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2009年05月25日

また明日、フィリピンへ

約2ヵ月の日本一時帰国もあっという間に過ぎ、フィリピンへ戻ります。

6月に入ったらすぐにエンロール(履修登録)・授業開始です。
その前に、修士論文のテーマにする予定であるフィールドへ少し行ってきます。
フィールドとは例の、伝統産婆介助による出産を禁止している州です。

正直、日本にいすぎて、タガログ語で立ちまわれるのかちょっと緊張しています。
まぁ、数日で順応するのでしょうが…

日本での滞在はまさに’バケーション’で、本当に快適でした。
卒業大学のゼミに参加させてもらったり、
草の根援助運動の会議やイベントに参加したり、
大事な人たちと一緒に過ごしたり。

修士をとる。フィリピンのことを、タガログ語をもっと学ぶ。
この目標を達成して、再び日本で、腰を据えて働くことが当面の目標です。

「20代はとにかく修行と思って頑張りなさい」
と、学部のゼミの先生に言われた言葉の通りです。

一時帰国中にお会いできた皆さま、ありがとうございました。
今回連絡できなかったり、お会いできなかった皆さまはまたの機会に。。
明日、お休みから、修行に戻ります。

2009年05月12日

へんてこホットケーキを作る母の初講義

娘「このホットケーキ、なんか固くない?」
母「この粉で作ってみたのよね。」
娘「…これ、クレープの皮つくるヤツじゃん。。」

と、かなりお茶目な母が、某大学のある授業に講師として呼ばれた。
その大学に母も私も行ったことがないし、
私がちょうど日本にいる折角の機会なので、一緒についていってみた。

母は「言語適応指導員」の仕事を続けて、15年以上になる。
この仕事では、外国(母の場合はフィリピン)から来た子どもで、
まだ日本語がそれ程(全く、の場合もある)わからない子どもに
3~6ヶ月間、日本語を教え、学校生活をサポートする、といったことを行っている。
週2回、1回あたり2時間、「取り出し指導」といって、授業から子どもを
「取り出し」て、別の教室で指導を行う。

私自身も2回程、このような仕事をしたことがある。
私が担当した子どもは2人とも教えやすかったが、母は今まで多くの、
様々な境遇の中にある子どもと接してきた。

母にとっての「指導」は、学校に行って子どもに日本語を教えるだけではない。
子どもたちの中には、父親が暴力をふるう、母親が病気であるなど、
家庭において必ずしも「心を開ける」状況にない子どももいる。

「先生、’死ね’って何?」
「先生、’キモイ’って何?」
-「お友達になりたくて声をかけてるのよ。気持ちを表現するのが下手でそんなこと言っちゃったのよ。」

「さぁ、挨拶から始めましょうねー。」
「ウルセェ、ババァ。」
「あらすご~い!どこでその言葉覚えたの?」

決して子どもの心を傷つけることのないよう、とにかく褒めてやる。
「子どもの心が開けるような場をつくってやらないと、言葉も覚えられない」と、母は言う。
そして、子どもの「心が開ける」よう、子どもとその家族が抱える問題も親身に聞く。
区の社会福祉事務所や生活相談センターに、
その子どもや家族と一緒に行き、そこで通訳もする。
子どもの学校の行事にも顔を見せる。

こういったことは、自分の子どもに接するのと同じなのではないだろうか。
「言語適応指導員」は、ただ言葉を教えるだけでなく、「適応」の部分が大事なのだろう。
それぞれの「言語適応指導員」にノウハウがあり、マニュアルなどなさそうな仕事だが、
子どもの心に、その家族の心に寄り添うという「ケア」の仕事だと母は言う。