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2008年07月30日

内藤vs清水 と 空手講習会

 県立武道館にて、三日間の空手講習会に参加中。教員対象の「学校体育指導者養成講座」。今の勤務校には空手部がないのが残念だけれど、いずれまたの機会には、ということで。

 もともと「形式」というものがだいきらいだった僕が武道をやるなんて、考えられないことだったのだけれど(最初の頃いろいろな人に揶揄された)、やってみると形に身を委ねてしまう気持ちのよさというのは確かにある。どうしていいか分からないことが、形があれば迷わずに動ける。その先にある自由、というのは結構大きい。・・・と理屈をつけておいて、自分には縁がないと思っていた空手なんかやって、いつの間にか結構動けてる、そのうれしさ。人生いろいろな楽しみ方があるものだ。

 今日楽しかったのは、最後にやった、中段逆突き限定組み手。
 使っていい突きを限定して、先にとった方が勝ち、という単純ルールで繰り返しやるのだが、いつの間にか、そう簡単にはやられない程度にはうまくなった。きちんと構えていれば、初動で入れられることはあまりないし、カウンターを誘うと、結構いい具合に突きが決まる。街中で万一ナイフを持った相手に出くわしても、なんとかなるんじゃないかな(きっと誤解)。
 ああでもない、こうでもないと動きを工夫しながら、気持ちのよい組み手を楽しんだ。


 そして観たフライ級のボクシング試合は、ことさらに身近な感じ。
 内藤大助の変則的な構えは、端的に「分かる」気がするし、清水智信の端正なボクシングもまた、そのタイミングとか狙いがとても「分かる」。そうやって構えられると攻められないよなぁ、あ、左右変えたのでガードが空いた、と勝手にどちらにも思い入れながら試合を観ていた。
 
 正統的なボクシングをする清水は、まさにフライ王子の雰囲気(王子って呼ばれてるのは聞いたことないけれど)。負けた後の顔もかわいかった。素朴な人柄丸出しの内藤、勝ててよかった。コメントも実にうまかったし、突然上がってきて、いかにも嫌われそうなパフォーマンスをした亀田もまた、組み合わせとしていいメンバー。WBCは、いい役者が揃った。

 明日も空手講習。若い同僚のryangさん(体育・24歳)も一緒で、それもまたうれし楽しい。夏らしく暑いといいな。

2008年07月28日

『カシオペアの丘で』重松清

 三十代半ばまで、僕は文学を支えに生きてきた。自分のすべてのことは、いずれ文学につながる、と思っていた。文学こそが、世界のすべてを表現する、と思っていた。ちょっと恥ずかしい思い込み。
 
 なんだか違う、と思うようになったのは、文学そのものの衰退にも関係があるとは思う。文学部フランス文学科出身の僕が「文学」と思っていたもの自体が、世の中で衰退していると思うようになったのは、90年代に入った頃。長編小説が売れない、といわれるようになったのと、同じ時期・・・かな。
 敬愛する大江健三郎がノーベル賞を取った頃、本屋に行っても大江の小説がない。大江自身が、自分の言葉が人々に届かない、というようなエッセイを書いていたけれども、文学が世界を表せるという、多分に誤解の時代だったのかもしれない。

 そしてもうひとつが、草の根援助運動に本格的に関わるようになってきたこと。文学が扱おうとしているようなものが吹き飛んでしまう、大きなものを見てしまったこと。
 サルトルは、「飢えて死ぬ子の前では文学は無力だ」という趣旨のことを書いて、文学から遠ざかった。文学者として、文化人としてその態度が正しかったようにはあまり思えないのだけれど、意識としてはとても理解できてしまう。世界の暴力性、人権の軽視状況、そんなものを考えてしまうと、文学の扱っているものがどうでもよく見えてくる。

 『カシオペアの丘で』で扱われているのは、主人公たちのそれぞれの悔いと赦しの物語だ。主人公の一人・俊介が末期がんになり、故郷の人々と会う、そのそれぞれの物語。それぞれが背負ったものの重さと大きさは、十分に大きく苦しい。それがこの文学を成り立たせる。
 そして、重松清のこれでもか、これでもかと思いを深めていく力はすごいと思う。僕はとてもじゃないが、こんなに人の思いに付き合いきれない。どうも相当に飽きっぽいらしい自分の性格もあいまって、重い「思い」に長いこと関わっていくのは苦手だ。
 僕ならば、この主人公たちの誰であっても、物語の半分ぐらいで降りてしまっている、ように思う。
 それを粘り強く、爆発する直前のところまで持ち上げながらキープし続ける重松の力はすごい。これは筆の力というよりは、心の力なのだろう。そこまで徹底して付き合おうとする心の力。
 例えば悲しい目にあっている川原さんにぎりぎりまで踏み込んで手を差し伸べる、雄司のエネルギー。僕にはない。
 そして、多くの今の日本人にも、ないのじゃないかな。

 そして、その関わり方、それぞれの人がそれぞれの思いと向き合い、他の人に関わっていくそのあり方が、あまりにも幸せすぎる、と僕は感じてしまう。こんな風に人が関わっていけるのならば、人間はまだ幸せだ。

 人はもっと、無関心だ。
 人はもっと、自分のことだけで、あとはどうでもいいと思っている。

 そんなことないのかなぁ。
 僕自身が、僕さえがまんすればいいのだから、という気持ちを持つようになったのは、ある程度の歳になってからだ。それは、夢から醒めたような気持ちでもあった。
 人が死ぬことさえ、日々の生活の中では風化していく。人の死の悲しみを呑み込んでしまう経済とか、暴力とか、日々の苦しさとか、そんなものの前では、心のありようなんて、なんにもなりゃしない、という感覚があるのだけれど、それはペシミスティック過ぎるのだろうか。


 ・・・多分、続く。

2008年07月25日

公共性と私性

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 前回書いたことのゆるやかな続き。

 教育学者の広田照幸は、「一元化や同化を求める『公共』観に対して、多様性や異質性によって成り立つ『公共』観を対置させる」ことを提唱している(『21世紀の社会と教育』2008、アドバンテージサーバー)。
 たとえば冷戦時代にあったような一定の社会像や目標がなくなった今、いろいろなビジョンを考え、提出できるような市民の力こそが必要なのだ、と広田は言う。

 広田によれば、教育基本法改正(改悪)反対運動の中で唱えられていた、国家による心の領域への侵害への反対、という図式には「ある種の狭さ」があった。「『私』を守った先にどういう社会の連帯や共同を描くのか」が、この反対運動では「どうもよくわからない」。
 そのままでは、どうせみんな違うんだから勝手にやればよい、という価値相対主義とか、自分の回りの生活だけが大事だという私生活主義に陥ってしまう。そうではなくて、「具体的な国家観とか社会観とか人間観とかは、多様な可能性に向けてオープンにしておいて、そこの選択は個々人に委ねてしまう」ことが必要、ということだ。


 60年代から最近まで、公的な介入を排除して私的な領域を守ることこそが、市民的自由を獲得する、ということだった。そこには、何であれ私的なものに対する公的な介入を防ぎたい、という意識があった。そうした「公的な介入」には、いわゆる官僚支配も含まれる。そこで、たとえば郵政民営化がむしろ左寄りから支持されるような現象も起きてきたのだ。
 一方、それと対立するような「大きな政府」が、福祉政策を望む左翼と、公共政策を維持したい保守派との両方に支持されたりもする。市民的な自由を守るために公的なものを必要とするのかそうでないのか、決定的なビジョンはまだない。
 それは端的に言えば、私的に儲ける自由の範囲が決まらない、ということ。もう少し過激な問い方をすれば、他者からの搾取の自由はどこまで私的な自由と言えるのか、ということだ。「金を儲けることのどこが悪い」と言った某社長の言葉は、ここを突いている。

 このところ、さまざまな規制の復活が報道されてきている。公的な規制と私的な自由のバランスに、答はない。ちょうどいい支点を求めて、あっちへいったりこっちへいったり、揺れ動きながら探していくということになるのだろう。
 

 ところで、写真は近くのスーパーで安くなっていたからと妻が買ってきたパパイヤ。パッケージにはただ「フィリピン産果実」とだけ書いてある。「果実」って。なんだか分からないで売ってるわけ??これには規制はないのか??
 我が家では、苦い、臭いと不評だった。えー、熟していておいしいのに。ほとんど一人で食べました。 

2008年07月23日

公権力に依存するということ

 落語『黄金餅』は、見舞っていた金山寺味噌屋の金兵衛の目の前で長屋の住人・西念が死んでしまうところから始まる。
 「お、おぃ!しっかりろよ、西念さん!・・・いけねぇ、くたばっちまった。」
 その弔いについて金兵衛に相談された大家は、「本来なら大家がやるところだが、お前が頼まれたんならやってやってくれ」と金兵衛に頼む。ある理由からそれを待っていた金兵衛はそこで、長屋の連中と一緒に、西念を漬物桶に詰めて寺へ運ぶ。貧乏寺でわけの分からないお経をあげてもらったあと、焼き場へ運ぶのも金兵衛、骨壷に入れられた遺骨を寺に運ぶのも本来は(『黄金餅』ではそれをやらないのだが)金兵衛の役目になっている。
 
 実は西念が死ぬ前に、持っていたお金を餅に挟んで呑み込んでいた・・・というのがこの話の面白いところなのだけれど、それは置いておいて、僕にはこの「死」の身近さが面白い。

 「死ぬとこんなになっちまうのかなぁ、いい人だったのに、なむあみだぶ、なむあみだぶ」と大家さんは言う。その一方でおかみさんは線香と供え物を買いに走り、長屋の連中は次々に現れて線香をあげていく。

 ここにあるのは、今生きている人たちによる、亡くなった人への当然の見送りの一部始終だ。此岸にいる人が彼岸に渡ってしまう。それを見送り、あとの始末をつけるのは、此岸に残っている人たちの仕事だ。

 ところが、現代ではそうなっていない。彼岸に移ったとたん、その面倒は、医者・看護師・葬儀社の人・火葬場の担当の人の手に移る。子どもであっても夫や妻であっても、勝手に触ることはできないところへ行ってしまう。いや、実はできるのだけれど、できない、と感じてしまう。
 此岸と彼岸を分けるものは、単なる場所の違いではなく、「公的なもの」なのだ。

 こうした「公的なもの」はどこにでも入り込んでいる。
 たとえば教育。自分の子どもであっても、教育権そのものは国に取り上げられている。自宅で主に親から学ぶ「ホームスクール」を受けている子どもはアメリカではすでに200万人いるそうだが、日本では親が就学義務を怠っているとみなされる。
 誰かに暴力的な行為を受けた場合もそうだ。それに対する報復は、自分の手で行ってはならなず、公権力に頼るしかない。それが現代のルールだ。

 フィリピンの海で、禁漁区を守る活動をするグループを「バンタイ・ダガット(海の番人)」という。こうしたグループはしばしば、敵対的な漁師たちから攻撃されたりする。そのために許可を得て武装して臨むこともある。
 本来は警察なり沿岸警備隊の仕事だ。なのに、なぜ?
 一つの理由は、警察では手が足りないから、というものだが、もっと本質的な理由がある。
 「警察は、自分たちの海じゃないから、真剣に取り締まってはくれない。賄賂でも出されれば簡単に釈放してしまうし、役に立たない。自分たちの海は、自分たちで守るしかないんだ。」
 あるバンタイ・ダガットのメンバーに聞いた言葉だ。

 「公的なもの」に守られ、その分誕生から死までさまざまな制約を受ける社会。人間が文化として積み上げてきた、安心の社会だ。その一方で、すべてを自分たちでやる社会に対する憧れのようなものも、僕にはある。
 自分のことだから、自分でやる。その潔さと強さも好きだ。

 どこまで自分の生と死を自分に取り戻せるか。それも生きる価値の大事なポイントのような気がする。

2008年07月21日

ジョセフィン・モニカ

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 友人の娘・ジョセフィン・モニカが来訪。
 彼女はアメリカ人だが、父親(僕の友人)は18歳まで日本にいた在米日本人。母親は中国系二世のアメリカ人。シンシナチの高校で日本語のクラスをとったことはあるけれどあまり話せず、中国語もだめで、英語しか話せない。
 それでも彼女の家では、寝るときには子どもを間に挟んで川の字になって眠り(子どもは三人いるので、大きな川になるが)、家に入るときには靴を脱ぐ。シンシナチ近くの敷地1500坪の家に住んでいるけれど、和洋中折衷の、ある面ではいまどきの日本人より日本的な育て方をさせられた。
 そのおかげで、この秋大学に進むのだけれど、同年代の日本人と比べても物静かでおっとりした性格。高1の娘が緊張しながらいろいろ案内して歩いているのだが、「ジョセフィンって自分からおしゃべりしないねー」と、おしゃべりな娘は驚いていた。

 昨晩は、次男が大学生十数人と集まった横浜国際花火大会会場へ連れて行ったのだが、そこでもにこやかに微笑むばかりだったそうな。
 それにしても、と高1の娘の強烈な感想。「国際政治系の大学生だっていうのに、みんな英語が話せないねー」。次男によれば、「お前の妹英語うまいな」と言われたとか。
 がんばれ、日本の大学生。

2008年07月19日

寒いよりも暑い方がいい

 みなさん、こんばんは。きょうは、寒いよりも暑いほうがいい、という題で話します。(拍手)
 
 寒いよりも暑いほうがいい。それは、そもそも人類発祥の地がアフリカだということからも明らかです。人類は本来、暑いのが好きなのです。暑いのが好きでない人は、人間じゃない。みなさんのまわりでもそうですよ。暑いのが好きなのが、人間の姿なのです。(会場からブーイング)いえそうなんですよ、ほんとに。
 
 それにですね、暑いほうが人間は活動的になります。
 寒いと人は、どうしても閉じこもりがちになる。部屋にじっとして、酒ばかり飲むような状態になってしまいます。ほら、世界でも大体、北のほうの人が大酒飲みでしょ。じっとして、悪いことばっかり考える。そして体を壊す。ね、いけません。寒いところはいけません。
 その点、暑いところでは人はどんどん外に出てくる。夏の夜の夕涼み、いいですね。日本ばかりじゃないんですよ。暑い国ではみんな、夕方外に出て涼んでいます。家も開放的です。そこで他の人たちとのコミュニケーションもとれる。だから暑い国は平和なんです。え?いや、そうですよ。暑い国は平和です。そうでない国もありますけど、少しは。いや、まあだいぶありますが。最近はほら、エアコン、あれがいけない。あれで人々は家に閉じこもるようになった。それで、平和でなくなったんですね。エアコンをやめればいいんですよ。そうだ、エアコンのせいだ。戦争はエアコンのせいなんですよ。

 寒ければ着ればいいが、暑いとそれ以上脱げない、などと言う人もいますが、それはみなさん、失礼ながら、視野がせまい。
 寒いのに着るものがない、暖房しようにも燃料も買えない、というのは命に関わります。
 その点、暑いところはいいですよ。とりあえず寝られます。インドのリキシャのりなんて、リキシャの上でそのまま寝てるんです。インドネシアのリゾートホテルでも、従業員が外のベンチで寝てます。それでも大丈夫ですからね。私の家でも、エアコンなんてほとんど使いません。ただ場所を変えて、風の通るところで寝ています。それで大丈夫ですからねぇ。
 暑い、死ぬなんて言う人もいますが、暑くて死んだ人なんていないでしょ。寒さで死ぬ人はいっぱいるんですよ。え?あ、インドね。あ、ヨーロッパでも。うん、まあ、暑さで死ぬこともありますね。そうですけど、でも暑いならまだいいじゃないですか。え、熱中症?あ、きょう日本でたくさん出た?そりゃねえ。いや、それは困りますが、でもほら、いいんですよ、暑いほうが。

 大体、暑いと、うれしいじゃないですか。
 私など、きょうも真昼間、10キロ走ってきましたよ。汗びっしょりで。気持ちいいですよ。夜の空手の練習も、汗だくで、もうべとべとで、うれしいですよ。(会場からバカじゃないの、の声)なんてこと言うんですか。みんなそうですよ。いや、みんなそうです。寒いのが好きだなんておかしいですよ。断然、暑いのがいいんです。あ、いたっ、投げないで。あ、やめてください。大体ね、こんなところでみなさん、あ、わっ、うわぁ、あの、あのね・・(マイク途切れる)

  

2008年07月14日

ミュージカル「ピピン」

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 娘とデート。
 チケットがとってあったのに、出かける直前になって、あるべきところに見つからず(間違えて捨ててしまった可能性大)、当日券頼みでとにかく天王洲銀河劇場へ。S席のいわゆるボックス席が取れて、高かったけどいい席でした。娘は大喜び。まあいいか。

 楽しんだけれど・・・なぜ「ピピン」?という疑問大。
 72年のブロードウェイミュージカルだそうで、それの30年ぶりの上演だそうだ。確かに70年代っぽさが濃厚。

 まず、若者の、生きる意味探し、というテーマ。
 そして、自己言及性とアンチ・クライマックス性。
 ちょうど一昨日書いたことに重なるのだけれど、当時、表現は行き詰まっていて、シニカルな批評性をその中に持たないと、表現として成り立たなかった。小説のヌーボーロマン然り、つかこうへい劇団の演劇然り。そうした含羞のまなざしが、この再演シナリオにも充満していて、今となってはそれがうるさい。表現の中での自己言及は、今では「オタク」のものいいの中にもっとも見られるもので、それをこんなミュージカルの中でやられてもねぇ。
 それに、ローマ帝国の若者の苦悩を現代の若者と重ねるというテーマそのものも、まさに70年代だ。「ジーザス・クライスト・スーパースター」など、当時新鮮だったというのはよく分かるのだが、今となっては、歴史性を無視した現代への置き換えは、いつの時代でもどこの場所でも、人間はみな同じでしょ、という夜郎自大なアメリカ的傲慢さがつきまとって見える。

 それでも、高校でダンス部に入り、文化祭で3つも4つも役割を引き受けている娘が喜んでいろいろ語ってくれるのを聞いているだけでうれしいし、なんといっても劇場に娘といける幸せったら、それで十分だけれど。生のパフォーマンスというのはいいしね。

 でも、昼間炎天下を10キロ走ったあと行ったので、喉が渇いてしょうがなかった。

2008年07月12日

今の若者は夢がない、なんてことはない

 さまざまなところで出会う若者たちの傾向。今の若者たち、と一括できないことは承知の上で、自分が若者だった頃と比べてみると・・・


1 地元志向・友人志向

 地元が大好きだ。1マイル族と呼ばれるそうだけれど、自分の家とそのまわり、友人たちと一緒に遊ぶことが大好き。大きな町へ行きたい、という志向があまりない。


2 多様な意匠

 サザンオールスターズの「ミス・ブランニュー・ディ」に、次のような歌詞がある。

  ミス・ブランニュー・ディ
  みなおなじそぶり
  ミス・ブランニュー・ディ
  誰かと似たみなり

 1984年の若者たちの姿を歌っているのだが、この歌詞は今の若者にはあまりあてはまらない。これが今のミス・ブランニュー・ディ、という姿が決められないのが今だ。

ファッションも、嗜好も、少なくともそのパターンははるかに細分化されている。


3 非高級品志向・シンプル志向

 ユニクロがヒットしたあたりから明らかになってきた。リーズナブルな買い物が自然。

 
4 素直な表現

 小説でも歌詞でも演劇でも、ひとひねりもふたひねりもしないと恥ずかしくていられなかった・・・という時代は終わったらしい。なんともストレートで素直な表現であふれている。

 これは、「いきものがかり」の『帰りたくなったよ』の歌詞。 

  帰りたくなったよ 君が待つ町へ
  かけがいのないその手に今 もう一度伝えたいから
  帰りたくなったよ 君が待つ家に
  聞いて欲しい話があるよ 笑ってくれたらうれしいな 

 ものすごく素直な、地元志向・友人志向・家志向の歌だ。井上陽水の「傘がない」がある種のシニカルな感性として受け取られたのと比べるとよく分かる。

 
5 優しい社会性

 優しさというのは、身近な人にのみ発揮される、とよく言われたものだ。それが大きく外に広がっているように思われる。
 端的に、ボランティア的な活動や環境に対する活動をしようとする若者が増えている。秋葉原の事件のときに、被害者を助けようと手を差し伸べた若者たちをみよ。


 で、こんな話を七十近い叔父にすると、「今の若者は夢がない」と言う。「あれがほしいというものがないし、上昇志向がない。かわいそうだ。」
 それがきっと、日本の高度成長期を支えてきた価値観だった。さらに言えば、近代主義を支えている価値観でもある。

そうではなく、地域で、シンプルに、身近な幸せで生きていくこと。開発を考えていると行き着く、持続可能な価値観が、いつのまにか若者たちのライフスタイルに反映されている、僕などはそういう感動を持ってしまう。オトナが説いて聞かせたり、キャンペーンをはったりすることとは多分関係なく、新しい価値観ができてきているのだ。

 未来は明るい。若い人たちを見ていると、僕はいつだって、そう思う。

2008年07月08日

なぜG8サミットに反対するのか?

 僕自身は、そして草の根援助運動はかならずしも「反対」の立場には立っていない。草の根援助運動の参加している「G8サミットNGOフォーラム」は、この機会をとらえて人々の声をリーダーたちに届けよう、というスタンスで活動してきた。
 
 では、テレビで「反対」を唱えてデモをしている(それだけではないが)人々は、なにを訴えているのか。我が家の高1の娘の疑問でもあったので、ちょっとだけ考えてみる。

1 根本的な問題として、G8は、組織として存在していない。
 G8サミットに代表としてでてきているリーダーたちは、世界人口の15%の国々のリーダーであるにすぎず、世界の方向性を決めるなんらの権利ももっていない。しかもこのサミットというのは、事務局も持たず、なんの活動もしていない。人々の声を届ける手段がないのだ。
 
2 彼らこそが、新自由主義的グローバリゼーション推進の元凶である。
 新自由主義というのは「本当は弱肉強食の旧自由主義」である、と言うのは佐高信だけれど(『貧困と愛国』毎日新聞社)、これが小さなイデオロギーだったときからここまでに育て上げてしまったのは、他ならぬG8のリーダー層だった。
 この新自由主義がいかに世界の格差を拡大し、人々を苦しめてきたかは『新自由主義』(デヴィッド・ハーヴェイ0007、作品社)および『悪魔のサイクル』(内橋克人2006、文藝春秋)がよい文献だ。

3 サミットの公式声明は、ことごとく実行されていない。
 僕が以前関わっていたジュビリー2000の主張は、かなりの部分、サミットが取り入れてきた。ところが現実的にはさまざまな手続きを立ててしまうので、ほとんど実行されていない。これについては草の根援助運動顧問の北沢洋子氏の一連の論文が詳しい。

(これらの主張を詳しく知るには、ATTACというグローバリゼーションに反対してきた組織による『徹底批判 G8サミット』(2008・作品社)がお勧め。)

 サミット反対、を唱える世界の人々の声も、確かに大きい。僕たちはそれに十分耳を傾ける必要がある。
 ゆめゆめ、「あの人たち、なんで反対するのか分からない」なんて言わないでください。

2008年07月07日

「開発」と「成長」

 
 「開発」と「発展」は、英語ではともにdevelopment。日本語の語感では他動詞と自動詞の違いがあるし、語源的にもちがうのだけれど、だいたい同じと考えてもいい。
 一方、「成長」growthはちがう、とハーマン・デイリーはいう。
 
 デイリーは、成長は、物質の同化と融合による量的な増加、発展は質的な改善と潜在力の実現、としている。
 デイリーによれば、「有限な環境から得られた物質の同化(吸収)ないし融合による経済規模の量的な拡大は持続可能ではない。質的な改善と潜在力の実現は永続する可能性がある」という(『持続可能な発展の経済学』ハーマン・デイリー2005、みすず書房)。

 地球上の資源が有限だというとき、石油に代表される、閉鎖系である地球にあるエネルギー全体を指している。これの使用を加速させていくのが成長で、質的な変化を加えていくだけなのが開発ということだ。

 一般的な経済学では、そのどちらも同じものとして扱っている。さらに、再生可能な自然資本に関しても、生産も消費も同じ分野で計算される。だから、木を植えることも切ることも同じGNPで計上されてしまう。

 結論。
 「開発」を考えるときには、第一に、その当事者性を検討する必要がある。
 第二に、「成長」と「開発」は分けて考えなければならない。
 第三に、公正な分配をつねに考えるべきだ。

2008年07月06日

「開発をやめろというのか」?

 横浜NGO連絡会主催の「かながわ国際協力フォーラム」の分科会で助言者(どういう立場で、誰に助言するのかよくわからなかったけれど)。JICA横浜センターで。
 
 地球環境を取り戻すには、という分科会で、コモンズ論とか環境と開発について少しおさらいしていったのだけれど、そういう話からはやや外れた議論になった。

 事例発表者が自然破壊的な開発に対する問題点を指摘したのに対して、銀行に勤めているというNさんの発言。
 「途上国の人に、豊かになるのをやめろというのは違和感がある。経済的な進歩を止めることはできない」。
 それが開発一般に対する反対論と感じてそう言ったらしい。事例発表者である地球の木の中野さんは、とても適切に答えていた。

 「今のままがいいからそれで暮せ、と言っているわけではない。当事者が関わらない状況で開発プロジェクトがすすむことを問題にしている。」

 学生のHさんの質問。
 「どういう援助をすればいいのか分らなくなり、いやになることはないのか。」
 自分の今やっていることが正しいのか分らなくなって、NGO活動を止めてしまうという若者がたくさんいるが、という趣旨の質問だった。
 
 僕が答えたこと。「NGOメンバーは、大きな視点で世の中をどうにかしたいと思って活動している。でも、それと同時に自分の目の前にいる一人の人にできることをしたいと思う気持ちもある。その両方で、活動が続いていく。」

 開発のめざすものの話とか、まだまだ話したいことがたくさん。午前中の中田武仁さんの講演もよかったし、意味のある会合でした。

 その後夜の空手はきつかったけど。

2008年07月02日

10歳で離婚した少女―イエメン―

Los Angeles Timesの記事。

 Nujoodという10歳の女の子が、裁判所にやってきて、裁判官に離婚したいと申し出た。

 相手は30過ぎの男性で、困窮した両親は、大人になるまで保護し育ててくれるという約束で結婚に同意したのだという。でも実際には、結婚したその日から性的な関係を迫られ、暴力を受けた。
 イエメンでは法的な結婚年齢は15歳だが、慣習的にははるかに早く、2006年の調査では女性の52%は18歳前に結婚しているのだという。
 
 Nujoodの話を聞いた裁判官は同情し、彼女は法的な保護が受けられるようになって、助けてくれる弁護士も現れ、夫と父親は逮捕された。イエメンでもさすがにこの話は大きなニュースになり、他の似たような女の子たちが名乗り出てきたり、結婚年齢の引き上げなどが議論されている。

 しかし、この話で一番すごいのが、このNujoodという女の子だ。伝統的には顔をさらすのもはばかれるであろうこの地で、顔写真とともに話が報道されることに同意し、「結婚はこりごり。学校に戻って勉強を続けて、苦しめられている人を助けるシャダ(自分を助けてくれた弁護士)のような人になりたい。他の女の子たちのお手本になりたい」と言っている。

 人は、経験やたたかいの中で強くなる。どんなところでも、希望を失わずに前向きな人間がいる。それは教育の程度とかとはまったく関係がない。
 先日インドから来ていたシャクンタラもそうだった。小学校を出ただけで、14歳からNGOで働いてきた彼女は、地域で初めて人前で自転車に乗った女性であり、初めてバイクを乗り回した(そして今も毎日オフロードバイクで各村を回っている)女性だ。
 各地で活躍している人たちの暖かさ、やさしさ、そして強さ。僕はひそかに「鄙の賢人たち」と読んでいるのだけれど、このNujoodにも同じものを感じる。応援したい気持ちでいっぱいだ。

 NGO活動をしていると、こうした人たちを支え、支えられ、知り合い元気付けられる機会に恵まれる。それがこうした活動をする一番のうれしさかもしれない。

ちなみに、新聞記事とは内容は違うが、同じライターの書いているNujoodに関するブログがこちらから読めます。賢そうな彼女の写真も。 

2008年07月01日

日比経済連携協定は格差を増大させる


 フィリピンから介護士がやってくる、というニュースが流れたのは2006年の秋。それから2年たっても進展しないのは、フィリピン国内で反対の声が強く、批准されていないからだ。そうこうしているうちにインドネシアとの協定の方が先に発効して、インドネシア人看護師・介護士が1,000人入ってくるというニュースも流れている。
 
 この協定について、フィリピン大学のローランド・シンブラン教授(「ちぇろのフィリピン大学留学日記」に登場しているS教授)は次の8つの問題点を挙げている。

1 不平等である。
 日本は16分野を保護貿易領域としているのに対し、フィリピンは5分野のみである。

2 フィリピン経済への良い影響は限定的。
 フィリピン人看護師は日本では最底辺の看護師にならざるを得ない。農業でも漁業でも、フィリピン人に対する悪い影響のみ。

3 日本の有害廃棄物輸出への道を開く。
 医療廃棄物、産業廃棄物等が関税なしで輸出できるようになる。

4 自由貿易は「途上国」の開発を進めることにならない。
 常に「先進国」側がさらに利益を得るようになる。

5 フィリピンの経済政策を著しく制限する。
 日本側の投資の自由度が大きい。

6 フィリピンの産業発展を阻害し、就業機会を減少させる。
 フィリピン国内の小規模産業は自由貿易に押しつぶされる。

7 フィリピン農業が衰退し、食糧供給を不安定化する。
 フィリピンバナナとパイナップルの輸出自由化が大きく宣伝されているが、フィリピンから日本のうち食料品は7.4%に過ぎず、しかもその大半はデルモンテのような多国籍企業からのもので貧しい農民にはなんの利益もない。

8 日本企業に大きな利益を与え、フィリピン経済に悪影響を与える。


 フィリピン国会はこの8月にもこの協定を批准する、というニュースが流れてきている。日本ではようやく規制緩和の行き過ぎによる格差拡大が認識され始めたところだが、この協定は両国内それぞれの格差―貧困層―増大を進める方向にしか働かないだろう。
 貧しい人々は、常に置いていかれる。この協定が意味するのは、猛威を振るっている新自由主義の新局面そのものだ。