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2009年02月28日

みんなおんなじ、とパレート改善

教員をしている友人がこんな記事を見つけた。

鳥取の小学校は「学級委員長」なし 「なれない子どもが傷つくから」?

恥ずかしながら、こういった学校があることを知らなかった。
鳥取市では20年ぶりに1校だけ「学級委員長」が復活するということは、
学部で同期だった鳥取出身の私の友人は、公立の小学校に通っていたなら、
学級委員長がいない環境で育ったということだ。
今まで話題にしたことがなかっただけなのか、彼女は私学に通っていたのか。

学級委員長がいないということよりも私が驚いたのは、
徒競争も全員が同時にゴールできるよう、
生徒によってコースを変えたりしているということ。

この記事を読んで、ふと最近の授業'Health in Economics'で習った
「パレート改善(Pareto Improvement)」の問題とつながっているような気がしたので、
問題を出してみよう。

【問題】
マリッサ医師とフィリピナス医師は、一次試験の結果が知らされた後、’疫学201’の教授に以下の方針を勧めた。どれがパレート改善か特定し、その理由を説明せよ。
※疫学201の通常の方針では、3度異なる範囲の試験を受け、その3度の試験の点数の全てを合わせた平均点が75%を超えていないと、最終試験を受けることとなっている。

A.最終試験はなし。全員が現段階の成績をつけられる。
B.最終試験は任意。現段階の成績のままか、最終試験により成績が決まる。
C.最終試験は必須。ただし、その生徒の平均点があがる場合のみ最終試験の点数が考慮される。
D.最終試験は必須。ただし、点数は高得点の生徒から得点の低い生徒に分配され、全員が同じ成績をつけられる。
E.どんな点数に関わらず、教授は全員に1(一番良い)をつける。
F.最終試験は必須。ただし、最終試験の結果に満足しなかったものはもう一度最終試験を受けられる。

’改善’のチャンスがあるものがパレート改善。
’みんなおんなじ’では、より高い点数がとれる人にとって、改善のチャンスはない。

だから、徒競争をみんな同じにゴールすることはパレート改善ではない。
と、ここにパレート改善の議論を持ち込むことが正しいのかわからないけれど、
「授業のテスト」と「徒競争」は少しは同じ性質があると思う。
徒競争で同時にゴールする学校にとっては、パレート改善の論理よりも
’みんなおんなじ’の方が大事なのだろう。

そうなのだろうか。私は徒競争はほぼいつもビリだったから、
代わりに勉強を頑張ったのかもしれないし。
今は追いつくだけで必死ですが…

’みんなおんなじ’というと語弊があるかもしれない。
♪No.1にならなくてもいい、元々特別なonly one~♪という歌詞のように、
みんなおんなじ、じゃなくて、みんな違って、それでいて特別。
徒競争でコースを別にして一緒にゴールをするということも、
’世界で一つだけの花’で言う'only one'を表現したいのかもしれない。
ゴールを一緒にしたらもはや徒競争ではないけれど…。

私としては学級委員長がいても、徒競争でビリになっても、
そういう環境があるからこそ、「○○ちゃんはすごいなぁ、私ももっと頑張ろう」
って思えたのだと思う。

どのようにして能力が延びるのか、能力を延ばすのかは人それぞれ。
けれど、パレート改善の問題で見ると、
より良い点数がとれる人は、より高い評価を受けることがなくなってしまう。
それで能力は延びるのだろうか。

世の中ではノーベル賞とかミス・ユニバースとか、
目に見えるところで競争が行われているのだから、
人より抜きんでないと賞を獲得することはできないのだから、
’みんなおんなじ’感覚で育つと、
賞を取るとか、何か目的のために行動するという
モチベーションが起こりにくくなるのではないだろうか。

かなり長くなってしまったのでそろそろこの辺で。。
結論は出せないけれど、個人的には、
「もっと頑張ろう」という気持ち、向上心は大事だと思う。

2009年02月18日

たまには研究のような話を

社会疫学という授業でかなりラフなドラフトでいいからリサーチ・プロポーザルを作成せよ、
という課題があり、今日が提出日でした。みんなまた練り直しになりましたけど…

私が今とても気になっているのは、フィリピンのある州では
自宅出産・伝統産婆介助による出産が州条例により禁止となり、
罰金も課していることです。

伝統産婆は’産婆’としての役割を禁じられたので、
助産師がリーダーとなる村のヘルスチームが組織化され、
伝統産婆もそのメンバーに組み入れられました。
ヘルスチームは報酬ももらえます。

伝統’産婆’が消える、これを私は1つの伝統・文化が消えること、
と私は認識しているのですが、これはどう人々の認識・生活に影響するのでしょうか。
(素朴な率直な疑問で今一番調べてみたいことです。)

そもそも伝統産婆のことをよく知らないな、と思い、
大学の図書館で'Traditional birth attendant'とか、
'Hilot'(ヒロット;フィリピンの伝統産婆を指す言葉)と検索してみると、
本は1970年代~90年代のものがほとんどで、
破れていたり黄ばんでいたり…

しかも伝統産婆に対するトレーニング等が主で、
伝統産婆がなんたるかを記述したような
人類学的な本はほんの数冊のみ。

学科ごとに図書館が分かれているため、
今日は公衆衛生学科にあった伝統産婆トレーニング本を借りました。
90年代くらいまでは伝統産婆介助の出産が主流だったのですね。

人類学的な本にどのような記述がされているか気になるところですが、
本があまりないところからしても、ヒロット研究者はあまりいないようですね。
マッサージとしてのヒロット本は最近出されている本もありますが、
産婆としてのヒロットはもう消えゆく存在だからなのでしょうか。

産婆としてのヒロットを禁じているのはまだ1州だけなので、
まだまだフィリピン全国各地に産婆としてのヒロットが活躍しています。

保健政策コースの社会疫学の授業なので、
州の保健プログラムや州条例前後の妊産婦死亡率の変化等、
まずは数字を追うつもりですが、

どうしても、
ヒロットが気になる…

ヒロットがどういう’プラクティス’をしていて、
人々にどう思われているのか。

Google Japanでヒロットを調べると、
ネグロス島で聞きとりをされている方がいらっしゃいました。
Google Philippineではニュースの記事が出てくるくらいです。
なんとか州ではまだまだヒロット介助による家でのお産が主流だとかなんとか。

と、にわかにヒロットに熱くなっていて、
4月頭にこの州に行ってこようと思っています。
そのためにもリサーチ・プロポーザルをちゃんと仕上げないと…

2009年02月06日

病院はみんなで行くところ

先週のこと。
授業の後、これはまずいと思ってクラスメイトに頼んだ。
「病院まで車にのっけてくれる?」
ご主人はPAL(フィリピン航空)のパイロット、彼女は製薬会社で働いているから
潤っているのだろう。車は私が見る限り3台は持っている。

あまりにもだるく立ちくらみはひどいし歩くのもつらかったので、
ジープ乗り場にも行かれずペディキャブ(自転車タクシー)で
学校に行ったら50ペソもとられ、値切る力もなく、
それでも授業にでたのだ。
クラスメイトには'Cheloは目が閉じそうだったよ'と言われたけど、
眠かったんじゃない。熱があったのだ。

体温計を持っていないので、病院で測ったら39度の熱。
これ程の熱を出すのは多分5年ぶりくらいだろう。
デング熱の恐れ等があるので血の検査もしたが、
問題はなかった。では、ストレス性の熱?

点滴をうたれるのは初めてだと思う。
ベッドに横になって病院の寒さに耐えていたが、
なんで患者が耐えなきゃいけないんだと思いなおし、
「先生、エアコン消すか掛けるものもらえますか?」
と診断してくれた女医さんに頼んだ。

薄いブランケットを持ってきてくれて、
'Wala kang kasama?'(一緒に来てる人いないの?)
と聞かれ、
'Wala po'(いません)
と答えた。

そう、フィリピンでは病院にはなぜか家族でぞろぞろと来る。
フィリピン大学マニラ校の国立総合病院もいつも人でいっぱい。
患者だけでなく付添の人もたくさんいるからだ。

日本でも病人1人で病院に行くことは少ないだろう。
でも、walang kasama(付添がいない)って言われて、
うーん、walang kasamaな人生はいやだなぁ、
と点滴を打たれながらエアコンの寒さに震えていた。
深夜0時にタクシーで家に帰った。
少し多めに払ったら運転手さんが笑顔で'thank you'と言ってくれた。
まだスレていないドライバーもいるものだ。

1晩寝て翌朝は熱はひいたようで、
自分の回復力にも驚きだが。