ライオンキングは楽しいけれど気に入らない
舞台芸術に興味を持っている高2の娘と、劇団四季のライオンキングを観に行きました。
さすがに完成された舞台装置と衣装の数々で、そのできばえは素晴らしい。動物を表す様式の美しさは、まさに歌舞伎の味わいです。次々と繰り出される装置と光とデザインで、アフリカの光景が見事によみがえります。舞台ならではの面白さが満載で、娘は何度も泣きそうになったとか。
娘は特に、「草」に感激していました。人が演じる「草」が、確かに草であって、しかも演者のいる登場人物でもあり、そして背景でもある。
演者の顔とはまた別のところに顔があるライオンもハイエナもイボイノシシも、みなそのまま動物に見える。文楽人形のような黒子がもっとはっきり見えているミーアキャットが、その二重性のままに、俳優であって動物です。
まさに、劇を演じる、演劇の面白さでした。
それは僕もとても楽しんだのだけれど・・・ストーリーそのものには大きな違和感があって、むしろ腹立たしい思いさえ持ちました。
ムスタファ王が弟のスカーの策略により殺され、継承者である子ライオンのシンバもまた追い出される。スカーはその側近としてハイエナたちを招き入れて王になる。しかし成長したシンバが「正統なる王の後継者」として叔父・スカーと決闘を行い、ついに昔のような王国が再建される・・・。
子どもの頃に国を追い出されて、それ以来イボイノシシとミーアキャットに育てられたシンバが、なぜ王として戻れるのか?
なにしろ実績がない。もちろん政策もない。国を統べるための知識もなにもない若いライオンが、「正統な後継者」という血筋だけで王になるという王権主義は、たとえ楽しいミュージカルであっても落ち着きません。
自分に人望がないことは十分理解しているスカーの方に、僕はむしろ同情してしまいます。確かに王としての資質はないかもしれない。ではあっても、それが前王の息子だというだけの若者に追い出されるというのは、これも現実にときどきあることではあるけれど、住民たちの勝手な期待が高まっているだけに、やってはいけないこと、に僕には思えます。
スカーにより側近として招き入れられたハイエナたちは、最後にまた王国を追われていくのだけれど、仮にも王に住人として認められた者がもう一度追い出されるというのもまた納得がいかない。外国人は出て行けという排外主義にも感じられます。
血統を中心とする王権主義、外国人排斥主義。中曽根ブレーンだった浅利慶太ならではの構想か、とも思ったけれど、多分ブロードウェイ版も同じだろうから、ここまで彼のせいにするわけにはいかないのでしょう。でも、素直に感動できないのは、心よりも形にこだわっているこの劇のかたち故か、とも思います。それは浅利慶太に責任を負わせてもいいかもしれない。
帰りは浜離宮公園をぐるっと散歩して帰ってきました。都会の中の和風自然の空間。ビルの中のアフリカ空間を見た後で、また気持ちのいい場所でした。感性豊かな娘の感想を聞きながら、初夏の夕方を楽しみました。