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フィリピンペソは(しばしば)地域通貨

 新聞等でときどき見かける、地域通貨というもの。さまざまなタイプがあるけれど、基本は一定の地域でのみ通用する通貨のことだ。ニューヨーク州イサカで1991年に始められたイサカ・アワーというのが有名だが、日本でも湯布院のYUFUとか千葉のピーナツとか、結構あちこちで行われている。

 その地域通貨の機能は、大きく分けて3つある。

 1 個人間のサービスを促進する。
 2 地域内経済を活性化させる。
 3 通貨流通を促進する。

1番目の、個人間サービスの例。

 体の不自由な人が、電球を交換したいのだが、自分では換えられない。とりあえずやってくれる身近な人がいないのだが、数千円払ってやってもらうほどのことでもない。
 そこで地域通貨の出番だ。参加者の登録表から、近くに住む、簡単な家のサービスをする、という人を選んで連絡した。その人は喜んで来てくれて、電球交換そのものは数分で終わり、地域通貨で100ロンを支払った。
 自分はそういうサービスはできない。そのかわり、地域図書館での音読ボランティアで地域通貨を稼いでいる。できることを登録してあるので、最近では近所の寝たきりの人のところで本を読んであげることも頼まれている・・・。

 昔ならば、地域の助け合いで済んでいたことだ。しかし、垣根越しに頼む、頼まれるというようなことができにくくなっている現在、それを復活させよう、というのが地域通貨だ。

 これが、フィリピンでは今も生きている。ペソを媒介とした、助け、助けられるという関係だ。

 町中で車をバックさせようとすると、後ろで見てくれている人がいる。オーライ、オーライの代わりにトントン、トントンと車体を叩いて知らせてくれる。やってもらった人はその人に5ペソ渡す。
 道路が陥没して、片側通行になっている。近所の人が自主的に交通整理をしている。ただし、上を切ったペットボトルを片手に持っている。通っていく車の運転手は、その中にコインを入れていく。

 小銭をせびられる、という感覚で考えると、フィリピンではあちこちでそれがある。でも、日本の感覚で「せびっている」のとはちょっと違う。なにかをやってあげる、その分を小銭で感謝する、というのが、常識の一部なのだ。
 もらうことが浅ましいわけでもなければ、上げることが失礼なことなわけでもない。ペソを通じたサービスのやりとりが、ごく普通に行われている、ということなのだ。

 マニラの交差点では、たくさんの人が、停まった車の間を縫って歩き回りながら、水やら新聞やらキャンディやらを売っている。ずいぶん危険な販売方法だが、結構買っている人はいて、それなりの商売になっているようだ。
 コンビニのすぐ前で新聞やキャンディを売っている人もいる。コンビニで買えばいいのだから買う人などいなさそうだけれど、それも結構買ってくれている。
 
 人と人との助け合い、という意識がごく近くにあるのだと思う。サービス的なことについても、お金についてもだ。

 それほど裕福でない家でも、洗濯を近所の人に頼んでいたりする。日本で考えると、贅沢、あるいは傲慢とさえ感じられることなのだが、どうも違うのではないか、と思う。できることをやってもらって、その分お金を払う、それは助け合いに近い。
 人と人との関係が近い。そこにペソという交換機能が加わって、小さな範囲での助け合いを成り立たせている。

 僕はこれが、とても地域通貨的だと思うのだけれど、どうでしょう。 
 

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