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『ハリー・ポッター』

 二週間前の「トランスフォーマー」に続いて、今度は『ハリー・ポッターと謎のプリンス』。
今日公開というので、娘は急いで予習、昨日から読み始めて、一日で読んでしまったそうな。

その娘と、もう一歳上の姪と、3人で観てきました。

 
暗いとは聞いていたけれど、それにしてもの圧迫感、閉塞感。あのホグワーツ魔法学校が!あのダンブルドア先生が!

 第1作目のころをとても懐かしく思える、のんびりした時代との決別。

 身近な、たいしたことがないと思っていたような友人や知人との対立がそのまま大きな争いになり、それが巨大な戦いになっていくというのは、ある意味ではとてもリアルな戦争への道筋を描いていたと思います。
 人は、生活の中で、こうして抑圧者に加担し、戦争の片棒を担ぐようになっていくのだ、という苦い感覚は、時として楽な方に流れていく自分の日常にも、ちょっと思いものを与えてくれます。

 真面目なハーマィオニーが、そのままに大きくなり、そして自分でも気づかないうちに成熟してきていたり、小さい妹だったジニーがいつの間にか一人前になりつつあったり・・・

 自分の子ども時代に重ねて考えることはさすがにないけれども、オトナになりつつある我が家の子どもたちにむしろ重ねて、懐かしいような胸の苦しささえ感じました。

 で、帰る途中、研修期間をほぼ終えた長男からは、大阪支社に配属が決まった、というちょっと慌てたメール。三鷹でガールフレンドと暮らし始めて三ヶ月、さてどうするか、これは困っているだろうな。
 
 でも、それも人生の、面白さですよね。


 それにしてもつくづく、ハリー・ポッターは日本のストーリーじゃないなあ、と思うことしきり。

1 悪いやつはやっぱり悪いやつ。
 日常の中で、それでも悪いやつ。話せば分かる的な共感性がどこかにあると感じられる日本的風土と比べると、理解できない人はいる、という徹底的な「他者」の感覚があります。
 異教徒や異文化にさらされてきたヨーロッパ的な感性なのだろうな。

2 選ばれたものへの特別視。
 ハリーに対する先生や周囲のえこひいきは、日本の感覚では許されない。階級社会イギリスならではじゃないかな。ノーブレス・オブリージュの孤独、人は生まれながらにして違うのだ、という確信が底にあるように思います。

3 よるべなさ。
 両親が殺されているというハリーは、その頼るべき場所や人も次々に奪われていきます。子ども向けファンタジーじゃないのだろうか?こんなに不安な場所に人は生きている、という感じは、生まれたときからの孤児である苦しさと矜恃とともにハリー・ポッターシリーズの基本だけれど、結構徹底しているように思える。

 あとは・・・また今度。
 
 それにしても、割と間抜けな「ライラの冒険」とか、結局牧歌的な「ナルニア国物語」と比べても、ダークで救いの少なさ、これはやはり、一流のファンタジーだなぁ。

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