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2009年06月24日

ミス・ジャパンとフィリピンで働く人々

草の根援助運動のフィリピンでの法人格取得のために何度か足を運んでいる
SEC(Security and Exchange Commission;証券取引所)のおばさまに
こう呼ばれている。

「Hi, ミス・ジャパン」
運よくいつも同じおばさまに担当してもらえて、修正箇所など色々指摘を受け、
やっと今日書類が受理された。

「この子、ミス・ジャパンなのよ。」と、他のスタッフに言うおばさま。
「ねぇ、ほら信じてないよ。いつだったっけ?あなたミス・ジャパンになったの。」
「2003年ですよ。」うぅん、2003年のミス・ジャパンは誰だったっけ。
「あぁ、ジャパンね。ユニバースかと思ったわ。」とまじまじと私の顔をみるスタッフ。

SECは私の住んでいるところから近くないうえ、駅から歩く道の一部がかなり狭く不快だ。
でも、こんな会話があると、待たされていた時のイライラがふっと抜ける。
SECの入口では新型インフルエンザ対策のため、体温を測られ、
手に濃い青いインクで今日の日付を押された。
体温は35.9℃と低く、かえって心配になった。

最後におばさまは「私日本へエンターテイナーでどうかしら」とまで言っていた。
おばさまはかわいらしい方なのだが、つい吹き出してしまい、
エンターテイナーの受け入れを日本は中止しているので、ケアギバーですよ、
とお返事するのを忘れてしまった。

もう1つ笑い?話を。

この間ミーティングに行ったPRRMでたまたま、
新型インフルエンザと感染症に関するレクチャーをやっていた時のこと。

イタリア帰りの「アクティブ・プレジデント」ガーニ氏が無理やりバンダナを
マスク代わりにして皆大笑い。
運悪く私は風邪気味で鼻をかんでいるとみんなから丸い目を向けられ、
「あ、ちぇろは日本からよ!」
「来てからもう1ヵ月たつよー」と答える。
それでも久しぶりに会ったスタッフは、
「あーさっき、ちぇろにキスしちゃったわ。日本帰りだったなんて!」
と、レクチャーの間も大盛り上がり。

こんなフィリピンのオフィスで働いたら楽しいだろうなぁ、と思う。
でも、PRRMのスタッフも「ちぇろ次はいつ日本に帰るの?ちぇろの家泊まれる?」
と、日本行きを狙っているよう。このスタッフのご近所さんが
日本でエンターテイナーとして3ヵ月働いただけで大きな家を建てたとか。

日本のイメージはやはりお金持ちの国なのだなぁ。
日本で、こんなフィリピンの人々のように楽しく働けたらよいのだけれど。。
そんなペラペラ喋ってたら、私語を慎めって言われそう…

2009年06月19日

授業開始してます。

予定通り今週から授業が開始しました。
今学期は火曜日から金曜日まで毎日夜の授業。
8月中旬から午後の授業も1つ始まります。

火曜日と金曜日の「医療人類学」という授業は、
公衆衛生の博士課程の方々も選択科目としてとっているため、
初めての顔ぶれが多く、最初は教室を間違ったかと思うほどでした。

というのは私の専攻コース「保健政策学」の履修者は少ないため、
少人数の授業が多いのです。

今年から「保健政策学」のコースに加わった新しい顔ぶれは、
フィリピン国立総合病院の看護師、州の医療技術者、
WHO(世界保健機構)でフランス語と中国語の翻訳をされている方と、
自己紹介を受けて「ワーオ」と思わず言ってしまうような方々です。

WHOの方には早速、WHOにある母子保健関係の本を貸してもらえますか?
と聞いたところ、貸してあげるし何か記事も見つけたら下さるとのこと。
なんともありがたい話です。

このWHOの彼女は、フィリピン大学ディリマン校のフランス文学科を卒業され、
同校で教鞭をとられていたとのこと。
彼女の英語の発音は、一般的なフィリピンの人々とは違うので、
フィリピン人ではないのかな、と思ったのですが、
タガログ語もちゃんと話していました。
旦那様はフランス人だそうです。

なんだか人の噂話のようになってしまいましたが、
こんな素敵な人たちに囲まれて勉強ができるのは幸せなことです。
宿題・テスト・レポートがたくさんあっても…

2009年06月09日

困った国の困った事々について

8日から授業開始の予定が、来週15日からとなりました。

公衆衛生学科に通う日本人留学生の方とクラスメイトからテキスト(携帯メール)をもらい、
私の所属する社会科学科でもそうなのかしらと、
大学院事務室スタッフにテキストで確認したら、
15日からになったから他のクラスメイトにも知らせて、とテキストが返ってきました。

今日でフィリピン国内感染者54人となった新型インフルエンザのせいなのでしょうか?
フィリピン大学マニラ校に割と近いデ・ラサール大学に感染者がいるからなのでしょうか?

理由は何であれ、突然の変更などは慣れっこなので特に動じません。
おかげさまで、時間ができたからといって、日本帰国の際に機内で読む予定だった、
村上春樹の小説を読み終えてしまいました。

突然の変更などよりも、人よりも車優先の暗黙?の交通ルール、
バスの中で吐き捨てられたガムを踏んでしまったこと、の方が腹が立ちます。
ガムは日本に一時帰国中にも数回踏んで嫌な思いをしました。
なんとかなりませんか、ガムの吐き捨て。

元ルームメイトは去年11月から部屋を引き払っているのに
荷物をずっと置いていて、たまに戻ってきます。
(2人部屋のところ、私が1人部屋として使っているので2人分の家賃を払っているのです。)

そのうえ、この間はドバイからフィリピンに一時帰国中の彼氏とともに、
彼の翌朝のフライトが早いからと言って、この部屋に泊まっていったそうです。
私はちょうどカビテ州の実家に帰っていたので別に良いのですが。

「ホテルみたいに使ってるわよね。ちぇろに恥ずかしくないのかしら。」
と、さすがに他のシェア・メイトも言っています。

この困ったルームメイトとは関係なく、今月中に私は引っ越す予定です。
今度は全くの1人部屋だけど、そこに元々住んでいる日本人の方が、
マニラに戻ってくる際には定宿とするそうです。
宿泊代を支払ってくれるそうだし、元々あるキッチン用具等は使わせてもらうので、
Win-Winな関係のはず。

こんな私はお人よしなのか、なんなのかよくわからないけど、
寛容な心を持てるのはフィリピンだからでしょうか。

諦め、もしくは妥協かもしれませんが。

最後に、広尾で開催されるフィリピン展のご案内を。
http://www.jica.go.jp/hiroba/event/200906.html#a04-62-02
フィリピンスイーツも食べられるそう。

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2009年06月01日

地方都市はぼらない?

タガログ語が外国語に聞こえたフィリピン・ライフ再スタートの初日、
その翌々日はセブアノ語とワライワライ語圏のビサヤ諸島へ。

ビリラン州の州都ナバル。
マクドナルドやジョリビーなどのファストフードはない。
そして何より感動したのが…

ぼる人がいない!!!

ペディキャブ(自転車タクシー)に結構こいでもらって、
マニラならこりゃ30ペソ位いっちゃうよ、
という距離で10ペソ。

20ペソ出すと、「細かいのないの?」
「8ペソしかないけど…」
「それでいいよ」

ナバルから車で3時間の、モール(今月11日にロビンソンがオープン!)も
ジョリビーもあるレイテ島のタクロバンでも、ぼられない。
私はセブアノもワライワライもできないからタガログ語で通しているのに…

マニラの方がお金のかかる生活だし、
マニラでぼられるのは仕方ないのかもしれない。
でも、やっぱりぼられない方が気分がいい。


海岸沿いの道路に止まるトライシクル。


結構きれいなタクロバンの海。岸からだけでも、魚の群れや蟹が見られました。