違和感の正体
今のアメリカへの違和感。それは、時代への違和感のような気がしてきた。
一言で言えば、真面目できちんとした社会への違和感。
僕は、スクエアだった世界が、そんなものは壊せ、エスタブリッシュメントを信じるな、と言われて劣勢に立たされるところを見てきた。60年代から80年代は、そういう時代だった。
既存の価値観から自由に外に飛び出ることが大事で、生意気であることこそが存在意義だと思っていた。
マイルスデイビスは、50年代にはスーツを着ていたけれど、その後はスーツは脱ぎ捨てて、パンツとシャツのファッションになった。
ビルエバンスは、スーツから、ひげ面になった。
根津甚八は、「スーツなんて生まれてから今まで着たことない」と言っていた。赤テントからメジャーになりかけていた頃のことですけれど。
だから、そういうものだと思っていたのだ。
ダーマ&グレッグというアメリカのTVドラマでは、アメリカの自由な家とエスタブリッシュメントの家のぶつかり合いが出てくる。ヒッピー家庭に育ったダーマと、金持ちビジネスマン家族の息子、グレッグ。そのカルチャーの違いが面白いコメディだったのだけれど、僕はアメリカではヒッピー家族寄りの家ばかり知っていたので、グレッグの家そのものが既に新鮮。だから、ダーマの家も古い意匠になりつつある、というのは僕にとって逆のカルチャーショックでもある。
でも気付いてみたら、世の中は、とてもしっかりした世界になりつつある。みんな真面目に、正しいことを押し進める。きちんとした社会、きちんとした人々。いい加減さは許されない。
僕はいい加減さを価値だと思ってここまで来たので、そうした価値観が、面倒でつらい。
正しいことは正しい。反論の余地はない。そこから抜けるには?車谷長吉が朝日の人生相談に回答していた、「阿呆になることが一番よいのです」というのが答かな。
真面目に、きちんと、自信を持って、正しい道を、進むこと。・・・からは、抜けていたいと思う、この頃。
まあ、元からあまり入っているようには思えないけれどね。