« 2010年08月 | メイン

2010年09月14日

フーテン活動家・渡辺保さんを悼む

 一昨日亡くなった草の根援助運動の運営委員・渡辺保さんは、いわゆる活動家だった。

 化学系の会社の労働組合で、長年活動をしてきた。
 60年代末からの学生運動系の活動にもずっと関わってきた。
 横浜の寄せ場・寿町の外国人を支援する活動では、給料を払わなかったり、パスポートを取り上げたりする悪徳雇い主に対して夜討ち朝駆けで交渉を仕掛けたりした。
 そして、草の根援助運動では、ひょいひょいと現地に出かけていっては、土地の人々に支援活動を繰り広げた。

 一方で、彼ほどに活動家のイメージから遠かった人もいない。

 口角泡を立てて議論をするなどということはなかったし、青筋立てて怒鳴るなどという姿も見たことがない。
 そもそも、なにか主張している姿すら思い浮かばない。
 ただ、いつでも、必要なところにはいて、ニコニコと笑っている。そんな人だった。

 僕よりも10歳ぐらい年上で、本来ならば敬語で話すべき相手だろうけれど、そんなことはしたことがない。むしろ親しみを込めてちょっとからかってみたくなる。分厚いめがねをちょっとズリ落としながら、いやいやいや、そんなことないよぉ、などと笑いながら答えてくれるのが好きだった。

 ちゃんと会社勤めをしているはずなのに、年に何度も海外に出かける。来月こんな会議があって、誰かいけるといいんだけど、などというときには、「行こうか?」と反応してくれる。年に5,6回海外に出かけ、行った国は百数十カ国。
 ただし、豪華な観光旅行などとは無縁だ。どこに行っても、泊まるのは安宿だし、訪問するのはスラム街だったり農村だったりする。インドでもフィリピンでも、土地のものを食べ、地元の水を飲む。
 僕も結構平気でやる方ではあるけれど、渡辺さんは無敵だった。

 どうやったらそんなに自由に動けるのか不思議で、根掘り葉掘り聞いたことがある。

 なんとなく分かったのは、やるべき仕事はちゃんとしているらしいということだった。製品検査のような仕事で、セットさえすれば、あとは結果が出るのを待っていればよい。給料はきちんともらっている。その上で、年休と、このあたりが不思議なのだけれど「その他の休みとか」を組み合わせて、自由に海外に行っている、のだという。
 その自由は、どうも、組合活動家である、というレッテルで勝ち取ったものらしい、と僕は感じていた。
 とにかくどこからみても活動家然とはしていない人なのだけれど、会社としては、手をつけにくい活動家、であったらしいのだ。下手なことをすれば組合差別になってしまうので、手が出せない。(多分)邪魔な人間であるけれどクビにもしにくい。正当な権利を行使している限り、勝手にさせておけばよい。そんなことだったようだ。

 身なりや普段の生活にはまったく気を遣わない。履いている靴もなんだかよれよれ。ハイテクガジェットにはお金をかけるけれど、新品に飛びつくことなどはせず、いつだって不思議なルートから安い品物を探し出してきては、変な接続方法を試して形にしてしまったりする。
 寿支援活動の方の事務所には、彼専用の寝場所があった。ロッカーで仕切られた奥に、しめった布団が敷きっぱなしになっている、そんな睡眠場所だ。ナベさんのアパートには行ったことがないけれど、まあ、見当はつくというものだ。
 
 50代半ばごろ、会社の勧奨退職に乗って退職。いわゆるリストラ横行の少し前だったから、それなりの退職金は受け取ったらしい。会社としても、ほっとしていたのでは、と推測するけれど、それを元にしばらくパソコンのサービス会社を経営していた。あまりうまくはいかなかったらしいけれど、社長一人、事務の社員一人の会社だったから、社長らしく、気楽に動き回っていた。

 
 使命感?違う。矜恃でもない。自己顕示ともほど遠い。快楽でもない。責任でもないし、信念ともちがうし、優しさともちょっと違う。
 
 飄々と、どこにでも出かけていくナベさんの行動原理は、やっぱり風まかせ、だったのでは。
 フーテンのナベさん、がしっくりする。
 
 あんな生き方もあった。草の根援助運動でしか知り合えなかった、フーテン活動家、渡辺保さん。やすらかに。