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『ハリー・ポッター 死の秘宝』がない・・・

 突然ハリポタづいてしまった我が家。
 娘と観に行った『謎のプリンス(6作目)』と、テレビでやっていた『不死鳥の騎士団(5作目)』、それに『賢者の石(1作目)』を映画で観て、5と6を娘と競うように読みました。
 
 もうどれがどれだか分からなくなってきたけれど、僕は「一人で戦うこと」をかなりリアルに追体験して、苦しくなりました。

 周囲が「強いもの」に巻かれてゆき、自分の回りはみんな疲れ果てていく。日々の暮らしの中で、変節する人がいて、追従する人がいて、しかも権力が生活と職場に入り込んでくる。
 こんなとき、いつだって、かっこよくきちんとしているのはあっち側。こっち側は情けなく、くたびれている。

 たとえば戦争に進んでいく道筋が、こうだったろうと思うのです。

 「ハリーの魔法の世界、特にホグワーツ(Hogwarts)魔法学校というエリート校の設定は、小説中でマグル(Muggle)と呼ばれる非魔法使いに象徴された中流階級の勝利に対する抵抗を示している」

 と、ジャン=クロード・ミルネールというフランス人哲学者が書いているそうですが、そうであるとすれば、このホグワーツが侵入され、破壊されていく過程を描いた5巻・6巻こそは、その設定が壊されていく様子を描いていることになります。

http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2304490/2293992

 実際のところ、ホグワーツは決してしっかりしたエリート校としては描かれていないと思います。むしろ、欠陥だらけ、不安だらけの最後の拠点です。

 僕としては逆に、その欠陥だらけの場所で、絶対の存在に見えたダンブルドア校長すら絶対ではないことが分かってしまった、その不安な世界で一人戦っていくヒロイズムではない寂しい戦いが、転向せずに戦い続ける孤独な戦いを思って、暗く熱い気持ちになるのです。

 ハリー・ポッターの寄る辺のなさは尋常ではない。人はこんな中で、己を信じて戦い続けることはなかなかできるものではない。
 
 鶴見俊輔らが戦後問い続けた「転向」は、「生活」の中で起きていくものでした。

 ハリー・ポッターの戦う原動力は復讐と運命です。その単純さは児童文学の故だけれど、状況として起こっていくことと、それを描き続ける作者の精神力は決して侮れない力強いものだ、と僕は感じました。


 さて、その完結編である『死の秘宝』を読もう、と学校の図書館へ行ったら、この間はあったのに、貸し出し中。しょうがない、買おう、と近くの本屋に行ったら、ない。娘がきょう横浜駅周辺の3軒の本屋を回ってもなくて、アマゾンで買おうと探したら数週間待ち。

 あああ!これは困った!!!

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