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開発教育について その1

 開発教育というのはかなり変な言葉です。

 人権教育というのは、人権についての教育と考えて間違いない。環境教育も同じく、環境についての教育です。では開発教育は?開発についての教育?
 言葉だけでは、どういうものか、イメージもできません。そもそも開発って、なんでしょう?

 でもその前に、これは開発教育とは言えない、と僕が思うものを2種類挙げてみます。

 これは開発教育ではない、その1。

 「途上国」の子どもたちがいかに飢えているか、いかに厳しい状態にあるか、いかにかわいそうかを強調するもの。
 世界で10億の人々が飢えています、などという提示の仕方もこれにあたるでしょう。
 こうした事実を見せられ、考えさせられる側は、「かわいそうな途上国の子どもたち」と考え、まっとうな意見として「僕たちは日本人で良かった」「僕たちになにができるか」という感想を持ちます。
 
 1984年にエチオピア支援を行ったBandAidは、人気歌手たちがその目をアフリカに向けたという意味では画期的な動きだったけれど、「かわいそうなアフリカの子どもに支援を」という視点はとても貧しいものでもありました。

 その中の一節「Well tonight thank God it's them instead of you(今夜は神に感謝しよう、それが私たちではなくて彼らだということを)」という部分はU2のBONOが歌いました。

 BONOはその20年後に撮られたドキュメンタリーで、この歌詞は歌えないと抵抗したこと、しかし作詞者のゲルドフがここにこそ意味があると押し切ったことを明かしていましたが、多分、84年にこれを歌ったことこそが、その後BONOがジュビリー2000などにのめり込んでいくきっかけだったのではないでしょうか。

 かわいそうな彼ら、助けるべきわれわれ、そういう視点は開発教育ではない。これは、豊かな私たちと貧しい彼らを分断する方向に働く教育です。


 これは開発教育ではない、その2。

 世界の人々の価値観はいろいろだから、その国のことはその国の人たちに任せておけばいい、という結論にいたるもの。「そこの人たちがこれでいいと考えてるんだから、いいんじゃないの」という、一見冷静に土地の価値観を尊重している、しかし人としての共感を放棄している感想に至ります。
 
 その2の問題点は、そうした状況が、土地の人々の選択によって起きている、ととらえていることです。選択の余地がないのが現実なのに、それを本人たちの責任にしてしまう、
 国内でも数年前、ニートやホームレスに対する言説で同じことが起きてきました。

 
 さて、それならば開発教育とは、どういうものか?

 僕は、人としての共感を育てるもの、関係性への視点を持っているものこそが開発教育だと考えています。

(この項つづく)

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コメント

どうもお久しぶりです。

拓大のファシリコースの宿題で、「なぜ日本で開発教育が普及しなかったのか」ということを考えなくてはならないんですが、どう思います?

自分は、縦割り行政による縄張り争いと、社会の構造に目を向けるとどうしても反体制的ならざるを得ない事じゃないかと思ってます。

issacさん
 拓大ファシリコースに参加されてるんですか。石川さんのですね。いつまでも行動的ですね。

 僕は、開発教育の答のなさが一番の原因だと思います。
 それこそが一番面白い部分なのだけれど、開発問題のリアリティは、人権や環境のような分かりやすいものと比べると、教える側に相当の覚悟と経験がないと進められない。そういうことだと思うな。

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