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フィリピンの漁師

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カ・アトン

 フィリピンの首都マニラから、バスで約3時間。バターン州オリオン町のカプニタン村は、草の根援助運動にとって最もなじみ深い漁村です。
 今もまた沿岸資源回復プロジェクトを進めているこの村に、現地パートナーNGO「PRRM」が入ったのがほぼ20年前。草の根援助運動も、その直後から繰り返し訪問し、毎年のスタディツアーでは、この村にホームスティするのがひとつのハイライトになっています。

 そのカプニタン村の漁民組織「サマカ」の代表がカ・アトンです。

 「カ」というのは、「~さん」のような敬称で、「アトン」はミドルネーム。そのカ・アトンは、1940年にカプニタン村で生まれました。

 お父さんも漁師だったけれど、両親は小さい頃に別れてしまっていたので、お父さんから漁を教わったわけではない、とアトンは言います。 小学校を卒業した年、母方の叔父に誘われて漁を始めました。ハイスクールに進む気はなかったのか聞くと、彼はこう答えました。
 「もし学校に行きたいと言っていたら、そうだなぁ・・・。でも学校に行くより漁に出たかったね。なにしろ、海には魚がたくさんいたんだから。」

 でも、その頃は大漁の時だけ現金をもらい、普段は現物の魚をもらって帰るという働き方で、せいぜい米を買うぐらいのお金しか手に入らない。
 そこで、身体もできて一人前になってきた17歳の年、商業漁船に乗り込みました。アトンは、スービック、オロンガポ、ビコールといったルソン島南部の各地に移動しながら潜水漁を行います。
 
 ナボタスで漁をしていたある日。同じ漁船に乗っていた仲間が、「アトン、お前の父さんがあそこにいるぜ」と叫びました。「どれ?いや、違うだろ」「おーい、これがお前の息子だぜ」

 そこで初めて父親に対面して、お互いに抱き合い、とてもうれしかった、とアトンは言います。

 「うれしかったさ。父がいなければ自分は生まれなかったわけで、その父と初めて会ったんだから。そのあと父はカプニタンに戻ってきて、また一緒に暮らすようになったんだ。」

 2年間である程度のお金をつくり、19歳で地元に戻り、20歳の時に同じカプニタン村に住んでいたイロカノ出身の女性と結婚しました。

 8人生まれた子どものうち2人は小さいうちに亡くなったけれど、あとの6人は無事に育ちました。5男1女の全員がハイスクールを卒業し、末の双子の男の子たちはそれぞれ電気関係の専門学校とカレッジを卒業してエネルギー関連の会社と石油関連会社で働いています。

 漁師になった三男は、今はサウジアラビアに出稼ぎ中。フィリピンではごく普通のことですが、経済的には余裕ができているようです。

(この項つづく)

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