、と思ったものです。
　氏は現在７０代後半なのだけれど、闊達で好奇心いっぱい、寛容さ、暖かさ、知見の深さ、単純に表現すれば瞳の輝きが青年のような、感性豊かな方でした。
　
　79年に日参してマザーテレサのドキュメンタリーの許可を取り、それから密着取材をしていったという監督。「マザーテレサに初めて会った時に、初めて会った感じがせずとても懐かしい感じがした」そうだけれど、僕にとって千葉監督ご自身がそういう方でした。
　
　
　映画を見終わったあと、娘が、とても介護の仕事がすばらしいと思えた、と言いました。僕も同じ感じを持ちました。
　
　ただ、あの映画全体にキリストの愛が通底している。映画の魔法にかかって自分もすべて受け入れていたのだけれど、クリスチャンでない人たち－僕を含めて－には、魔法が醒めると難しい部分がでてくるかもしれない、ともちょっと思いました。


        
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    <title></title>
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    <published>2010-03-07T08:43:32Z</published>
    <updated>2010-03-07T08:45:13Z</updated>
    
    <summary> 草の根援助運動(P2)が進めている、マニラ湾の沿岸資源を守り、回復するプロジェ...</summary>
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        <name>Perry</name>
        
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        <![CDATA[
草の根援助運動(P2)が進めている、マニラ湾の沿岸資源を守り、回復するプロジェクト。漁師たちが、自分たちの手で海を守る、それを支援するというところがポイントです。

その中心的な活動の一つが、禁漁区。
海上に、漁ができない禁漁区を決めて保護します。

P2プロジェクトでは、昨年11月に、カビテ州ナイクで約50ヘクタールを禁漁とする禁漁区プロジェクトが再スタートしました。

<img alt="DSCF9169.JPG" src="http://www.p2aid.com/perryblog/DSCF9169.JPG" width="448" height="336" />

「再」スタートというのは、この場所は2002年に一度禁漁区としたのですが、2006年の台風の際、困窮した漁師たちがそこで漁をし始めて、そのままなし崩しになってしまったという経緯から。ボランティアでこの禁漁区を守っていた漁師のラフィとローズの夫妻は、当時「悔しくて夫婦で大泣きした」といいます。でも、今はまた、二人が中心となって、海を守っています。

<img alt="213.JPG" src="http://www.p2aid.com/perryblog/213.JPG" width="448" height="336" />


昨年、日本の専門家２人に潜って見たもらった限りでは、それなりの可能性のある場所、との評価でした。

でも、うまくいけばいくほど、そこで密漁するメリットも増えます。海上なのでその取り締まりも大変。

ブイはどんなにきちんと設置しても、台風などがあると流れてしまうし、とにかく地元の漁師たちの理解と協力は絶対に必要。

プロジェクトでは、そうした広報活動と、特に若い漁師たちへのアピール、そして次世代リーダーの育成にも力を入れています。]]>
        
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    <title>マニラ湾プロジェクトについての論文執筆中</title>
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    <published>2010-02-22T16:48:51Z</published>
    <updated>2010-02-22T16:52:10Z</updated>
    
    <summary> 論文を書いている。  　  　舞台はマニラ湾沿岸。８０年代後半からの、ＮＧＯと...</summary>
    <author>
        <name>Perry</name>
        
    </author>
            <category term="研究" />
            <category term="開発をめぐる問題" />
            <category term="ＮＧＯ活動" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.p2aid.com/perryblog/">
        <![CDATA[<img alt="SEagrassStudyCRM2009 060.jpg" src="http://www.p2aid.com/perryblog/SEagrassStudyCRM2009%20060.jpg" width="314" height="235" />

論文を書いている。 
　 
　舞台はマニラ湾沿岸。８０年代後半からの、ＮＧＯと現地の漁民組織の動きなどを追っている。 

　最終的には、それぞれのプロジェクトを調べて、ＮＧＯがやってきた（やろうとしてきた）参加型プロジェクトの中身と意味を精査しよう、ということなのだけれど、今のところはその前段階。 

　調べるといろいろな人がいろいろなことを書いているし、現地ＮＧＯの資料もいろいろあるし、それなりに漁師や組織リーダーたちにもインタビューしてきているので、資料には事欠かない。 

　これをやっていて一番面白いのは、実は９０年代半ばから関わりがあったのに、いろいろなことが分かっていなかった、ということ。そしてそれが、今になっていろいろ分かってくること。 

　プロジェクトを始める前にすでに、マニラ湾沿岸コミュニティは訪れているし、１９９８年には、わが草の根援助運動としても関わり始め、２０００年代前半には、それなりのプロジェクトを展開した。 
　その全体の中での位置づけが、こうして調べていて、あ、あれってこのことだったのか、という風に見えてくる。
　経験が資料の中でつながってくる。たとえば古い映画を見ていたら「あれ？？こんなところに我が家が映ってる！」みたいな感じ。 

　話が飛んでるけれど、これは植木等の６４年の映画『日本一のホラ吹き男』の話で、最近テレビで見ていたら、なんとラストシーンで向こうの方（といってもずっと遠く）に実家が映っていたのだ。 

　それともう一つ、ようやく分かってきて面白いこと。 

　たくさん資料を集めたので、一時は多すぎて途方に暮れた。でも、読み込んでいくと、書いてあることはかなり重なっている。それをたどっていくと、なあんだ、元の資料はそれほど多くない、ということが分かってきた。 
　そうなってくると、あ、ここでもこんなこと書いてるけど、元ネタはあれだよな、という見当がついてきて、なんだかそのあたりが見えてきた感じがする。 

　思い出してみると、古くは（すごく古い）受験勉強がそうだった。断片的な知識がつながりはじめると、面白くてしょうがなくなる。全体像が見えてくるまでには、どうしてもその前に一定のモガモガあがく時間が必要なんだろうな。 

　空手では、未だにモガモガしているような気がしますが。 

　ちなみに、先週土曜日の練習で、回し蹴りが相手と宙で重なって、ねんざ。 
　左足をテーピングして、足を引きずって歩いています・・・。 

]]>
        
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    <title>使うべき？しまっとくべき？５枚の皿</title>
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    <published>2010-02-19T15:18:26Z</published>
    <updated>2010-02-19T15:19:44Z</updated>
    
    <summary> きょう届いた５枚の皿。 　高橋悟という陶芸家の作品で、先週あるアトリエで開かれ...</summary>
    <author>
        <name>Perry</name>
        
    </author>
            <category term="日記" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.p2aid.com/perryblog/">
        <![CDATA[<img alt="IMG_0174.JPG" src="http://www.p2aid.com/perryblog/IMG_0174.JPG" width="448" height="336" />
きょう届いた５枚の皿。

　高橋悟という陶芸家の作品で、先週あるアトリエで開かれた個人展で買ったものです。

　高橋悟氏、実は次男が小学校の時にお世話になった担任の先生でした。
　どうにも落ち着かず、自信が持てず、ワイルドなだけだった次男が、ものすごく成長した２年間。本人はあまり気づいていないようなのだけれど、親としては、よくぞ育ててくれたと感謝一杯の先生です。

　まだ低学年だった娘も、おにいちゃんの担任の先生が大好きで、教わったこともなかったのに、転任式で贈る言葉と花束贈呈を志願しました。

　数年後、学校をやめて陶芸窯を開いたという先生。陶芸教室の傍ら実績もそれなりに積み重ねて、今や立派な陶芸家です。

　そこで、展覧会のお知らせをいただいて、そこで購入してきたというわけ。

　とてもきれいな、でもあくまで実用の陶器です。

　これを、どうするか。絶対壊すからしまっておこう、と言っているのが妻。壊れてもいいから、毎日使おう、と言うのが僕。
　結論は未だ出ず。

　写真ではちょっと出ていないけれど、とてもきれいな青緑の皿です。

値段は１枚１万円。さて、どうするべき？？]]>
        
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    <title>We Are the World</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.p2aid.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=12/entry_id=562" title="We Are the World" />
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    <published>2010-02-15T15:45:59Z</published>
    <updated>2010-02-15T16:09:52Z</updated>
    
    <summary>２５年前、最初のWe Are the World。アメリカから帰ってまだ間もない...</summary>
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        <name>Perry</name>
        
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            <category term="ＮＧＯ活動" />
    
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        <![CDATA[２５年前、最初のWe Are the World。アメリカから帰ってまだ間もない頃で、「途上国」との関わりもなにもなかった。 
あれから自分のスタンスはずいぶん変わった。いろいろなことが分かってきたし、自分なりに活動の幅も広げた。援助、について言うべきことはたくさんある。 

でも、このビデオは、２５年前以上に、熱く、暖かくなる。 
まずはここからだ。これが人間の希望だ、と思う。 


草の根援助運動が参加する「かながわ復興支援ネットワーク」でも、こういうのをやっています。映画は終わったけれど、募金はまだ受付中。 

<a href="http://ynn-ngo.sakura.ne.jp/modules/tinyd7/">http://ynn-ngo.sakura.ne.jp/modules/tinyd7/</a> 

世界には、問題はたくさん、でも優しいまなざしもたくさん。それが大事なことだし、支援でもある。 

「人って『誰か見ていてくれる人がいる』と思えたらがんばれるし、楽しめるんじゃないかな」村松俊亮ソニーミュージックレコーズ社長 朝日新聞 2010-2-13 

(形ある支援も、もちろんよろしく）


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    <title>参加型、とは</title>
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    <published>2010-02-09T15:17:22Z</published>
    <updated>2010-02-09T15:17:59Z</updated>
    
    <summary> 参加型開発、というのは、基本的には、受益者である当事者たちが自ら参加してやる、...</summary>
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        <name>Perry</name>
        
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            <category term="開発をめぐる問題" />
    
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参加型開発、というのは、基本的には、受益者である当事者たちが自ら参加してやる、ということ。
この参加には、有名なロジャー・ハートの参加のはしごというのがあって、８段階のどこまで参加している（またはさせている）かという目安になっている。

この参加型の大前提は、当事者たちがその気になっていること。

これがとてもむずかしい。
青年海外協力隊の青年らが苦労するのもここが大きい。当事者たちにその気になってほしくて一生懸命やると、実は、「あの隊員、遠くから来てがんばっているから、助けてあげよう」という善意の参加になっていたりする。


人は日々のルーティーンに忙殺されて生きていくもの。その中で、それ以外の活動に「参加」する余裕がある人は、そう多くはない。


これを教育にあてはめてみる。

教育は、本来、受ける側＝生徒、学生の自発性で成り立つ。でも、そうである場合の方が少ない。つまりほとんどの場合、教育現場は「参加型」にはなっていない。

支援者＝教師は、その場合、どこまでそれを生徒の責任だと言えるのか？どこまで尻をたたいてやらせるべきなのか？

高校生にもなって、本人がやる気をみせないのならば、もうどうしようもない。そう思うときもある。いろいろなことで追いつめられて、この状況でもやる気が出せない生徒に、教師としてしてやるべきことはない、と思う。

でも、その、やる気の出せない状況や環境は、もともと本人の責任でつくってきたものでもない。

というよりも、そもそも本人の責任なんて、問えるのか？人間って、そういう責任の問える存在として在るのか？社会の中で、結局のところ、社会内存在としてしか生きられないのではないか？だとしたら叱咤激励して無理矢理なんとかさせていくのも、また教師の責任か？


参加型開発に戻る。

日々の生活の糧を得る活動の中で、善意と意志と気力と能力で、別の次元の活動をしようとするリーダーたち。僕が尊敬してやまない、そんなリーダーたちがいたら、それを支援するのが、多分、草の根援助運動のような小さなNGOの使命であり、できることだ。

「参加型」でない開発なんて、そもそもそんな大それた事をする資格が僕らにはない。その意味では、それは「参加型開発」ではなくて、土地の人々の進もうとする意志なのであって、僕らはそれを友人として手伝わせてもらうというだけのことだ。

そうして前に進んでいこうとする人々を助けられるのは、とてもうれしい。NGOワーカーとしても、教師としても。

さて、前に進んでいこうとしない人々には・・・。

うーむ。
        
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